鈴木尚広(すずき たかひろ)とは、読売ジャイアンツに所属するスピードスターである。右投右打、背番号12。
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1978年4月27日生まれ(同じ生年月日生まれに声優の望月久代、元子役の間下このみ、格闘家のノブ・ハヤシがいる)。実家は「すずや」という精肉店と焼肉店を兼ねた店を経営している(ズームイン!!サタデーで紹介された)。
福島県立相馬高校から96年のドラフト4位で入団。入団当時は右打ちの内野手だった。俊足の評価は高かったものの、スペ体質だったこともあってしばらく二軍暮らしが続く。そのうちに両打ちを経て左打ちの外野手に転向。
2002年、機動力野球を掲げる原辰徳監督のもとで一軍に抜擢され、主に代走で出場。日本シリーズでも2盗塁を決める活躍を見せた。2003年は二塁も兼任し準レギュラーとして104試合に出場する。しかし原が辞任し堀内政権になると再び代走要員となり出番が減少。それでも代走から高い成功率で盗塁を決め、チームトップの盗塁数を記録していた(2004年は9盗塁でチームトップ。いかに巨人の盗塁数が少なかったかが伺える)。
2006年に原が監督に復帰すると再びレギュラー争いに加わり、中盤から高橋由伸の離脱で1番・センターに。このシーズン中に対左の打率改善のためスイッチヒッターに再転向した。その後、レギュラーと代走要員を行ったり来たりしながら盗塁を稼ぎ、一軍で働き続けている。特に2008年は夏場から1番センターに定着し、巨人では緒方耕一以来となる30盗塁をマークして優勝に貢献、ゴールデングラブ賞も受賞した。
2009年は開幕スタメンの座をつかむも自身の不調と松本、亀井の台頭もあり代走、守備固めの機会が多くなる。それでもチームトップの25盗塁をマークし、チームの日本一に貢献。2010年は長野の加入、高橋由伸の復活もありさらに出場機会が減少。出場61試合、25打数、10盗塁と大幅に成績を落とした。オフには出場機会を求めFA宣言が噂されていたが、残留。
2011年も相変わらず代走要員だったが、90試合68打席と前年より出場機会は増え、チーム3位の18盗塁をマークした。この年、シーズン中にスイッチヒッターから右打ちに再転向。入団から右打ち→両打ち→左打ち→両打ち→右打ちと、ぐるっと回って入団当初の右打ちに戻ってくることになった。
一軍に定着した2003年以来、シーズンを通してレギュラーだった年は一度も無いにも関わらず、2009年まで7年連続でチーム盗塁王になっている。通常バッテリーに厳しく警戒される代走での出場でも、高い盗塁成功率を記録する俊足と走塁技術の高さは折紙付き。2010年終了時点で通算168盗塁、盗塁成功率は.812。
2007~2008年、チームに同姓の鈴木誠が所属していたため、スコアボードに「鈴木尚」と表示されていたが、横浜ベイスターズの鈴木尚典(すずきたかのり)と表記・読みが同じだったため、紛らわしいとよく言われていた。2009年は「鈴木」表示に戻ったが、2010年から「縁起が良い」との理由で再び「鈴木尚」表示になっている。
ちなみに、2011年現在読売ジャイアンツ所属15年目で、チーム最古参選手である。
(2011年終了時点)
| 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 781 | 1360 | 1250 | 330 | 9 | 65 | 168 | .264 | .304 |
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最終更新:2025/12/13(土) 20:00
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