駆逐艦(艦これ) 単語


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※この項目では、『艦隊これくしょん~艦これ~』における「駆逐艦」について、史実解説を中心に記述しています。

概要

まったく、駆逐艦は最高だぜ!!

“兵站ゲーム”とされる『艦これ』において、駆逐艦はゲーム進行上もっとも重要な資源集めに必須の艦種である。どこかの島国の海軍がこれに無関心なばかりに、ついに全てを滅ぼしてしまったのは、今や皆が知るところとなった。
戦(いくさ)は、小さいことの積み重ねによって初めて大海戦に挑むことができるのだ。

とはいえ『艦これ』内でも最も数の多い艦種なだけあって、さすがに全員をまんべんなく育成するというのは難しく、どうしても手に入れた時期や提督の好みによって差が出やすい。裏返せば、提督の嗜好傾向(ロリコン)が最も反映される艦種とも言える。
そして、なんだかんだで大艦巨砲主義でゴリ押しできる2-4(沖ノ島海域)を早々にクリアした提督が、駆逐艦オンリー編成を要求される3-2(キス島)でドン詰まりするのもお馴染みの傾向。その他の通常海域やイベント海域でも、駆逐艦を編成に入れることでボスまでのルート安定化が組み込まれている場合があり(往々にして、そのマップのモチーフとなった海戦で活躍した艦が組み込まれることが多い)、戦艦バンザイ・空母バンザイの攻略法が通用しないのも『艦これ』の特色であろう。

性能の点でいうと、装甲は当然のことながら紙同然なので、一撃で中・大破はあたりまえ。昼戦では命中に耐えることより、高めに設定されている回避力へお祈りせざるを得ない。
その反面、夜戦においては本来の水雷戦隊らしく、昼戦とは打って変わった戦闘力を発揮。「夕立」改二などは重巡に匹敵する火力を誇り、大型艦を屠ることもある。

改二は現在のところ、「夕立」「時雨」「響」といった、史実で殊勲を挙げた艦や何らかの強烈なエピソードを持つ艦から実装されている。
となると、「如月」のような開戦早々に戦没してしまった艦などは、改二となる機会が相当後になってしまうのではないかと思われていたが、こちらも「睦月」共々改二が実装された。(アニメのお詫び?なんのことやら)
ただ、現時点では乙型(秋月型)・丙型(島風型)駆逐艦には改二は実装されていない。とはいえ、運営はいずれ全ての艦に改二を実装したいと明言しているので、未だ改二がない艦も希望を持ち、史実では披露できなかった戦闘力を、せめて『艦これ』世界では発揮してもらいたいものである。


※ここから、艦型ごとの駆逐艦の戦史解説等。艦名が太字になっているものは改二実装艦、太字斜体は乙改・丁改実装艦を意味する。

神風型(2代)

(参照) 神風型姉妹

【1】 神風(艦これ) 【4】 松風(艦これ) 【7】 疾風
【2】 朝風(艦これ) 【5】 旗風(艦これ) 【8】 朝凪
【3】 春風(艦これ) 【6】 追風 【9】 夕凪

現在『艦これ』に実装されている中では、最古参の艦型となる駆逐艦。史実の太平洋戦争へ直接的に参戦した駆逐艦型で、これ以前のものには峯風型がある。

八八艦隊計画(1918年度計画)による建造。「睦月型」との相違は魚雷が球磨型軽巡洋艦と同じ「53cm魚雷」であったこと程度である。

八八艦隊計画では100隻以上の駆逐艦建造が予定され、艦名のネタ切れを考慮して計画の駆逐艦は番号のみで呼称されており、建造当初は番号制だったが、昭和3年に睦月型共々固有の艦名が付与された。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
大湊要港部 大湊防備隊 第一駆逐隊 「神風」
「野風」「沼風」「波風」(峯風型)
第三艦隊
(南遣艦隊)
第五水雷戦隊 (名取) 第五駆逐隊 「朝風」「春風」「松風」「旗風」
第四艦隊 第六水雷戦隊 (夕張) 第二十九駆逐隊 「追風」「疾風」「朝凪」「夕凪」

