木下伸市とは、日本の津軽三味線奏者である。
・1965年 - 和歌山県に産まれる。
3歳より芸人だった父から三味線の手ほどきを受け、10歳より本格的に津軽三味線を始める。
・1982年 - 17才でNHK邦楽オーディションに津軽三味線で合格。
津軽三味線全国大会86年、87年連続優勝。この頃より、伊藤多喜雄バンドの重要なメンバーとして活躍。
・1993年 - 「木下伸市グループ」を結成し、オリジナルの「津軽三味線ロック」を発表。
・1997年 - 和太鼓奏者の林英哲とのコラボによる公演、アルバムのリリースなどがされる。
・1999年 - ハンガリーのバイオリニスト、ロビー・ラカトシュとNHKの番組で共演。
これ以後、コラボCDの発売や、コンサートでも数度共演している。
・2000年 - 5月、津軽三味線全国大会歴代A級チャンピオン山田千里杯争奪戦が行われ、初代チャンピオンに輝く。
10月に和歌山市文化奨励賞受賞。
2004年 - 10月1日より、それまでの木下伸市から木乃下真市に改名。
・礼儀正しく気さくな人柄で、たとえ年下・目下であろうと初対面の者には敬語で応ずる。また各種津軽三味線コンクールでは、ファンのサインや握手にすべて笑顔で応じている。
・津軽三味線に対する姿勢はきわめてストイックで厳しいが、修業中の者にアドバイスを与えたり、質問に丁寧に答えたりする。
・上妻宏光や福士豊秋らと親しく、同じ舞台にしばしば上がっている。
・かつてはやんちゃ坊主で、ケンカでは負け知らずだったと自著で語っている。
・津軽三味線が、本来の民謡を離れて独奏のみの楽器となったり、演奏よりもパフォーマンスが過大に評価される現状は危険であるとインタビューで語っている。
・目標とする奏者は、白川軍八郎と木田林松栄である。また、これら津軽三味線草創期の天才と呼ばれる奏者には、自分は一生かかっても絶対に追いつけないとインタビューで語っている。
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最終更新:2025/12/13(土) 02:00
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