燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)とは、太刀である。
- 備前光忠刀號燭臺 無銘
- 長二尺二寸三厘 鎺元九分九厘 横手下七分三厘 厚二分二厘 反五分
伊達政宗(のちに水戸徳川家)が所有していた太刀で、備前の刀工光忠の作。長さ二尺二寸三厘(約67cm、ただし二尺二寸八分、二尺三寸など諸説あり)。伊達政宗が家臣を斬った際に銅製の燭台をも斬ったことから燭台切と呼ばれる。
傳云、仙台侯政宗近侍之臣有罪、隠于褐銅燈架之陰、政宗乃斬之、燈架倶落、故名之曰燭臺斫、燭臺乃燈架之俗称也
義公嘗臨于政宗第、政宗持此刀語其由、終乃置之坐右、公将歸請是刀、政宗愛之不與、公乃強持之去云伝えていわく、仙台侯政宗近侍の臣に罪ありて、褐銅の燈架の陰に隠れる。政宗すなわちこれを斬り、燈架とともに落とす。故にこれを名付けて燭台斬という。燭台すなわち燈架の俗称なり。
義公かつて政宗第に臨む。政宗この刀を持ちてその由を語り、終わりてすなわちこれを坐右に置く。公まさに帰らんとし、この刀を請う。政宗これを愛し与えず。公すなわちこれを強く持ちて去る。
慶長元年(1596年)に伊達政宗に豊臣秀吉から光忠を賜っているため、これが燭台切光忠であったとする説がある。光忠銘の刀は複数存在しており、織田信長が25本蒐集していたとする史料があることから、燭台切光忠は織田信長→豊臣秀吉→伊達政宗と名だたる人物の間を渡ってきた可能性がある。
大正12年(1923年)の関東大震災で焼身、現在は茨城県の徳川ミュージアムに保管されている。焼ける前の押形を収録した『武庫刀纂』とともに期間限定で公開された。
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最終更新:2025/12/14(日) 19:00
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