建造から19年以上が経過した太平洋戦争において、神風型の各艦はいずれも旧型・二線級というべき扱いではあったが、広大な太平洋の戦域ではそのようなことも言っておられず、前級の峯風型と駆逐隊を組む「神風」を除くと開戦当初から前線へ投入された。大戦最初期の喪失艦となったのは「睦月」らとともにウェーク島攻略作戦で喪われた「疾風」である。

昭和17年に入ると、第四艦隊の担当していたラバウル・ソロモン諸島方面が日米両軍の激突する最前線域となり、同艦隊に主に所属していた神風型部隊も容赦なく戦闘へ投入された。

第一駆逐隊は昭和19年頃までほぼ一貫して大湊を拠点に第五艦隊共々北方におり、北方海域の船団護衛に従事。最末期には南方進出を命じられ北号作戦で本土に帰還する日向らを「護衛」し、南方に残された「羽黒」「足柄」の最後を看取る。「神風」は終戦時シンガポールを拠点にする最後の稼働艦として軍艦旗をはためかせていた。

5駆、29駆の各艦は戦中睦月型22駆(夕凪)・30駆(松風・旗風等)の穴埋めや海上護衛隊へ編入。船団護衛や各戦場で次々と喪われていく。その中で春風は艦尾が喪われた状態ではあったが仮復旧状態にて自力で本土に回航。日本本土で終戦を迎えた。

睦月型

(参照) 睦月型姉妹 睦月型駆逐艦

【1】 睦月(艦これ) 【5】 皐月(艦これ) 【9】 菊月(艦これ)
【2】 如月(艦これ) 【6】 水無月(艦これ) 【10】 三日月(艦これ)
【3】 弥生(艦これ) 【7】 文月(艦これ) 【11】 望月(艦これ)
【4】 卯月(艦これ) 【8】 長月(艦これ) 【12】 夕月

サービス開始時『艦これ』に実装されている中で最古参の艦型となる駆逐艦。2016年5月に前級となる神風型が実装された。

大正12年度艦艇補充計画による建造。ワシントン海軍軍縮条約で八八艦隊計画が消滅してから最初の軍備計画の下に造られたもので、いわば軍縮期を象徴する艦型のひとつである。また、現在『艦これ』の駆逐艦がレベル1の段階で装備している「61cm魚雷」(酸素魚雷ではない)を、最初に武装した駆逐艦型でもある。

八八艦隊計画では100隻以上の駆逐艦建造が予定され、艦名のネタ切れを考慮して計画の駆逐艦は番号のみで呼称されており、睦月型も建造当初はこの名残で番号制だったが、昭和3年に固有の艦名が付与された。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第三艦隊
(南遣艦隊)
第五水雷戦隊 (名取) 第二十二駆逐隊 「皐月」 「水無月」 「文月」 「長月」
(第一航空艦隊)

第四艦隊
(第二航空戦隊)

第六水雷戦隊 (夕張)
第二十三駆逐隊 「菊月」 「卯月」 「夕月」
第一艦隊 第三航空戦隊 (トンボ釣り) 「三日月」
第四艦隊 第六水雷戦隊 (夕張) 第三十駆逐隊 「睦月」 「如月」 「弥生」 「望月」

建造から15年以上が経過した太平洋戦争において、睦月型の各艦はいずれも旧型・二線級というべき扱いではあったが、広大な太平洋の戦域ではそのようなことも言っておられず、開戦当初から前線へ投入された。大戦最初期の喪失艦となったのは「如月」である。

昭和17年に入ると、第四艦隊の担当していたラバウル・ソロモン諸島方面が日米両軍の激突する最前線域となり、同艦隊に主に所属していた睦月型部隊も容赦なく戦闘へ投入。8月22日、第三十駆逐隊(「睦月」「弥生」「望月」)は初めてガダルカナル島に対する艦砲射撃を行った。
東南アジア方面で輸送船護衛を行っていた第二十二駆逐隊もソロモンをめぐる戦いへまわされ、ガ島撤退作戦・コロンバンガラ島沖海戦などの難戦に参加する。

