桜花 (航空機)とは、大日本帝国海軍が開発した特別攻撃機である。
アメリカ軍はコードネーム『BAKA(正しくはBAKA BOMB)』というひどい名前をつけているが、その理由については後述。
1944年、まだ神風特攻隊が考案されてないころ。三菱名古屋発動機製作所では空対地ミサイルの研究を行っていたのだがその誘導装置に苦労していた。ぶっちゃけると当時の電子技術では満足な誘導装置なんてできなかったのである。そんな時、この話を聞きつけた海軍の大田正一特務少尉なる人物が『命中しないなら人間に操縦させたらいいじゃない』と思いつき、自分のアイデアを売り込むため研究機関や軍上層部を駆けずり回り、「完成した暁には自分が真っ先に乗りますから!」とまで言ってのけとうとう出撃したら最後パイロットは絶対死ぬグライダー型有人爆弾が完成し、実際に運用までこぎつけてしまった。これが桜花である。
桜花は専門の開発・運用を行う第七二一海軍航空隊、通称神雷部隊によって運用され、計10回出撃が行われた。以下、運用実績と成果。
神雷部隊における総出撃数は一式陸攻78機(内桜花搭載75機)、零戦19機。それに対する損失は一式陸攻54機(内天候原因での損失6機)、不時着5機。零戦の損失は10機。戦死者は桜花搭乗員56名、零戦搭乗員10名、一式陸攻搭乗員は372名に及んだ。総死者、実に438名。
一方アメリカに与えた損害は駆逐艦一隻撃沈、駆逐艦三隻が大破使用不能、後は小破した船が数隻。桜花による死者は129名、負傷者は238名。
…あれ、日本のほうが被害大きくない?
この槍、扱い難し。
―――野中五郎(第七二一海軍航空隊飛行隊長、少佐)
アメリカ艦隊が構築した対空防衛線、いわゆるピケットラインは戦艦や正規空母といった主力艦の周囲80kmにぐるりとレーダー搭載駆逐艦(レーダーピケット艦)を配置し、レーダーに反応すると主力艦の上空に待機していた戦闘機が襲い掛かるというもので、たとえそれをかいくぐっても駆逐艦搭載のレーダー連動高角砲が敵機を始末するという二段構えであった。当時のアメリカのレーダーは大体艦の周囲25kmを探知範囲にしていたといわれており、主力艦を安全に襲おうとするならば大体120kmの彼方から桜花を発進させなければならない。しかし桜花の航続距離はロケットをふかしても70km。主力艦に当てようものならピケットラインどころか輪形陣の内側に母機である一式陸攻を潜り込ませねばならなかった。
但し鉄壁に見えるピケットラインも結構穴があったらしく、実際輪形陣の一番内側にいるはずの戦艦ミズーリが桜花によって小破していたりする。
元々母機である一式陸攻は重くても1トン程度の800kg魚雷1発ぐらいしか積む事を考慮されておらず、2.2トンもある桜花を積む事により速度も機動性も失われてしまった。このため桜花を積んだ状態で一度敵戦闘機に目をつけられるとまず逃げられないという問題があった。
対策としては護衛戦闘機を増やすしかなかったのが時代は戦争末期、満足な数の護衛戦闘機をつけることはかなわなかった。それどころか第2回以降は護衛戦闘機すらつけてくれない(というかそんな余裕がない)という状況であった。このため神雷部隊は知恵を絞るのであるがそれについては後述。
これは桜花が戦果を挙げられなかったということから外れるのだが、実は桜花は安く作りすぎたせいか操縦が非常に難しく、300時間は操縦したパイロットでないと戦果を挙げられないという問題があった。さらにこちらも後述するが母機の犠牲が非常に大きく出撃した母機の実に7割が失われている。極論すれば桜花一機発進させるのに一式陸攻の乗員7人+桜花搭乗員1名の8人の命が必要だったのである。
無論神雷部隊もこの使えない兵器を使えるようにするべく手を尽くしている。
おれは桜花作戦を司令部に断念させたい。
もちろん自分は必死攻撃を恐れるものではないが、
攻撃機を敵まで到達させることができないことが明瞭な戦法を肯定するのは嫌だ。
クソの役にも立たない自殺行為に、多数の部下を道づれにすることは耐えられない。
司令部では桜花を投下したら陸攻は速やかに帰り、再び出撃せよ、と言っているが、
