駆逐艦(艦これ) 単語


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※この項目では、『艦隊これくしょん~艦これ~』における「駆逐艦」について、史実解説を中心に記述しています。

 概要

まったく、駆逐艦は最高だぜ!!

 “兵站ゲーム”とされる『艦これ』において、駆逐艦はゲーム進行上もっとも重要な資源集めに必須の艦種である。どこかの島国の海軍がこれに無関心なばかりに、ついに全てを滅ぼしてしまったのは、今や皆が知るところとなった。
 戦(いくさ)は、小さいことの積み重ねによって初めて大海戦に挑むことができるのだ。

 とはいえ『艦これ』内でも最も数の多い艦種なだけあって、さすがに全員をまんべんなく育成するというのは難しく、どうしても手に入れた時期や提督の好みによって差が出やすい。裏返せば、提督の嗜好傾向(ロリコン)が最も反映される艦種とも言える。
 そして、なんだかんだで大艦巨砲主義でゴリ押しできる2-4(沖ノ島海域)を早々にクリアした提督が、駆逐艦オンリー編成を要求される3-2(キス島)でドン詰まりするのもお馴染みの傾向。その他の通常海域やイベント海域でも、駆逐艦を編成に入れることでボスまでのルート安定化が組み込まれている場合があり、戦艦バンザイ・空母バンザイの攻略法が通用しないのも『艦これ』の特色であろう。

 兵装の点でいうと、装甲は当然のことながら紙同然なので、一撃で中・大破はあたりまえ。昼戦では命中に耐えることより、高めに設定されている回避力へお祈りせざるを得ない。
 その反面、夜戦においては本来の水雷戦隊らしく、昼戦とは打って変わった戦闘力を発揮。「夕立」改二などは重巡に匹敵する火力を誇り、大型艦を屠ることもある。

 改二は現在のところ、「夕立」「時雨」「響」といった、史実で殊勲を挙げた艦や何らかの強烈なエピソードを持つ艦から実装されている。
 となると、「如月」のような開戦早々に戦没してしまった艦などは、改二となる機会が相当後になってしまうのではないかと思われるが、いずれ全ての艦に改二を実装したいと明言されていることに希望を持ち、史実では披露できなかった戦闘力を、せめて『艦これ』世界では発揮してもらいたいものである。


※ここから、駆逐隊ごとの駆逐艦の戦史解説等

 第二駆逐隊

【開戦時編成】  村雨(艦これ)  夕立(艦これ)  五月雨(艦これ)  春雨

【昭和19年8月再編成】  早霜  秋霜  清霜

 白露型の4隻による編成。開戦時の所属は第四水雷戦隊(「那珂」)。

 太平洋戦争序盤は東南アジア方面の攻略部隊に所属し、スラバヤ沖海戦などを戦う。ミッドウェー海戦ではミッドウェー島への上陸作戦を行う部隊に属していたが、会敵機会は無かった。

 本隊の戦った最も著名な海戦は、昭和17年11月の第三次ソロモン海戦(第一夜戦)であろう。最終的に戦没となったものの、この海戦における「夕立」の奮迅ぶりは、『艦これ』においても改二の実装として評価された。
 一方同僚の「五月雨」は、戦闘中に戦艦「比叡」を誤射して反撃を喰らい、続いて大破・船体放棄となった「夕立」の処分を担当したが、処分用魚雷を命中させるのに失敗するというドジっ娘ぶりを発揮している。

 昭和18年3月のクラ湾夜戦で「村雨」が戦没後、同7月に第二駆逐隊は解隊。残存の「五月雨」と「春雨」は同じ白露型の駆逐隊である第二十七駆逐隊へ移籍する。

 しかし昭和19年8月、夕雲型駆逐艦の「早霜」「秋霜」「清霜」で第二駆逐隊は再編成され、第一遊撃部隊(栗田艦隊)所属でレイテ沖海戦へ参戦する。
 ここで「早霜」が戦没し、直後に第三十一駆逐隊から「朝霜」が編入するが、「秋霜」と「清霜」もフィリピンの戦いで相次いで戦没して駆逐隊は解隊。「朝霜」は最終的に第二十一駆逐隊へ移籍し、戦艦「大和」の水上特攻に殉じることになる。

 第四駆逐隊

【開戦時編成】  舞風(艦これ)  野分  嵐  萩風

【レイテ沖海戦時】  満潮(艦これ)  山雲  朝雲  野分

 陽炎型の4隻による編成。開戦時の所属は第四水雷戦隊(「那珂」)。
 陽炎型の各艦が失われていくと朝潮型駆逐艦が編入され、最終時において「野分」以外の3隻は朝潮型となっていた。

 太平洋戦争序盤は東南アジア攻略部隊に所属し、マレー半島上陸作戦などに参加。南雲機動部隊がこの方面へ転戦してくると「舞風」と「萩風」が小隊として編入、セイロン沖海戦に参加する。
 その後は所属戦隊が軽巡「長良」の第十戦隊に変わり、第一航空艦隊および第三艦隊で空母の護衛担当となって、ミッドウェー海戦・第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦を転戦。ミッドウェーでは、空母「赤城」を処分するという苦杯を味わうことになる。