こうした厳しい戦況の中で睦月型駆逐艦は次々と喪われ、二十二駆・二十三駆は隊が維持できなくなり解隊。残存艦は三十駆へ集約編成されるが、「皐月」は隊編入からわずか一ヶ月後に戦没するなど、同隊は睦月型の墓場の様相を呈した。
そして昭和19年末、最後の生き残りである「卯月」「夕月」が第九次多号作戦で戦没。駆逐隊も解隊され、睦月型は太平洋戦争で全滅した駆逐艦型のひとつとなった。

※『艦これ』編成任務 第三十駆逐隊「第一次」と「第二次」

  • 【第一次】 (開戦時編成) : 「睦月」 「如月」 「弥生」 「望月」
  • 【第二次】 (昭和17年5月、二十三駆解隊後) : 「睦月」 「卯月」 「弥生」 「望月」

※『艦これ』編成任務 第三十一戦隊(第三十駆逐隊)

  • (新規編成時) 「五十鈴」(改二;旗艦) 「皐月」(改二) 「卯月」

特型(吹雪型)

(参照) 吹雪型駆逐艦

<特1型 (吹雪型)> (参照) 吹雪型姉妹

【1】 吹雪(艦これ) 【5】 叢雲(艦これ) 【9】 磯波(艦これ)
【2】 白雪(艦これ) 【6】 東雲 (特1型改)
【3】 初雪(艦これ) 【7】 薄雲 【10】 浦波(艦これ)
【4】 深雪(艦これ) 【8】 白雲

<特2型 (綾波型)> (参照) 綾波型姉妹

【11】 綾波(艦これ) 【15】 天霧(艦これ) 【18】 曙(艦これ)
【12】 敷波(艦これ) 【16】 狭霧(艦これ) 【19】 漣(艦これ)
【13】 朝霧 【17】 朧(艦これ) 【20】 潮(艦これ)
【14】 夕霧

<特3型 (暁型)> (参照)(  第六駆逐隊 )

【21】 暁(艦これ) 【23】 雷(艦これ)
【22】 響(艦これ) 【24】 電(艦これ)

ワシントン軍縮条約によって戦艦の増強を断念させられ、巡洋艦・駆逐艦の高火力化で戦力の拡充を図った日本海軍が生み出したもので、夕張型軽巡・古鷹型重巡に続く本型の登場がアメリカ・イギリスの警戒心を招き、昭和5年ロンドン海軍軍縮会議開催の要因のひとつになったともいわれる。
(ロンドン会議でアメリカ海軍の軍人が、特型50隻と米国駆逐艦300隻を交換して欲しいと言ったとか)

必ずしも余裕があるとは言い難い大きさの船体に、駆逐艦では初となる12.7cm砲を搭載し、61cm魚雷を装備。その重量に対して睦月型を上回る38ノットの高速を発揮する特型は、日本海軍史上の傑作に数えられる。
また、駆逐艦では初めて冷蔵庫を持ち、これによって長期間の外洋での活動が可能となった。

八八艦隊計画では100隻以上の駆逐艦建造が予定され、艦名のネタ切れを考慮して計画の駆逐艦は番号のみで呼称されており、特型も綾波までの11隻は建造当初はこの名残で番号制だったが、昭和3年に固有の艦名が付与された。敷波以降は固有の艦名が付与されるようになってから起工したために番号名は付与されていない。

特型の24隻は上の一覧のように、建造期間中に種々の改訂が取り入れられたため、大きく3パターンに分けられる。『艦これ』ではこの点を踏まえて、各パターンごとに絵師・声優を振り分けている(「叢雲」は太平洋戦争時に所属駆逐隊を変更された戦歴があり、特1型の中でも更に絵師を変更)。
見分ける特徴としては、

