北海道釧路湖陵高等学校とは、北海道釧路市に所在する、道立の高等学校である。
(北海道では道立高等学校について道立○○高等学校という表記はしない。「北海道○○高等学校」が正式名称。ただし道立学校であることをハッキリさせる必要がある場合や報道などでは「道立~」の表記をすることがある)
前身は(旧制)北海道庁立釧路中学校(→道立釧路高等学校)で、1912年(明治45年)に設立が認可されている。
余談ではあるが、北海道小樽市に所在する北海道小樽潮陵高等学校(こちらも道立の高等学校で進学校である。校内の雰囲気はよく似ている)と、校名を頻繁に間違えられることでも有名(?)で、釧路根室地方や後志地方以外の地域での校外行事、あるいは修学旅行等で配られた弁当、あるいは宿泊施設の表示板に「釧路潮陵高校」「小樽湖陵高校」と誤記されることは日常茶飯事である。(小樽市内の道路脇の避難所案内標識が校名を間違えていたという悲惨な出来事があった…)
もし両校関係者が同じホテルに宿泊したと仮定した場合、ホテルと両校関係者の混乱ぶりは想像に難くない。
概要
北海道釧路市緑ヶ岡3丁目1番31号に所在する。が、開校時から平成9(1997)年までは、北海道釧路市富士見3丁目2番地(旧標記では釧路市富士見町71番地)にあった。春採湖の湖畔を見下ろす高台に所在しており、現校名の由来の地でもあった。
全日制普通科と全日制理数科、定時制普通科を開設しており、全日制と定時制では別々の校歌を持つ。釧路地方の進学校である。
校訓は「誠・愛・勇」で、全日制の校歌と共に、旧制中学校だった時代からの骨董品もとへ、伝統である。
併合学校は、(旧制釧路商業中学校夜間→旧制釧路市立中学校→)釧路市立富士見高等学校がある。(現在の定時制課程)
歴史
詳しくはWikipediaの該当項目か同窓会誌などを参照されたい。
- 1912年(明治45年) - 8月31日 北海道庁立釧路中学校(旧制中学校)として、設立が認可される。
- 1913年(大正2年) - 4月 第1回入学式を挙行する。
- 1913年(大正2年) - 11月3日 開校式を挙行する。
- 1923年(大正12年) - 釧路商業中学校夜間(3年制)が開校する。(現在の定時制課程)
- 1927年(昭和2年) - 10月 校訓を制定する。
- 1928年(昭和3年) - 4月8日 校歌を制定する。(現在の全日制課程の校歌)
- 1945年(昭和20年) - 釧路商業中学校夜間は校名を釧路市立中学校に変更する。
- 1948年(昭和23年) - 4月 学制改革により、道立釧路高等学校となる。釧路市立中学校は釧路市立高校に改称する。
- 1950年(昭和25年) - 4月 男女共学となり、校名を北海道釧路湖陵高等学校に変更する。
白糠分校を北海道標茶高等学校から移管。釧路市立高校は釧路市立富士見高等学校に改称する。
- 1951年(昭和26年) - 釧路市立富士見高等学校を合併する。
音別分校(定時制)と上尾幌分校(現在の北海道厚岸潮見高等学校)を設置する。白糠分校が北海道白糠高等学校として独立。
- 1952年(昭和27年) - 4月 上尾幌分校を北海道釧路江南高等学校に移管する。定時制課程が全日制課程と別に校歌制定。
- 1953年(昭和28年) - 音別分校が北海道音別高等学校(昭和37年閉校)として独立する。
- 1962年(昭和37年) - 9月 開校50周年・定時制40周年記念式典挙行。
- 1983年(昭和58年) - 9月 開校70周年・定時制60周年記念式典挙行。
- 1990年(平成2年) - 9月 春採湖西側の高台(湖陵の名の由来)にあった旧校舎から現在地へ移転。
- 2002年(平成14年) - 9月 開校90周年・定時制80周年記念式典挙行。
- 2012年(平成24年) - 開校100周年となる。
関連商品
祝い事になると地酒「福司」関連のスイーツが出てくることがある。もちろん卒業して幾星霜の同窓会には地酒「福司」が出てくる。
校歌・壮行歌・応援歌・寮歌など
- 全日制の校歌(=旧制中学時代の校歌)は、旧制釧路中学校の菅原覚也教諭の作詞、国文学者の高野辰之が校閲したものに、信時潔が作曲したもので、第二次世界大戦の敗戦直後に2度、この校歌を廃止して新しい校歌を制定しようという動きがあったが、歌詞、曲とも良い出来であり、廃止に反対する者が多数派であったため、廃止を免れ、現在も連綿と歌い継がれている。
- 開校記念式典で在校生、および旧制中学出身をふくむ卒業生全員が同じ校歌を斉唱するのは壮観で、伝統を感じることのできる機会となっている。
- 壮行歌、応援歌は歌えない生徒が急増している。理由はいろいろあるが、各種の噂によると
『旧制中学(男子校)~新制高校化(男女共学)~昭和50年代までは男子生徒が圧倒的に多く、応援団や運動部系の活動が活発で、入学直後、応援団による放課後の指導により徹底的な校歌、応援歌、壮行歌の猛訓練が行われ、新入生全員が空で歌えるまで絞られたが、緑ヶ岡校舎に移転後、女子生徒の比率が増えて応援団が事実上の活動休止に陥った(逆にチアリーダー部が出来たそうである)こと、進学率向上を目指して勉強時間を増大させた結果、運動部系の活動が頭打ちとなり、歌う機会が激減した』
とも、
『応援歌や壮行歌の歌詞が旧制中学時代からの伝統で男子生徒中心の内容のため、増加した女子生徒が歌うのを躊躇する』
とも噂されており、古参の同窓会員をやきもきさせている。
- 旧制中学時代に「寮歌があったらしい」と伝えられているが、これに至っては、歌える同窓生は数える程しか存命していないのでは?と想像される。だいたい、同窓会のHPですら紹介されていない…
- 「これはいかん!」と、同校出身の某教諭(湖陵32期)が同窓会のHPに楽譜や歌詞を掲載し、保全を図っている。
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