 空母の会戦が一段落すると、駆逐隊はソロモン諸島への鼠輸送(トーキョー・エクスプレス)に駆り出される。
 高速機動とはいえ、本来の任務とは異なる使用法で駆逐艦の消耗は激しく、この作戦中に起きたベラ湾夜戦(昭和18年8月)で「萩風」と「嵐」が戦没。さらにソロモン放棄後のトラック島空襲で「舞風」が戦没し、駆逐隊での陽炎型は「野分」のみとなる。

 「萩風」「嵐」の戦没直後から、第四駆逐隊へは朝潮型駆逐艦が断続的に編入され、昭和19年8月時点で「野分」以外の艦は全て朝潮型に変わっていた。このため10月のレイテ沖海戦では、性能の統一性を考慮してか「野分」のみ栗田艦隊へ所属し、朝潮型3隻は西村艦隊所属として行動する。

 しかし10月25日、「野分」はサマール島沖海戦からの撤退中に、「満潮」ほか3隻はスリガオ海峡の戦いで戦没。奇しくも第四駆逐隊の全艦が同じ日に全滅するという結果となってしまった。
 『艦これ』の公式四コマで、「舞風」が重巡「筑摩」に「野分」の消息をたずねるコマの元ネタは、本海戦で「野分」が処分した「筑摩」の乗員を救助した後、単独退却中に米軍に発見されて「筑摩」乗員もろとも戦没したことに由来する。

 第六駆逐隊

【開戦時編成】  暁(艦これ)  響(艦これ)  雷(艦これ)  電(艦これ)  編成・出撃任務あり

 特3型(暁型)駆逐艦による編成。開戦時の所属は第一水雷戦隊(「阿武隈」)。

 今や知らぬもの無きとなった部隊。海軍における「駆逐隊」という編成単位を広く知らしめたのは、この第六駆逐隊によるところが非常に大きい。第八駆や第十八駆にも編成任務がついて、徐々に他の駆逐隊へも関心が向けられつつあるが、六駆の人気はこれからも他の追随を許すことはないだろう。

 『艦これ』作中および二次創作などでは、4人(4隻)が常に一緒にいる状態で描かれることが多いが、史実の第六駆逐隊の軌跡をたどると、2隻ずつの分隊行動や単艦行動、他隊の駆逐艦の臨時編入などを行っていることのほうが多い。そもそも初期編成からして、「暁」が就役時は別の駆逐隊(第十駆逐隊)に所属し、同隊が解隊してから第六駆逐隊に加わるという経歴を持っている。

 そして「響」は、終戦後のソ連への引き渡しもさることながら、昭和17年6月のアリューシャン列島攻略戦で損傷して修理に入ったのを期に、たまたま本土にいる駆逐艦だったことから個別の任務を与えられる(キスカ島撤退作戦に「響」だけが参加している等)ようになり、「電」が戦没した輸送作戦に居合わせたのを除き、他の3艦と行動を共にすることはほとんど無かった。

 「暁」は第三次ソロモン海戦第一夜戦で、奮戦したものの戦没。「雷」と「電」は昭和19年4月と5月、輸送作戦中に相次いで潜水艦の襲撃により戦没する。「響」が大戦を生き残り、賠償艦としてソ連へ渡ることになったのは、今や周知の通り。

 なお余談ながら、昭和20年2月頃、海軍は「長門」「鳳翔」「利根」「潮」そして「響」をソ連へ譲り渡し、見返りに石油や鉄を得ようと画策したが、既に対日参戦を企図していたソ連の受け入れるものではなかったという。

 第七駆逐隊

【開戦時編成】  朧(艦これ)  曙(艦これ)  漣(艦これ)  潮(艦これ)

【昭和20年3月編入】  霞(艦これ)

【終戦時編成】  潮(艦これ)  響(艦これ)

 特2型(綾波型)駆逐艦による編成。開戦時の所属は第一航空艦隊。

 「第一航空艦隊」は「南雲機動部隊」のこと。昭和16年4月に一航艦が編成されたとき、第七駆逐隊は一航戦(「赤城」「加賀」)のトンボ釣り(空母の護衛・墜落機の救助担当)として配属。9月に五航戦(「翔鶴」「瑞鶴」)が一航艦に加入すると七駆から「朧」が引き抜かれ、新鋭駆逐艦の「秋雲」とともに五航戦のトンボ釣りに配属された。
 『艦これ』の五航戦編成任務において、「翔鶴」「瑞鶴」のほかに2隻の駆逐艦を加える必要があるのは、この史実による。

 空母機動部隊たる一航艦に配属された第七駆逐隊だったが、ハワイまでの航続距離への不安から真珠湾攻撃の部隊より外され(「秋雲」は参加)、「朧」はグアム島攻撃、「漣」と「潮」はミッドウェー島への牽制活動、「曙」は開戦直前に起こした事故のため内地待機という、隊としては離れ離れの状態で開戦を迎える。

 昭和17年4月、「朧」は七駆を離れて単独で第五艦隊(北方部隊)所属となり、10月にキスカ島への輸送作戦中に空襲を受けて戦没。他の3艦は珊瑚海海戦・アリューシャン攻略作戦の後、もっぱら内地とソロモン諸島方面の輸送任務に従事する。「漣」は鼠輸送にも駆り出され、第一次ベララベラ海戦を戦う。

 昭和19年1月、七駆は全艦が第五艦隊・第一水雷戦隊へ編入されるが、直後に「漣」が米潜「アルバコア」の襲撃により戦没。残る「曙」と「潮」はレイテ沖海戦に参戦、それぞれ重巡「最上」と軽巡「阿武隈」の最期に立ち会う。

