後藤武敏とは、静岡県出身のプロ野球選手である。現在は横浜DeNAベイスターズ(背番号55)に所属している。
愛称は「ゴトタケ」。
|
||||||||||||||||||||||||||
松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に横浜高校の甲子園優勝に貢献。法政大学では、東京六大学リーグに出場し、三冠王を獲得。その後2002年自由枠で西武ライオンズに入団した。背番号6。
2003年は開幕戦で4番に座り、11本塁打を打つなど活躍した。
しかしその後は2004年に貝塚政秀、2005年に石井義人、2006年に中村剛也が台頭で一軍での活躍の場を失いつつあった。二軍では4冠を獲得していたことから「二軍の帝王」と呼ばれていた。
2008年は交流戦直後に一軍に昇格。6月29日の千葉ロッテマリーンズ戦で2003年以来5年ぶりの本塁打、さらに自身初の1試合2本塁打を放つ。その日のヒーローインタビューで「1本目は妻と息子のため、2本目は親父と先日亡くなった母ちゃんのために打った」と涙ながらコメントし、さらに「母ちゃんやったぞ!」と豪快に叫び、ファンを感動させた。その後も活躍して優勝と日本一に貢献した。
2009年からは外野手として登録された。8月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身初のサヨナラ本塁打を放った。
2010年は開幕一軍だったが、極度の打撃不振に陥り、5月に二軍に降格。クライマックスシリーズに出場したがノーヒットに終わる。
2011年も打撃不振から抜け出せず、同年オフ、武山真吾とのトレードで横浜ベイスターズに移籍した。背番号55。
2012年はオープン戦で打棒が戻りつつあったが、右太ももの張りで開幕を二軍で迎えた。7月22日に一軍に昇格し、8月4日の読売ジャイアンツ戦で3年ぶりのホームランを放つと、8月だけで6本のホームランを放つ。最後まで一軍に帯同するが8月末にやや調子が落ちたのと拙守もあり右の代打の切り札という存在になった。
2013年は春先は不調だったが、9月に月間打率.417を記録。中村紀洋、トニ・ブランコの不在時に4番を務めた。
| 西武 応援歌 |
(2013年終了時点)
| 通算:10年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 426 | 1067 | 963 | 114 | 248 | 40 | 133 | 1 | 2 | 4 | 90 | 8 | 226 | 23 | .258 | .325 |
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/15(月) 16:00
最終更新:2025/12/15(月) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。