松平親忠(まつだいら・ちかただ)とは、三河の戦国武将たちである。
松平信光の三男。2の親忠の大伯父にあたる。
親忠存命の時は、宗家扱いは長兄・守家(竹谷松平家初代当主)が松平家4代当主の立場であり、親忠は安祥松平家としての分家の存在でしかなかったと推測される。
しかし、のちに松平長親・松平清康・徳川家康などの優秀な中心人物が出現したため、4代当主の扱いを受けた。
松平貞副(まつだいら・さだすけ)の子。形原松平家は松平信光の五男(寛政譜では四男)・松平与副(まつだいら・ともすけ)が三河国宝飯郡形原郷に住し、750貫を領したのが始まり。
松平清康に仕えたが、守山崩れで清康が死亡して以降は織田方への接近を図った。
これは主君・松平広忠も同様の行動を起こすこととなる。
1541年、東条城主・吉良義昭を攻めた。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/13(土) 04:00
最終更新:2025/12/13(土) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。