  • 主砲 : 特1型A型砲(仰角40度まで) 特2型特3型B型砲(仰角75度まで可能)
  • 機関 : 特1型特2型は四缶 特3型は三缶(これにより一番煙突が細くなった)
  • 浦波 : 特2型として建造されていたが、ジュネーブ軍縮会議(1927年)対策のために完成を急がれ、船体は特2型だが主砲は特1型のA型砲を搭載された。このため「特1型改」または「特2A型」と小分類されることがある。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第一艦隊 第一水雷戦隊 (阿武隈) 第六駆逐隊 「暁」 「響」 「雷」 「電」
第三水雷戦隊 (川内) 第十一駆逐隊 「吹雪」 「白雪」 「初雪」
「深雪」(昭和9年、事故により喪失)
第十二駆逐隊 「叢雲」 「東雲」 「白雲」
「薄雲」(昭和15年、事故修理のため離脱の後、舞鶴防備隊へ転出)
第十九駆逐隊 「磯波」 「綾波」 「敷波」 「浦波」
第二十駆逐隊 「天霧」 「朝霧」 「夕霧」 「狭霧」
第一航空艦隊 第一航空戦隊 第七駆逐隊 「漣」 「曙」 「潮」
第五航空戦隊 (トンボ釣り) 「朧」
「秋雲」(陽炎型)

太平洋戦争開戦時、特型駆逐艦のほとんどは第三水雷戦隊に所属して東南アジア方面の攻略作戦に参加。第六駆逐隊も南方攻略部隊に加わっている。
一方第七駆逐隊は編成上、第一航空艦隊(南雲機動部隊)所属となっているが、航続可能距離不足の懸念から真珠湾攻撃部隊への参加を外され、開戦後は第四艦隊の指揮下で中部太平洋方面作戦や珊瑚海海戦を戦う。

ガダルカナル島をめぐる攻防戦が始まると、特型の各艦は高速性と夜戦能力を活かした同島海域への突入戦・強行物資輸送(鼠輸送/東京急行)に駆り出される。大乱戦となった第三次ソロモン海戦での「暁」「綾波」の激闘が名高い。

最後の決戦となったマリアナ沖海戦・レイテ沖海戦のとき、特型は既に6隻(「薄雲」「浦波」「敷波」「曙」「潮」「響」)を残すのみとなっていた。
※「薄雲」はマリアナ沖海戦後北方海域で、「敷波」は本土回航護衛任務中戦没。

制海権・制空権を失っての苦闘の中で更に4隻(マリアナ沖海戦後から)を失い、大戦を生き残ったのは「潮」と「響」の2隻。海軍の一時代を築いた特型駆逐艦、最後の行動可能艦「響」は終戦後、賠償艦としてソ連へ引き渡され、航行不能状態の「潮」はひっそりと解体された。

初春型

(参照) 初春型姉妹 初春型駆逐艦

【1】 初春(艦これ) 【3】 若葉(艦これ) 【5】 有明
【2】 子日(艦これ) 【4】 初霜(艦これ) 【6】 夕暮

特型の後継として計画された駆逐艦型。ロンドン軍縮条約の結果、駆逐艦についても制限を受けるようになったことから、特型よりさらに小型の船体へ特型並みの重武装を持たせて、戦力の維持・拡張を図ろうとするものだった。

しかしその武装詰め込みは、一番艦「初春」が公試において、艦の重心上昇により少しの傾斜すら回復できないという重大な欠陥を露呈。加えて友鶴事件や第四艦隊事件の発生でトップヘビーが問題視されたことから、初春型は武装削減・船体補強を余儀なくされる。
『艦これ』ではこの点を踏まえて、建造に改修された「初春」「子日」と、建造に改修となった「若葉」「初霜」で、絵師を変えている(「有明」「夕暮」は設計段階から変更されているので、実装された場合は更に絵師・声優が変えられるのだろうか?)。

この結果、戦闘艦としての性能が低下(魚雷9門から6門へ減数。速力37ノットから33ノットに減速。ただし主砲はB型連装砲2基とA型単装砲1基で変わらず、また魚雷の次発装填装置を初めて装備した艦型である)。海軍からは見切りをつけられ、建造数も予定の半数で打ち切られてしまい、後世の評論では“失敗作”の烙印を押される。