今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら
自分たちだけが帰れると思うか?そんなことは出来ない、桜花投下と同時に自分も目標に体当たりする。
―――野中五郎
神雷部隊の上層部が桜花は使い物にならないということをわかっていた。上記引用は初代飛行隊長である野中五郎が部下に語ったものである。
第一回出撃の際、部隊指令岡村大佐は護衛戦闘機の少なさを理由に出撃の中止を進言している。しかし、彼らの上司である宇垣中将は出撃を命じた。
今の状況で使わなければ使うときがないよ
ーーー宇垣纏
確かに当時の状況(敵主力空母の大体の位置がわかっていた)から考えると宇垣中将がこんなことを言いたくなるのもわからないわけではない。しかし部下が犬死することがわかっているのに出撃を命じられる方はたまったものではない。野中少佐がこんなことを愚痴りたくなるのも理解できる。
ろくに戦闘機の無い状況ではまず成功しない。特攻なんてぶっ潰してくれ。これは湊川だよ[2]」
―――野中五郎
そして史実の湊川の戦いの通り、第一回出撃は全滅という末路をたどる。
第一回出撃の悲劇は決して無駄ではなくその戦訓は生かされ、既述のとおり第三回出撃以降は通常の神風攻撃と同じぐらいまでの戦果を残すことになる。しかし後世を生きる我々としてはどうしてここで出撃をやめ桜花の改良に力を注がなかったんだろうかという思いがあるのだが、そんなものはきっと後知恵なのだろう。
上述の通り、正直言ってほめられる兵器ではないというのがもっぱらの評価。そのあまりにとち狂った発想にアメリカはあきれ、コードネームをBAKA(冗談でもなんでもなく由来は日本語の『馬鹿』)にしてしまった。
とはいえ第二次大戦当時の誘導兵器、たとえばエロ爆弾[3]と呼ばれた日本陸軍開発の空対地ミサイル『イ号一型乙無線誘導弾』だと射程はたったの4km。ラジコン操縦で母機がずっと目標のすぐ近くに張り付き、専門の誘導員が命中まで操縦し続けなければならなかった。これは同種の兵器を開発していたドイツも同様[4]である。
また当時通常攻撃による敵艦艇への効果はほぼ0という状況であり、こんなものでも頼らざるを得なかったのが当時の日本であったということを理解する必要がある。
なお第一回攻撃の大失敗により戦法を改めてからは戦果もそれなりに挙がる様になった。このためもっと早い段階のフィリピン戦時に適正な戦法で投入されておけば、米機動部隊の特攻対策も未だ未成熟であった為、空母等の“大物”への戦果も挙がっていたものと推測でき、評価もまた違ったものになったと思われる。
実際に日本軍は空母信濃と雲竜でフィリピンに合計80機の桜花を輸送し運用する計画であったが、いずれの空母も到着前に日本近海で潜水艦に撃沈されておりフィリピンでの実戦投入はできなかった。
また桜花は改良計画が存在し、ジェットエンジンを搭載した22型や43型が計画されていた(実戦に投入されたのは11型)。43型は地上からカタパルトで打ち上げられる予定で、比叡山のケーブルカーの線路から打ち上げる計画もあったとか[5]。43型は航続距離200kmとされ、実際に運用されてれば成果を挙げていたであろうことは想像に難くない。
しかしこれらはすべて机上の空論であり、桜花は時代が生んだあだ花であり、使えない兵器を無理に使おうとしていたずらに命を無駄にした感は拭えない。
だが、もう一度言っておく。
こんなものでも頼らざるを得なかったのが
当時の日本である。
発案者の大田少尉がその後どうなったかはぜひともウィキペディアで調べていただきたい。ニコニコ大百科では実在の人物につけてはならないあるタグが頭に浮かぶであろう。
松本零士の漫画で後にアニメ化された「ザ・コクピット」の第2話「音速雷撃隊」が桜花のエピソードである。
桜花の登場は1:20から。
桜花 (航空機)に関するニコニコミュニティを紹介してください。
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最終更新:2025/12/13(土) 18:00
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