安重根 単語


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アンジュウコン

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安重根(안중근、アンジュングン)は、朝鮮(いわゆる「李子朝鮮」。安重根死亡時の国号は大韓帝国)の民族主義者、抗日ゲリラ。

1909年に伊藤博文を暗殺したことで知られる。[1]

概要

出生、抗日活動以前の生活

1879年9月2日、朝鮮の海州という街(2014年現在でいう朝鮮民主主義人民共和国の南西部にある)で、安泰勳と白川趙の夫婦の長男として生まれた。この家は両班という貴族階級であり、裕福な生まれだったとされている。また父である安泰勳は科挙に合格して進士の資格も得ている知識人でもあった。

恵まれた環境で育った安重根だが、成人後に教育関係、石炭関係など様々な事業を手がけるもいずれもうまくいかなかったようだ。

抗日活動

1907年7月、大韓帝国皇帝の高宗が日本の圧力を背景に譲位することになった。これに憤慨した安重根は妻や子を朝鮮に残してウラジオストクに亡命。その後しばらくして「大韓義軍」という抗日活動を行う組織に所属した。

安が自ら後の裁判で証言したところによると、この組織の中で「参謀中将」になっていたとのことである。だが当時まだ20歳代の若年という点から考えると、この「参謀中将」がどの程度の地位に当たるのかは不明である。

この組織は抗日活動としてゲリラ的な軍事行動を行ったが、彼の部隊は日本軍に壊滅させられる。

伊藤博文暗殺

1909年10月26日、当時の大日本帝国の韓国統監であった伊藤博文がロシア帝国の重臣との会談のために満州ハルビン駅に到着した際、安重根が伊藤博文ら一行に対して拳銃(ジョン・ブローニングが開発したFN ブローニングM1900だったとされる)を7発射撃した。

そのうち3発が伊藤博文に命中し、一行の他の人物も怪我を負った。伊藤博文はその後しばらくは会話を交わすほどの意識があったが、致命傷を負っており、程なくして息を引き取った。享年68。

その直後、安はロシア兵に逮捕された。逃げようとはしなかったと伝えられている。

その後、三名の共謀者も逮捕された。つまりこの暗殺は時にイメージで語られるような安重根単独による突発的行動ではなく、団体による組織的・計画的なものであったと思われる。

裁判、拘置、処刑

その後、一旦安はロシア帝国側に2日間身柄を確保された(当時のハルビンは清朝の領土だが、ロシア帝国が鉄道を引くにあたって範囲限定ながら自治権を得ていた)のち、日本側に引き渡された。そして関東州の旅順に移送され、そこにある関東都督府で裁判を受けることになった。

6回の審理ののち、安は1910年2月14日に死刑を宣告された。同3月26日に絞首刑に処せられた。享年31。他の共謀者も有罪にはなったが、実行犯ではなかったこともあり死刑にはなっていない。

安は先に述べたように抗日活動を行う軍事的組織「大韓義軍」に所属していたことを理由に、「暗殺者」ではなく「捕虜」として扱われることや、死刑が決まった後には銃殺での処刑を希望しているが、いずれも却下されている。

勾留・拘置期間中には新年の馳走が振る舞われたり、弟二名との面会が許された記録もあるとのことで、権利は尊重されていたようだ。酒や煙草まで与えられたとされている。日本人看守と交流して彼らから共感を得たとも言われており、直筆の書を安から贈られた者も居る。これらの扱いに対して安は、「朝鮮にいる日本人は朝鮮人に対して辛く当たるのに、旅順にいる日本人は素晴らしい。同じ日本人であるのになぜこうも異なるのか」といった意味の文を書き残している。自叙伝によれば、抗日活動に身を投じる以前、朝鮮にいる時期に日本人とトラブルになったり、商売を日本人に邪魔されたりしたという。こういった個人的恨みも反日感情を形成する一助になっていたと思われ、獄中でこれまでのイメージと異なる日本人と触れて驚いたようだ。

またこの期間に自叙伝「安応七歴史」を記している(下記「関連商品」欄にある「安重根と朝鮮独立運動の源流」に収録されている)。また、自叙伝を書き終えたのちには「東洋平和論」という思想書を書き始めたが、既に処刑日時が迫っていたために未完に終わっている。