“初春改良型”である次級・白露型とともに、就役して最初の編成が第二水雷戦隊では無かった艦型である。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第一艦隊 第一水雷戦隊 (阿武隈) 第二十一駆逐隊 「初春」 「子日」 「若葉」 「初霜」
第二十七駆逐隊 「有明」 「夕暮」
「白露」 「時雨」 (白露型)

性能に対する不安視からか、開戦直後は前線に出されず内地待機。その後も二十七駆が珊瑚海海戦に参加した以外は、もっぱら輸送護衛や副次的方面での活動となるが、しかしそのあまり表に出ない部分の戦いこそ、日本海軍がもっと重視すべきだった戦いであり、これの苦闘を続けた初春型諸艦の戦功は小さくない。

昭和20年、初春型最後の残存艦「初霜」は、戦艦「大和」の水上特攻に従う。米軍の猛攻を奇跡的にくぐり抜けた「初霜」は、撃沈された軽巡「矢矧」から第二水雷戦隊の首脳陣を救助する。
このため同艦が一時的に二水戦の旗艦となり、その後行われた二水戦の解隊式は、かつて“欠陥品”として戦隊編入を見送られた初春型駆逐艦において行われたのだった。

白露型

(参照) 白露型姉妹 白露型駆逐艦

【1】 白露(艦これ) 【5】 春雨(艦これ) 【8】 山風(艦これ)
【2】 時雨(艦これ) 【6】 五月雨(艦これ) 【9】 江風(艦これ)
【3】 村雨(艦これ) 【7】 海風(艦これ) 【10】 涼風(艦これ)
【4】 夕立(艦これ)

性能問題から建造打ち切りとなった、初春型の改良版として造られた駆逐艦型。主砲に新型のC型砲(仰角55度。B型砲が重心上昇の一因になっていたことに対応)を装備し、魚雷発射管も初春型までの三連装から四連装に変わって、初春型より強力な武装を持った。
(※「夕立」は研究により、主砲がB型改二へ換装されていることが判明。『艦これ』では「夕立改二」の標準装備として登場。C型改二(if装備)は村雨改二で実装。)

七番艦「海風」以降の艦は船体改修が行われていて、ここから「海風型」もしくは「後期白露型」と呼ぶことがある。
『艦これ』で十番艦「涼風」の絵師・声優が変わっているのはこの点を踏まえてのものと思われるが、「涼風」の担当絵師・声優は、まだ「前期白露型」の六番艦「五月雨」から採用になっており、『艦これ』の基準からすると混乱が見られる(製作時の勘違いか、それとも他に理由?)

建造は14隻を予定されていたが、昭和12年、日本はワシントン・ロンドンの両軍縮条約から脱退。海軍を縛り続けてきた条約の制限が無くなったため、条約対応の本型は10隻で打ち切られ、朝潮型に移行する。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第一艦隊 第一水雷戦隊 (阿武隈) 第二十七駆逐隊 「白露」 「時雨」
「有明」 「夕暮」 (初春型)
第二艦隊 第四水雷戦隊 (那珂) 第二駆逐隊 「村雨」 「夕立」 「春雨」 「五月雨」
第二十四駆逐隊 「海風」 「山風」 「江風」 「涼風」

※27駆編成任務は改初春型没後の「春雨」「五月雨」を含む編成。

初春型と同様、就役後の初編成が第二水雷戦隊では無かったところに、海軍の本型に対する評価の一端が伺えるが、しかしいざ開戦となると、準・二水戦である四水戦所属の二駆・二十四駆が序盤から南方攻略作戦で活動。開戦を内地で迎えた二十七駆も、珊瑚海海戦以降ラバウル方面で活動するようになり、ガダルカナル島・ソロモン海の攻防戦が始まると、全隊がこの大消耗戦に引きずり込まれていく。

