野中信吾(のなか しんご)とは、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号53。
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1983年9月24日生まれ、佐賀県神埼市出身。
神埼高校で2度甲子園に出場し、俊足と守備力、思い切りの良い打撃を評価され、2001年のドラフト5巡目で日本ハムファイターズに指名され入団。当時は内野手で、スイッチではなく右打ちだった。
高卒1年目から代走で一軍デビューしプロ初安打も放ったが、2年目のオフ、横山道哉とのトレードで横浜ベイスターズへ移籍することに。本人も元々横浜入団を希望していたらしい。このため、日本ハム出身の選手であるというイメージが薄く、横浜時代はよく生え抜きと間違われていた。
横浜移籍後、スイッチヒッターに転向、二軍で盗塁王を2回獲得するなど結果を残したが、一軍では代走要員に留まった。2007年、スイッチから右打ちに戻し、前半戦は代走・守備固め、後半戦からはスタメン出場の機会が増え、自己最多の79試合に出場しチームトップの15盗塁をマーク、プロ初本塁打も放った。
しかし前年の活躍からレギュラー奪取が期待された2008年は打撃不振で結果を出せず、以降は石川雄洋や藤田一也の台頭で影が薄くなる。その後は代走要員に戻ってしまい、2010年オフ、一輝とのトレードで桑原謙太朗とともにオリックス・バファローズに移籍。
オリックス1年目の2011年は12試合の出場、3年連続無安打に終わり、ドラフトで即戦力内野手を多数獲得したチーム事情もあって、オフに出場機会を求めて外野手に転向。
2012年は坂口智隆の故障で、交流戦から1番か2番のレフトかセンターでスタメン出場の機会を与えられ、4年ぶりの安打を放つとそのまましばらく準レギュラーで起用された。交流戦明けまでスタメンで主に起用されたが、徐々に打率を下げ、7月以降はまた代走・守備要員に戻る。それでも閉幕まで一軍に残り、74試合に出場、12盗塁をマークした。
俊足が最大の武器だが、打撃難とボーンヘッドの多さでなかなか一軍・レギュラーに定着できない。
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最終更新:2025/12/13(土) 07:00
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