 11月13日、多号作戦のためマニラにいた艦隊を米軍が空襲。ここで「曙」が大破着底・船体放棄となる。唯一の残存艦となった「潮」はかろうじて横須賀への帰投を果たし、動くことは不可能だったが浮揚状態で終戦を迎えた。

 なお、昭和20年の第七駆逐隊には一時期、他の隊の死に損ない仲間と呼べる「霞」「響」が所属していたが、「潮」がその時には戦闘不能に陥っていたため第七駆逐隊として「潮」「霞」「響」が行動を共にすることはなかった。

 「霞」は大和特攻に寄りそうため第二十一駆逐隊へ転属、その後に「響」が配属され、「潮」から転送された主砲を装備して最末期の戦いを行った。

 第八駆逐隊

【開戦時編成】  朝潮(艦これ)  大潮(艦これ)  満潮(艦これ)  荒潮(艦これ)  編成・出撃任務あり

 朝潮型の4隻による編成。開戦時の所属は第二水雷戦隊(「神通」)。

 昭和12年にまず「第二十五駆逐隊」として編成。支那事変に関連して中国方面での作戦行動に従事していたが、その年の末に朝潮型駆逐艦のタービン不良が発覚したため、全艦修理へ。復帰後、「第八駆逐隊」に隊名を改められる。

 太平洋戦争では南方攻略部隊に入り、開戦劈頭のマレー半島上陸戦・フィリピン攻略戦などに参加。昭和17年2月、バリ島攻略中に軽巡3・駆逐艦7を擁する連合国軍艦隊が出現、第八駆逐隊のみで交戦となる(バリ島沖海戦)。
 戦力は劣勢だったが各艦の奮戦、敵のオランダ軍と米軍の連携の不味さもあって、これを撃退。「満潮」「大潮」は大きく損傷したため内地へ撤退する。その後の6月、「朝潮」「荒潮」はミッドウェー海戦に参加したが、「最上」「三隈」の救援に向かった際に空襲で損傷。結局全艦が10月(「大潮」は12月)までドック入りとなる。

 10月、八駆は第八艦隊所属となり、ソロモン諸島方面へ出撃。ガダルカナル島への鼠輸送に従事。11月、「満潮」はショートランド島方面で空襲により大破して横須賀へ撤退。入れ替わりに「大潮」が戦線復帰する。

 そして昭和18年、「大潮」が2月に米潜水艦「アルバコア」の襲撃により戦没。続く3月、「朝潮」「荒潮」がビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)において戦没し、「満潮」が修理中のため、これをもって第八駆逐隊は解隊となってしまった。
 11月に戦線復帰した「満潮」は、艦数が減少していた第二十四駆逐隊へ移籍。しかし同隊も4ヶ月後に「満潮」を残して壊滅してしまい、最終的に第四駆逐隊に移籍してレイテ沖海戦へ参加することになる。

 第十駆逐隊

【昭和7年5月編成時】  暁(艦これ)  漣(艦これ)  狭霧

【昭和17年4月編成時】  秋雲(艦これ)  夕雲(艦これ)  巻雲(艦これ)  風雲

 太平洋戦争前の昭和7年から昭和14年までにかけて結成されていたのが特型駆逐艦の3隻体制だった「暁」「漣」「狭霧」のチームである。日中戦争で主に行動していたが、特型を凌ぐ陽炎型の就任に合わせて4隻体制に戻す事が決まり解散した。その後、狭霧は綾波型の霧シリーズ姉妹が待つ第二十駆逐隊へ、暁はお馴染み第六駆逐隊、漣も第七駆逐隊といった姉妹の元へ戻って行った。

 太平洋戦争時代に編成されたのは当時最新鋭駆逐艦であった夕雲型の4隻による編成(と思われていたが、後世の研究により「秋雲」は陽炎型と判明したため、陽炎型1隻・夕雲型3隻による編成)。編成時所属は第十戦隊(「長良」)。

 「秋雲」は一足早く昭和16年9月に就役。第七駆逐隊の「朧」とともに五航戦に配属されて、トンボ釣りとなる。12月の真珠湾攻撃では、航続距離の長さを買われて南雲機動部隊に編入。長駆、ハワイまで出撃する(「朧」ほか第七駆逐隊は航続距離不安から不参加)。

 開戦3日前の12月5日に「夕雲」が就役。翌昭和17年3月から4月には「巻雲」「風雲」が就役し、「秋雲」もこちらへ転属となって駆逐隊を編成する。軽巡「長良」を旗艦とする第十戦隊は、南雲機動部隊で空母護衛にあたる部隊だったが、隊としての初戦となったミッドウェー海戦では沈没した各空母の乗員救助、「巻雲」が「飛龍」の雷撃処分を担当という苦杯を味わうことになる。

 続く第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦でも機動部隊(第三艦隊)の一員として出撃。南太平洋海戦では、大破・放棄された米空母「ホーネット」鹵獲のため「秋雲」「巻雲」が出動。日没と空母の火災により、鹵獲を断念して撃沈作業を行っていたところ、この様子をスケッチしようとした「秋雲」が何度も探照灯を照らし、「巻雲」が慌てるという一幕があった。