「雪風」と並ぶ強運と戦功を積み重ねた「時雨」、第三次ソロモン海戦での「夕立」無双など、第一線での逸話に事欠かない白露型各艦だったが、それは同時にアイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)の犠牲でもあった。

昭和19年10月までに「時雨」以外の白露型は全て戦没。「時雨」はレイテ沖海戦で西村艦隊の一員としてスリガオ海峡へ突入、ここでも生還を果たす。
しかし翌昭和20年1月、輸送任務中に潜水艦の襲撃を受けた「時雨」はここで戦没となり、白露型駆逐艦は大戦において全艦喪われることとなった。

朝潮型

(参照) 朝潮型姉妹 朝潮型駆逐艦

【1】 朝潮(艦これ) 【5】 朝雲(艦これ) 【8】 峯雲(艦これ)
【2】 大潮(艦これ) 【6】 山雲(艦これ) 【9】 霞(艦これ)
【3】 満潮(艦これ) 【7】 夏雲 【10】 霰(艦これ)
【4】 荒潮(艦これ) ※「艦これ」図鑑では「霰」が9番艦、「霞」が10番艦扱い

軍縮条約脱退から最初の駆逐艦型。条約の制限に依らない強度と重武装、加えて対米戦争を見すえて長い航続距離を持つことが求められ、次級・陽炎型につながる無条約時代型艦のモデルとなった。

主砲はC型連装砲を3基。魚雷は四連装発射管2基で、打撃力を強化。更に初春・白露型より船体重量を500トン増し、これによって安定性の確保と燃料タンクの増量が可能となり、速力以外では特型を上回る能力を発揮できる朝潮型は、条約時代の閉塞感を一掃するものだった。

一方で「荒潮」の就役直後、それまでに完成していた朝潮型駆逐艦のタービン翼に次々と破損が見つかり、一時は海軍の全艦艇に問題があるのではないかという騒ぎが起こった(臨時機関調査会=臨機調事件)。結果、朝潮型特有の問題とわかり、八番艦「峯雲」までの各艦は順次タービンの修理を行った。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第二艦隊 第二水雷戦隊 (神通) 第八駆逐隊 「朝潮」 「大潮」 「満潮」 「荒潮」
第四水雷戦隊 (那珂) 第九駆逐隊 「朝雲」 「夏雲」 「山雲」 「峯雲」
(第二艦隊)

第一航空艦隊
(第二水雷戦隊)

一水戦「阿武隈」指揮下
第十八駆逐隊 「霰」 「霞」
「陽炎」 「不知火」 (陽炎型)

開戦時、二水戦・四水戦の主力を構成する朝潮型各艦は、南方攻略作戦に出撃。一方、陽炎型の「陽炎」「不知火」と艦型違いの変則的部隊に所属していた「霰」と「霞」は、真珠湾攻撃に向かう第一航空艦隊(南雲機動部隊)の護衛へ編成され、長駆ハワイまで出動する。

『艦これ』では、初期に実装されていた6隻が駆逐隊編成任務の対象となっている艦型であるが、それとは裏腹に史実の朝潮型駆逐艦は、出撃のたびに誰かが大破して損傷修理に後退。残ったメンバーで出動するとまた誰かが大破、時には戦没となり、隊の離合集散が激しかった。

修理中に僚艦が全滅し、解隊となった八駆から二十四駆、四駆と渡り歩いた「満潮」は、同じ朝潮型残存艦の「山雲」「朝雲」とともに西村艦隊でレイテ沖海戦に参加、スリガオ海峡で3隻とも戦没する。
※17年秋イベに併せて、西村艦隊全7隻を第三艦隊に編成する任務も実装され、本型式は全ての艦が何らかの編成任務に関わる型式となった。