暗殺の動機

伊藤暗殺の動機については、逮捕後、裁判の場などで安重根本人が数々の理由を語っている。それらは概ね「朝鮮国が伊藤博文によって様々な被害を被った」として、伊藤を糾弾したものが多い。大日本帝国による朝鮮の保護国化から後の大韓帝国併合へと向かう一連の流れについて反感を募らせていたものと思われる。

ただし語った動機の中には、現在の視点から見ると伊藤個人の責任に帰すには疑問符がつくものや、根拠が曖昧で噂話レベルに基づくと取れるような内容も含まれている。

また興味深い点として、「伊藤博文が孝明天皇を暗殺した」とも糾弾し、動機の一つに数えている。この「孝明天皇暗殺説」は

  • 孝明天皇が若くして病死したこと
  • 孝明天皇は生前に幕長戦争の継続、長州征討を強く主張していたこと
  • 伊藤博文が長州藩出身であること

などを材料として当時広く流布されていた陰謀論であり、前述した「噂話に基づくような内容」の一つ。大日本帝国の国民でない安がこれを動機として挙げる理由が理解しづらいところではある。だがこれについては、「安は大日本帝国による保護国化には反感を持っていたものの、明治天皇には心服していたためであろう」と説明されることが多い。安が挙げた別の動機「伊藤は明治天皇に対して韓国の窮状を隠している」という糾弾(こちらも「噂話レベル」であり根拠がない)からも、その点が汲み取れる。

なお余談だが、孝明天皇の名がここで「噂話に基づく暗殺理由」として登場したことについて歴史の皮肉と取る者も居る。と言うのも、伊藤博文は幕末の尊王攘夷志士であったころに「孝明天皇を廃位しようとしている」という噂話を信じて、塙忠宝という国学者を暗殺したと言われているため。

また、安が処刑の直前まで書いていたという思想書「東洋平和論」においては、日露戦争で日本が勝利したことを賞賛した上で「白人の侵略に対抗するためには「東洋人」(文脈から、特に大日本帝国・大韓帝国・清を指していると思われる)が団結しなければならない。しかし日本が隣国を虐めている現状は団結できない。よって現状を打破するために伊藤博文を殺害した」といった論調が記載されている。

これらの記述はいわゆる「汎アジア主義」、即ち「アジアの連帯によって欧米列強の脅威を排撃しよう」という思想と呼応するものとも言える。この点から、安について「汎アジア主義者」であると見なす場合もある。

暗殺が韓国併合に与えた影響

その後、1910年8月に大韓帝国は大日本帝国に併合されることとなる。

当時の二国では、併合をなすべきかどうかについてそれぞれの国内でも意見は大きく割れていた。その中で伊藤博文は「併合をせずとも保護国で十分であろう」という、どちらかと言えば併合慎重派であったとされる。また暗殺事件が起きたことを恐縮に思い動揺した大韓帝国側が、併合関連の交渉で大日本帝国に対してさらに遠慮がちにならざるを得なくなったとも言われる。これらの点から、安が伊藤を暗殺したことで、逆に併合への道が加速したと見なされることがある。

ただし伊藤博文は初期は確かに併合反対派であったようだが、1909年当時には既に韓国併合論者側の主張に対して積極的反論をする事はなくなり、併合もやむなしとの立場に移っていたとも言われる。また、そもそも暗殺以前に既に併合方針は決定されていた。それらを踏まえて、「暗殺は併合に対して、正負どちらの意味でも大きな影響をおよぼさなかった」との意見もある。

評価

安重根については、評価者の国、時代、思想などで大きく評価が分かれる。

日本では好意的な評価は受けない事が多い。安に思想的背景があった点は多くの者が認めるところではあるが、それでも「犯罪者、テロリストであった」と評価される場合が多い(何らかの思想を持つことと、犯罪者・テロリストであることは互いに矛盾しない)。

大韓民国では抗日の英雄とされる。同国では朝鮮の保護国化や韓国併合について、大日本帝国による侵略行為であると見なしている。よって、安の暗殺はそれに対抗するための行動であったとみなされ、高い評価を受けている。

出身地でもある朝鮮民主主義人民共和国では、愛国の義士ではあるが手段は評価できないといったところで、同情・評価しつつも全面的な肯定はしない、という微妙な立場をとっている。

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関連項目

  • 伊藤博文
  • 朝鮮
  • 孝明天皇
  • 明治天皇
  • 安重根、安倍を撃つ

脚注

  1. *THE HARBIN TRAGEDY - Assassin's Charges Against the Late Prince Ito. The Straits Times, 1909年12月2日, 5面.

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