 新鋭艦ゆえの高速性を買われてか、ガダルカナル島とキスカ島、両方の撤退作戦に参加している部隊である(ただし「巻雲」はガ島撤退第一次作戦中に戦没)。

 昭和18年10月、「夕雲」は第二次ベララベラ海戦で戦没。直後、第九駆逐隊から「朝雲」が転入してきたが、「秋雲」は昭和19年4月、「風雲」も同6月に戦没し、同7月に第十駆逐隊は解隊。「朝雲」は第四駆逐隊へ移籍してレイテ沖海戦で西村艦隊配属となる。

 第十一駆逐隊

【開戦時編成】  吹雪(艦これ)  白雪(艦これ)  初雪(艦これ)

【開戦前所属】  深雪(艦これ)

【昭和17年3月編入】  叢雲(艦これ)

 特1型(吹雪型)4隻による編成。支那事変前に「深雪」が事故によって喪われ、太平洋戦争開戦時は3隻体制。所属は第三水雷戦隊(「川内」)。

 『艦これ』では主人公(のはず)(いやしかし)(かもしれない)(たぶん)の駆逐艦「吹雪」が所属した駆逐隊。初編成は「吹雪」「白雪」が就役した昭和3年で、隊としての歴史はかなり長い(ただし「深雪」を事故喪失した昭和9年時、「吹雪」は第二十駆逐隊に所属)。

 開戦時は南方攻略作戦に参加し、エンドウ沖海戦・バタビア沖海戦などを戦う。バタビア沖海戦の後、艦数が減少していた第十二駆逐隊が解隊されて、同隊から「叢雲」が編入。4隻体制となる。

 ガダルカナル島をめぐる戦いでは、本隊も他の駆逐隊と同様に鼠輸送へ駆り出され、時にはガダルカナル島への砲撃も敢行している。このころ第二十駆逐隊(「吹雪」が所属していた当時とは別編成)から「夕霧」「天霧」も編入しており、歴代の日本駆逐艦の中でも最優速を持つ特型駆逐艦は鼠輸送の主力だったが、一方で損害も大きかった。

 昭和17年10月、サボ島沖夜戦(ワレアオバ事件)に関連して「吹雪」「叢雲」が相次いで戦没。昭和18年3月、「白雪」はビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)で戦没。同7月に「初雪」がショートランド方面で戦没し、この時点で駆逐隊のオリジナルメンバーは全滅する。その後も「夕霧」「天霧」で隊は維持されたが、同11月に「夕霧」が戦没したため、最後に残った「天霧」が第十九駆逐隊へ移籍して、十一駆は解隊となった。

 ちなみに昭和18年8月、ブイン方面で「天霧」は米軍の水雷艇と交戦、1隻を撃沈したのだが、この水雷艇には後の合衆国大統領が隊員として搭乗していた。

 第十五駆逐隊

【開戦時編成】  黒潮(艦これ)  親潮  早潮  夏潮

【最終時編成】  黒潮(艦これ)  陽炎(艦これ)  親潮

 陽炎型の4隻による編成。開戦時の所属は第二水雷戦隊(「神通」)。

 開戦直前の昭和16年6月、訓練中に「黒潮」「夏潮」「峯雲」(第九駆逐隊)が玉突き衝突事故を起こし、突貫工事で開戦に間に合わせた。
 南方攻略部隊に所属し、フィリピン・蘭印の攻略作戦に参加。この最中の昭和17年2月、「夏潮」が米潜水艦の攻撃によって大破・曳航失敗で沈没となる。同3月、パラオで座礁した空母「加賀」を護衛して本土へ戻り、4月にはふたたびフィリピンへ向かうという慌ただしい運用が続く。

 ミッドウェー海戦後、第十八駆逐隊で「陽炎」以外の艦が戦没もしくは修理となって隊として活動できなくなったため、同艦を編入。ガダルカナル島への鼠輸送、第二次ソロモン海戦(陽炎)、南太平洋海戦(黒潮・親潮・早潮)、ルンガ沖夜戦(黒潮・親潮・陽炎)などの激戦を戦う。この間、昭和17年11月に「早潮」はラエ輸送作戦中の空襲で戦没する。

 そしてこの駆逐隊の悲劇は、昭和18年5月に訪れた。4月末から5月にかけて海軍はコロンバンガラ島への鼠輸送を行っていたが、毎回同じルートを使っていたのを米軍に察知され、機雷をばらまかれてしまったのである。
 5月8日、島からの帰路に全艦が触雷。「黒潮」は轟沈し、「陽炎」「親潮」は大破。米機動部隊の空襲も受けて損害が重なり、漂流の末沈没する。所属艦全滅により、6月20日付で駆逐隊は解隊となった。

 第十六駆逐隊

【開戦時編成】  雪風(艦これ)  初風(艦これ)  天津風  時津風

 陽炎型の4隻による編成。開戦時の所属は第二水雷戦隊(「神通」)。

 “幸運艦”「雪風」が最初に所属していた駆逐隊。太平洋戦争緒戦は南方攻略部隊にあり、フィリピン上陸作戦などに参加。昭和17年2月のスラバヤ沖海戦にも参戦する。6月のミッドウェー海戦では島への上陸部隊を護衛する任務にあたっていたが、空母部隊の壊滅で作戦中止となり、会敵機会は無かった。