同様に僚艦を失いながら駆逐隊を転々としてきた「霞」も、最後は戦艦「大和」の水上特攻に殉じて戦没。これにより朝潮型駆逐艦は、大戦において全滅となった。

陽炎型

(参照) 陽炎型姉妹 陽炎型駆逐艦

【1】 陽炎(艦これ) 【8】 雪風(艦これ) 【14】 谷風(艦これ)
【2】 不知火(艦これ) 【9】 天津風(艦これ) 【15】 野分(艦これ)
【3】 黒潮(艦これ) 【10】 時津風(艦これ) 【16】 嵐(艦これ)
【4】 親潮(艦これ) 【11】 浦風(艦これ) 【17】 萩風(艦これ)
【5】 早潮 【12】 磯風(艦これ) 【18】 舞風(艦これ)
【6】 夏潮 【13】 浜風(艦これ) 【19】 秋雲(艦これ)
【7】 初風(艦これ)

日本海軍駆逐艦のひとつの完成形となった駆逐艦型。戦艦「大和」などを建造する第三次艦艇補充計画(マル三計画)によって量産が始まり、開戦直前に「秋雲」が完成して全艦出揃った(なお予算審議において、大和型戦艦のための水増し経費として、3隻の架空の陽炎型建造費を計上していたことが後世知られている)

九三式酸素魚雷を標準装備していた初の駆逐艦(ただし『艦これ』ではそうなっておらず、「陽炎」「不知火」などが改になってから持ってくる)。日本海軍念願の艦隊決戦用・重雷装駆逐艦であり、エリート部隊たる第二水雷戦隊の中核戦力であった。

「秋雲」は既に部隊編成が定まった開戦直前の就役ということもあり、デビューは水雷戦隊ではなく五航戦のトンボ釣りで、後の編成変えでも次級・夕雲型の「夕雲」「巻雲」「風雲」と駆逐隊を組んでいたこと、「~雲」のネーミングなどから長らく夕雲型駆逐艦に分類されていたが、平成以後の新たな研究成果により、陽炎型駆逐艦へ分類されるようになった(確定したわけではない)
この経緯から、『艦これ』では「秋雲」を陽炎型19番艦としながらも、声優と衣装のデザインを「夕雲」ら夕雲型駆逐艦と同じにしている。

<太平洋戦争開戦時 所属艦隊・戦隊・駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第二艦隊 第二水雷戦隊 (神通) 第十五駆逐隊 「黒潮」 「親潮」 「早潮」 「夏潮」
第十六駆逐隊 「雪風」 「初風」 「天津風」 「時津風」
第四水雷戦隊 (那珂) 第四駆逐隊 「舞風」 「萩風」 「野分」 「嵐」
(第一艦隊)

第一航空艦隊
第一水雷戦隊 (阿武隈) 第十七駆逐隊 「浦風」 「谷風」 「浜風」 「磯風」
(第二艦隊)

第一航空艦隊
(第二水雷戦隊)

一水戦「阿武隈」指揮下
第十八駆逐隊 「陽炎」 「不知火」
「霰」 「霞」 (朝潮型)
第一航空艦隊 第五航空戦隊 (トンボ釣り) 「秋雲」
「朧」(特型/綾波型)

開戦時、陽炎型の各艦は水雷戦隊主力として南方資源地帯攻略に出動。フィリピン・インドネシア攻略や、スラバヤ沖海戦などを戦う。
一方、十七駆と十八駆および新鋭の「秋雲」は、航続力の不安を懸念された第七駆逐隊などに代わって、真珠湾攻撃に向かう南雲機動部隊(第一航空艦隊)へ編成され、ハワイまで出撃。その後もセイロン沖海戦までの間、引き続き一航艦の空母護衛に従事することになる。

<ミッドウェー海戦時 第十戦隊を新編>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦
第一航空艦隊 第十戦隊 (長良) 第四駆逐隊 「舞風」 「萩風」 「野分」 「嵐」
第十駆逐隊 「秋雲」
「夕雲」 「巻雲」 「風雲」 (夕雲型)
第十七駆逐隊 「浦風」 「谷風」 「浜風」 「磯風」
第二艦隊 第二水雷戦隊 (神通) 第十五駆逐隊 「黒潮」 「親潮」 「早潮」
第十六駆逐隊 「雪風」 「初風」 「天津風」 「時津風」
第十八駆逐隊 「陽炎」 「不知火」
「霰」 「霞」 (朝潮型)

