山井大介(やまい だいすけ、1978年5月10日-)とは、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(投手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
| 中日ドラゴンズ #29 | |
|---|---|
| 山井大介 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 大阪府豊中市 |
| 生年月日 | 1978年5月10日 |
| 身長 体重 |
179cm 82kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2001年ドラフト6巡目 |
| 経歴 | |
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
神戸弘陵学園高等学校、奈良産業大学を経て河合楽器に入社。2001年1年目は初優勝に貢献したが、同年に野球部が休部し、特別処置でドラフト対象になり、ドラフト6巡目で中日ドラゴンズに指名され入団した。
2007年は日本シリーズ第5戦に登板し、8回まで北海道日本ハムファイターズ打線を抑えていたが、9回からは岩瀬仁紀に交代し、継投で完全試合を達成し日本一になったが、このときの落合博満の采配について賛否両論が巻き起こった。
2010年8月18日にも8回まで読売ジャイアンツ打線を四死球3のノーヒットに抑えていたが、9回表の先頭打者坂本勇人にソロ本塁打を打たれて被安打1で岩瀬仁紀に交代させられてしまった。お立ち台に立った山井はヒーローインタビューで「やっぱり8回までしか投げ切れられませんでした、すみません」と言ってドームを沸かせた。
2012年にはリリーフに配置転換され、戦線離脱した浅尾拓也に代わってセットアッパーとなる。後半戦では不調の岩瀬仁紀からついにクローザーの座を奪うに至り、56試合で4勝3敗15セーブ13ホールド、防御率1.43と大活躍した。
2013年はWBC日本代表候補に選ばれるも、最終選考で落選。WBCに向けての調整していた影響か開幕直後はリリーフで打ち込まれ二軍落ち。5月下旬から先発として一軍復帰し、6月28日の横浜DeNAベイスターズ戦で3度目の正直となるプロ野球史上77人目(88回目)のノーヒットノーランを達成した。
2014年は開幕から先発で起用される。援護にも恵まれ、開幕7連勝を達成。監督推薦でオールスターにも初出場した。1年間ローテを守りきり、13勝5敗、防御率3.21の成績を記録。自身初のタイトルとなる最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した。
2015年は開幕投手に選ばれ、開幕戦で7回1失点に抑えるも後続の又吉克樹らが打たれ逆転負けを喫する。6月までは時折炎上することこそあれ、毎回6回前後を投げて試合を作っていたが、7月に入ると5回持たずにノックアウトされることが増え、8月9日のヤクルト戦から救援に回される。すると8月15日の巨人戦から9月18日の広島戦まで(1度挟んだ先発登板も含め)無失点投球を続ける。最後の2試合は先発に戻ったがいずれも打ち込まれ敗戦。
最終成績は140回を投げ4勝12敗2セーブ5ホールド、防御率3.92と大幅に負け越した。
2016年は33試合の登板で1勝8敗、防御率4.52と2年連続で不振に陥り、通算成績も勝率が5割を切って負け越した。
(2016年終了時点)
| 通算:14年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 304 | 5 | 4 | 54 | 59 | 20 | 32 | .478 | 1084.2 | 397 | 776 | 481 | 441 | 3.66 | 1.32 |
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/12(金) 11:00
最終更新:2025/12/12(金) 11:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。