 ミッドウェー海戦後は、第三艦隊で空母直衛の第十戦隊(「長良」)に転属。第二次ソロモン海戦では「雪風」「初風」のペアと「天津風」「時津風」のペアに別れて行動し、前者が一航戦(「翔鶴」「瑞鶴」)、後者が二航戦(「龍驤」)の護衛を担当。続く南太平洋海戦では一航戦の護衛となり、海戦終盤まで「瑞鶴」を守った功績で山本五十六長官から感状を受ける栄誉にあずかる。

 しかし昭和17年11月以降、ソロモンの戦局は悪化。第三次ソロモン海戦において「雪風」は戦艦「比叡」を雷撃処分、「天津風」は沈没と勘違いされるほどの大破となる。
 昭和18年に入り、1月にガダルカナル島方面で「初風」が触雷大破。2月のガ島撤退作戦には「雪風」「時津風」が参加して成功するが、翌3月のビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇)でついに「時津風」が戦没する。

 この一連の消耗により、「雪風」「初風」「天津風」は揃っての行動ができなくなってしまい、各々個別に輸送任務やソロモン方面の海戦に参加。昭和18年11月、「初風」はブーゲンビル島沖海戦で戦没する。
 「天津風」は昭和19年1月、輸送任務中に潜水艦の襲撃で大破・船体断裂となって再び戦線離脱。これにより残存艦が「雪風」のみとなってしまったため、3月20日付で十六駆は解隊。「雪風」は陽炎型駆逐隊の第十七駆逐隊へ移籍し、大戦末期のレイテ沖海戦と戦艦「大和」の特攻に参戦することになる。

 なお「天津風」は、1年間の修理の末に三度戦線復帰するが、昭和20年4月10日、台湾方面で自沈となった。

 第十八駆逐隊

【開戦時編成】  陽炎(艦これ)  不知火(艦これ)  霰(艦これ)  霞(艦これ)  編成・出撃任務あり

【昭和19年3月再編成時】  不知火(艦これ)  霞(艦これ)  薄雲

 陽炎型の2隻と朝潮型の2隻による編成。開戦時の所属は第二水雷戦隊(「神通」)だが、真珠湾攻撃参加部隊のため、臨時に第一航空艦隊・第一水雷戦隊(「阿武隈」)。

 駆逐隊は同型艦によって編成されるのが原則だが、十八駆は変則的に別艦型2隻ずつによって構成されていた。理由は不明だが、10隻建造された朝潮型を4隻ずつ(八駆と九駆)編成していって余った2隻と、陽炎型の一番艦・二番艦を寄せ集めたという程度のことかもしれない。

 本来の所属部隊は第二水雷戦隊だったが、真珠湾攻撃へ向かう南雲機動部隊の護衛は、航続距離の問題から当時最新鋭・大型の駆逐艦である陽炎型を中心に編成されることになり、第十七駆逐隊(陽炎型4隻)とともに第一水雷戦隊「阿武隈」の指揮下に入ってハワイへ出撃する。
 その後もセイロン沖海戦まで、南雲機動部隊で空母護衛を担当。ミッドウェー海戦前に第二水雷戦隊に復帰し、同海戦では上陸部隊を担当するが、会敵機会は無かった。

 ミッドウェー海戦直後の昭和17年7月、アリューシャン列島攻略作戦に参加して十八駆は北方へ向かうが、7月5日にキスカ島で潜水艦の襲撃により「霰」撃沈・「霞」「不知火」船体断裂の大損害を被る。駆逐隊の宮坂司令官は責任をとって割腹自決し、唯一健在の「陽炎」は第十五駆逐隊へ移籍。この時点で十八駆は解隊状態となる。

 「不知火」と「霞」は修理完了後、各々個別の輸送任務などに従事。昭和19年3月に至り、第九駆逐隊と合流する形で十八駆は再建されるが、大戦後期の消耗状態らしく、陽炎型(不知火)・朝潮型(霞)・特型(薄雲)の寄せ集め編成だった。

 7月に「薄雲」は択捉島方面で潜水艦の襲撃により戦没。10月のレイテ沖海戦では第五艦隊(志摩艦隊)所属でスリガオ海峡へ突入したが戦果無く、その帰路に「不知火」が空襲で戦没する。
 再び十八駆は解隊。「霞」は臨時編入の第七駆逐隊で多号作戦と北号作戦を戦い、最期は第二十一駆逐隊所属となって戦艦「大和」の特攻に殉じる。

 第十九駆逐隊

【開戦時編成】  磯波(艦これ)  綾波(艦これ)  敷波(艦これ)  浦波

 特型駆逐艦4隻による編成。細かく分けるならば、特1型(磯波)・特1改型(浦波)・特2型(綾波・敷波)という区分になる。開戦時の所属は第三水雷戦隊(「川内」)。

 第十一駆逐隊ともども隊の歴史が古く、初編成は昭和4年(磯波・浦波)。昭和6年に特型の駆逐隊を4隻編成から3隻編成へ改めた際に「磯波」が外れた(「吹雪」「磯波」「東雲」で第二十駆逐隊を編成)が、昭和11年に再び4隻編成に戻されて「磯波」は十九駆に戻ってきた。

 太平洋戦争では開戦劈頭のマレー半島上陸作戦に参加。その後も南方攻略の各作戦に関わるが、「敷波」がバタビア沖海戦、「磯波」がセイロン沖海戦の関連でベンガル湾作戦にそれぞれ単独で参加するなど、状況に応じての個別機動となることも多かった。

 昭和17年6月、ミッドウェー海戦からの帰還中に「磯波」と「浦波」が接触事故を起こし、「磯波」はドック入り。第二次ソロモン海戦は「浦波」「綾波」「敷波」3艦で参加となる。
 続く第三次ソロモン海戦(第二夜戦)は、「綾波」の戦没であるとともに最大の武勇伝となった戦いであり、単艦で敵艦隊の中へ突入する形になりながら、敵駆逐艦3隻を撃沈・撃破するものであった。

 その後の十九駆の各艦は輸送・護衛任務に従事し、時には朝鮮の釜山からニューギニア方面への輸送作戦を行うこともあった。昭和18年9月、「磯波」がインドネシア・セレベス島方面で潜水艦の襲撃により戦没。同12月に解隊となった第十一駆逐隊から「天霧」を編入するが、同艦は昭和19年4月にマカッサル海峡で機雷により戦没する。

 「浦波」「敷波」は昭和19年6月の第二次渾作戦へ第二十七駆逐隊とともに参加するが、敗退。同9月に「敷波」が南シナ海で潜水艦の襲撃により戦没したため、その直後に駆逐隊は解隊。同10月、残存の「浦波」は第一次多号作戦に参加し、米機動部隊の空襲によって戦没となる。

 第二十一駆逐隊

【開戦時編成】  初春(艦これ)  子日(艦これ)  若葉(艦これ)  初霜(艦これ)

【最終時編成】  初霜(艦これ)  霞(艦これ)  朝霜

 初春型4隻による編成。開戦時の所属は第一水雷戦隊(「阿武隈」)。

 後世の評論では“失敗作”とまで言われる艦型の部隊で、実際当時の評価も高くなかったらしく、開戦時は瀬戸内海で待機状態。昭和17年になってから南方方面へ出動するが、主力とは離れた地域での護衛任務に従事する。

 昭和17年5月、ミッドウェー作戦の支作戦であるアリューシャン列島攻略部隊へ編成。ここから二十一駆の苦闘が始まる。7月5日、キスカ島方面で「子日」が潜水艦の襲撃により戦没する。
 アラスカとはいえ米国本土には違いなく、日増しに米軍の反攻が強化。対して日本軍はソロモン方面の戦いで消耗し、北方の戦線維持が難化。昭和18年5月にアッツ島は玉砕する。7月のキスカ島撤退作戦は二十一駆も揃って参加し、第二次作戦中に「若葉」が接触事故で退却するも、作戦は成功をおさめた。

 この後も二十一駆の各艦は、北方・中部太平洋・南西資源地帯の輸送船や空母護衛に駆けまわる。この間、正面主力の決戦に動員されたのはマリアナ沖海戦での「初霜」だけだったが、二十一駆の果たした役割は決して小さくない。

 昭和19年10月、二十一駆はレイテ沖海戦に第五艦隊(志摩艦隊)所属で出撃するが、本隊と別行動中に空襲を受けて「若葉」が戦没。11月には、第五次多号作戦準備中のマニラ空襲で「初春」が戦没となる。
 唯一の残存艦となった「初霜」は、昭和20年2月の北号作戦で本土へ帰投。続いて4月、「霞」「朝霜」との臨時編成で戦艦「大和」の特攻に加わり、奇跡的に生還。最末期は「雪風」の第十七駆逐隊へ移籍し、舞鶴方面で大破着底となって終戦を迎える。

 第二十二駆逐隊

【開戦時編成】  皐月(艦これ)  文月(艦これ)  長月(艦これ)  水無月

 睦月型の4隻による編成。開戦時の所属は第五水雷戦隊(「名取」)。

 大正の末、睦月型駆逐艦が建造され始めた当時より存在していた部隊。昭和7年の第一次上海事変から既に実働経験がある。太平洋戦争の時点では旧式艦扱いのはずだったが、五水戦で南方攻略作戦に出動。昭和17年3月のバタビア沖海戦へも戦列に加わっている。

 南方作戦が終わるとこの方面には第一海上護衛隊が設置され、二十二駆は睦月型よりさらに旧型の、若竹型駆逐艦の部隊(十三駆・三十二駆)ともども編入。東南アジア・南シナ海方面の輸送護衛に従事する。

 しかしソロモン諸島方面の消耗戦は、旧型といえど後方での運用を許さず、昭和18年に入ると二十二駆はソロモンへ動員。ガ島撤退作戦・クラ湾夜戦(「長月」戦没)・コロンバンガラ島沖海戦といった難戦に関わることになる。

 昭和19年2月、「文月」がトラック島空襲で戦没。同6月、「水無月」がフィリピン方面で潜水艦の襲撃により戦没する。同5月に「夕凪」(神風型)を編入していたが、8月20日付で二十二駆は解隊。「皐月」「夕凪」とも、睦月型・神風型の最後の寄せ集め場と化していた第三十駆逐隊へ移籍する。

 第二十三駆逐隊

【開戦時編成】  菊月(艦これ)  卯月(艦これ)  夕月

 睦月型の3隻による編成。開戦時の所属は第一航空艦隊だが、真珠湾攻撃部隊には入れられずグアム島攻略部隊。

 昭和2年に編成された時は「菊月」「三日月」「望月」「夕月」の睦月型後期4隻編成だったが、「夕月」と「睦月」(第三十駆逐隊)がたびたび入れ替わるなどして、なかなかメンバーが安定しなかった。「菊月」「卯月」「望月」は、日米開戦のトリガーのひとつとなった南部仏印進駐作戦にも関わっている。

 昭和16年4月に第一航空艦隊が編成されたとき、二十三駆(「菊月」「卯月」「夕月」「三日月」)は二航戦(「蒼龍」「飛龍」)のトンボ釣りとなっていたが、ハワイまでの航続距離不足を考えて真珠湾攻撃部隊から外される。さらに「三日月」が三航戦(「瑞鳳」「鳳翔」)のトンボ釣りに移籍し、開戦は3隻体制で迎えた。

 昭和17年5月、ソロモン諸島のツラギ島攻略戦中に「菊月」が米機動部隊の攻撃で戦没。残る「卯月」と「夕月」は駆逐隊の再編対象となり、「卯月」は第三十駆逐隊、「夕月」は第二十九駆逐隊へ移籍していった。

 「菊月」の残骸は今もなおツラギ島海岸に残る。

 第二十四駆逐隊

【開戦時編成】  涼風(艦これ)  海風  山風  江風

【昭和18年11月編入】  満潮(艦これ)

 白露型の4隻による編成。開戦時の所属は第四水雷戦隊(「那珂」)。

 太平洋戦争の初期は南方攻略部隊に所属。フィリピンやボルネオ島の攻略作戦に参加する。昭和17年2月のスラバヤ沖海戦には「山風」と「江風」が加わり、本隊の重巡「那智」「羽黒」とともに英重巡「エクセター」との砲雷撃戦を繰り広げた。

 ミッドウェー海戦の後、「山風」は単独で行動中、なんと房総半島沖で米潜水艦に襲撃され戦没する。
 一方、二十三駆は所属が四水戦から二水戦(「神通」)へ変わり、第二艦隊主力の一角として第二次ソロモン海戦と南太平洋海戦に参加。その後はガダルカナル島への鼠輸送も行い、「江風」「涼風」はルンガ沖夜戦を戦う。

 昭和18年8月、「江風」がベラ湾夜戦で戦没して所属艦が半減となったため、第八駆逐隊唯一の残存艦「満潮」を編入。しかしその3ヶ月後の昭和19年1月に「涼風」、2月に「海風」も相次いで潜水艦の襲撃を受けて戦没となり、またしても部隊唯一の残存艦となった「満潮」は、第四駆逐隊へ移籍してレイテ沖海戦を迎えることになる。

 第二十七駆逐隊

【開戦時編成】  白露(艦これ)  時雨(艦これ)  有明  夕暮

【昭和18年11月編入】  五月雨(艦これ)  春雨

 白露型の2隻と初春型の2隻による編成。開戦時の所属は第一水雷戦隊(「阿武隈」)。

 初編成時は横須賀鎮守府所属の第九駆逐隊。のち佐世保鎮守府に所属が変わり、隊番号も二十七に変更となる。“幸運艦”「佐世保の時雨」の由来である。

 開戦時は第二十一駆逐隊と同様に内地で待機状態。明けて昭和17年から最前線へ出動し、5月には五航戦(「翔鶴」「瑞鶴」)の護衛として珊瑚海海戦に参加する。ミッドウェー海戦後はニューギニア・ソロモン方面への鼠輸送任務に従事することが多くなり、僚艦が空襲や事故で損傷・後退していく中で、唯一大きな損害なく動き続けた「時雨」の働きは、天皇の奏聞に達するほどだったという。

 しかしソロモンの大消耗戦は駆逐艦戦力を容赦なく削り取り、昭和18年7月に「有明」「夕暮」が相次いで戦没。同11月、同じく戦力が半減していた白露型部隊の第二駆逐隊を吸収する形で、「春雨」と「五月雨」が編入する。このころ、所属水雷戦隊も一水戦から二水戦(「能代」)に変わる。

 昭和19年6月、二十七駆はビアク島防衛のための第二次渾作戦に出動するが、ここで「春雨」が戦没。続くマリアナ沖海戦の直前には「白露」が衝突事故で喪われ、8月には「五月雨」がパラオ方面で潜水艦の襲撃により戦没する。
 これにより二十七駆は「時雨」のみとなり、資料によっては駆逐隊解隊としているものもある。詳細は不明だが、「時雨」は西村艦隊でレイテ沖海戦を迎えることになる。

 その後昭和20年1月末、「時雨」はマレー方面において潜水艦の襲撃で戦没。白露型は、太平洋戦争で全滅した駆逐艦型のひとつとなった。

 第三十駆逐隊

【開戦時編成】  睦月(艦これ)  如月(艦これ)  望月(艦これ)  弥生(艦これ)  編成・出撃任務あり

【昭和18年3月再編成時】  望月(艦これ)  三日月(艦これ)  卯月(艦これ)

 睦月型の4隻による編成。開戦時の所属は第六水雷戦隊(「夕張」)。

 六水戦は中部太平洋方面の哨戒を担当する第四艦隊の所属で、ほかに同艦隊に所属しているのは軽巡「天龍」「龍田」、神風型駆逐艦の第二十九駆逐隊など、明らかに老朽・二線級の部隊だった。
 開戦当初、六水戦と三十駆はウェーク島攻略戦を行うが、早くも「如月」を撃沈されるという失態を犯してしまう。

 昭和17年に入り、ラバウルなど南太平洋方面の要衝攻略に参加。5月、解隊された第二十三駆逐隊から「卯月」を編入し、再び4隻体制となる。そして戦線がソロモン方面へ移ってくると、同じ睦月型部隊の二十二駆ともどもガダルカナル島をめぐる戦いへ駆り出され、8月22日に「睦月」「弥生」「望月」が初めてガ島に対する艦砲射撃を行った。
 この砲撃戦の帰路、「睦月」は空襲により戦没。翌9月には「弥生」も戦没し、「望月」と「卯月」は各々別任務を与えられるようになったため、昭和17年12月1日付でいったん三十駆は解隊となる。

 昭和18年3月、駆逐隊は「望月」「卯月」に「三日月」を加えて再編されるが、この後の約2年間、三十駆は睦月型と神風型の墓場のような部隊となった。
 7月に「三日月」、10月に「望月」が戦没して、たちまち「卯月」単艦に。11月以降、「夕月」「松風」「秋風」「夕凪」「皐月」「汐風」「旗風」が次々と編入してくるが、「松風」「夕凪」「皐月」は編入から一~二ヶ月のうちに戦没。「汐風」「旗風」はほとんど便宜的編入で、駆逐隊としての連携など取れたものではなかった。

 そして昭和19年末の第九次多号作戦において、「卯月」と「夕月」が戦没。唯一残った「汐風」は本土へ帰り着き、第一駆逐隊所属で終戦を迎える。

 睦月型も、太平洋戦争で全滅した駆逐艦型のひとつであった。

 第三十一駆逐隊

【昭和17年8月新編成時】  長波(艦これ)  巻波

【レイテ沖海戦時】  長波(艦これ)  沖波  岸波  朝霜

 夕雲型による編成。新編成時の所属は第二水雷戦隊(「神通」)。

 夕雲型駆逐艦は、ネームシップ「夕雲」が開戦の3日前に就役したのを除いて、全艦が太平洋戦争中の登場。このうち、

  • 「夕雲」(1番)「巻雲」(2番)「風雲」(3番)と「秋雲」は第十駆逐隊
  • 「早霜」(17番)「秋霜」(18番)「清霜」(19番)が第二駆逐隊(再編)

を編成し、残る「長波」(4番)から「沖波」(16番)までの各艦は、第三十一駆逐隊か第三十二駆逐隊で編成された。

 夕雲型は改・陽炎型の最新鋭であり、ソロモン方面での大消耗で駆逐艦事情が逼迫していたため、就役後すぐに最前線へ投入されていったのだが、それだけに早期戦没も多く、「高波」(6番)などは三十一駆へ編成されたわずか二ヶ月後にルンガ沖夜戦で戦没している。
 最終的に夕雲型駆逐艦は太平洋戦争で全滅してしまうのだが、「夕雲」が昭和18年10月に戦没したときに13番艦「浜波」以降の艦は、まだ就役していなかった。全19姉妹の姿を知っているのは「長波」だけである。

 キスカ島撤退作戦にも参加し、夕雲型で最長の戦歴を持った「長波」は、昭和19年11月の第三次多号作戦で戦没。他の夕雲型各艦もレイテ沖海戦や多号作戦で次々と戦没してしまい、昭和20年2月までに夕雲型の各駆逐隊は解隊。唯一の残存艦「朝霜」は第二十一駆逐隊に移り、最後は戦艦「大和」の特攻へ参加することになる。

 駆逐隊に編成されなかった「島風」

【第二水雷戦隊附属】  島風(艦これ)

 史上最速を誇った駆逐艦「島風」が、その性能の特異性ゆえに部隊から浮いた存在となっていたことは、今やよく知られるところとなった。駆逐艦はふつう同型艦3隻ないし4隻で駆逐隊を組み、軽巡洋艦の引率を受けて水雷戦隊として戦うものだからだ。

 「島風」も本来は同型艦16隻を建造予定だったというが、量産に向かない性能、そして太平洋戦争が戦艦・水雷戦隊のものから空母機動部隊のものへと変化していたことにより、「島風」はついに1隻のみの建造となってしまった。

 昭和18年5月の就役後まもなく、キスカ島撤退作戦に参加。その後は第二水雷戦隊に所属となるが、同性能・類似性能の駆逐艦がいないため駆逐隊には入れず、“附属”という曖昧な位置づけのままで各地の輸送任務を遍歴。マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦では主力艦隊の一員となるが、高速を活用する単縦陣ではなく、空母・戦艦を護衛する輪形陣の一角を占めるだけだった。

 レイテ沖海戦で二水戦の旗艦「能代」が戦没したため、当時その場にいた艦のなかでは大型で、単独行動状態だった「島風」が、駆逐艦としては異例の水雷戦隊旗艦となったのは、ある意味皮肉。そして、かつてのガダルカナル島への鼠輸送を思わせるかのようなレイテ島オルモックへの多号作戦中、「島風」は米軍の空襲を受ける。
 持ち前の高速で爆弾・魚雷を回避し続けた「島風」だが、機関銃掃射や至近弾などの中小損害で、二水戦の早川司令官が戦死。そして高速で走り回った「島風」の機関部はついに悲鳴を上げ、爆発してしまった。

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