ミッドウェー海戦の直前、空母護衛を専門とする第十戦隊が新しく作られ、新型で航続力のある陽炎型と夕雲型の駆逐艦がこの部隊へ編成された。
しかし陽炎型は、もともと戦艦による艦隊決戦での雷撃戦用に造られた駆逐艦であり、空母を守るための対空兵装が十分ではなかった。対空性能に優れる秋月型の就役が遅れたこともあって、ミッドウェー・ソロモン・マリアナでの空母決戦に参加するが本来の用途とは異なる戦いを強いられ、苦戦を重ねる。

加えて当然のごとく、ガダルカナル島をめぐる一連の海戦・ソロモン諸島方面への強行輸送作戦へも駆り出され、次々と損傷・戦没。昭和18年5月のコロンバンガラ島への輸送作戦においては、作戦に参加した「陽炎」「黒潮」「親潮」の3隻が、同日にまとめて戦没という悲劇も生じた。

戦力を消耗し尽くした昭和20年、残存の駆逐艦は第二水雷戦隊へかき集められて最終編成。陽炎型の駆逐隊も「磯風」「浜風」「雪風」による第十七駆逐隊と、大破修理を繰り返していつしか単独行動となっていた「天津風」を残すのみ。
4月、戦艦「大和」の特攻に殉じた十七駆は壊滅。「天津風」も台湾方面で最終的に大破・船体放棄となり、陽炎型は“幸運艦”「雪風」を残して全て喪われた。

大戦を生き延びた「雪風」は終戦後、賠償艦として中華民国へ引き渡されていった。

夕雲型

(参照) 夕雲型姉妹 夕雲型駆逐艦

【1】 夕雲(艦これ) 【8】 清波 【14】 沖波(艦これ)
【2】 巻雲(艦これ) 【9】 玉波 【15】 岸波(艦これ)
【3】 風雲(艦これ) 【10】 涼波 【16】 朝霜(艦これ)
【4】 長波(艦これ) 【11】 藤波(艦これ) 【17】 早霜(艦これ)
【5】 巻波 【12】 早波(艦これ) 【18】 秋霜
【6】 高波(艦これ) 【13】 浜波(艦これ) 【19】 清霜(艦これ)
【7】 大波

陽炎型が艦によって速力性能のバラつきが見られたことに不満をもった海軍が、確実に35ノットの速力を発揮できるよう改善して建造した駆逐艦型。機関改善のほか、主砲に仰角75度まで可能なD型砲を採用し、陽炎型より対空性能へも配慮された、完成度の高いものであった。

「秋雲」が夕雲型ではなく陽炎型と認識されるようになった理由のひとつがその主砲で、陽炎型が対空力補強のために二番砲塔を撤去して機銃増設した改修工事を、夕雲型は行っていないのに「秋雲」のみ施工した点が挙げられている。

太平洋戦争の開戦までに就役していたのは、「秋雲」を除けば「夕雲」のみ(開戦3日前)。残りは全て、開戦後の登場となった。

<夕雲型の主な編成駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦(初期編成・追加)
第三艦隊 第十戦隊 (長良→阿賀野) 第十駆逐隊 新編時 「夕雲」 「巻雲」 「風雲」
「秋雲」(陽炎型)
追加 「朝雲」(朝潮型)
第二艦隊 第二水雷戦隊 (神通→能代) 第三十一駆逐隊 新編時 「長波」 「巻波」
追加 「高波」 「大波」 「清波」
「沖波」 「岸波」 「朝霜」
第二艦隊 第二水雷戦隊 (能代) 第三十二駆逐隊 新編時 「涼波」 「藤波」 「早波」
追加 「玉波」 「浜波」
第二艦隊 第二水雷戦隊 (能代) 第二駆逐隊
(白露型部隊が
解隊した後の再編)
新編時 「早霜」 「清霜」 「秋霜」
追加 「朝霜」

夕雲型はミッドウェー海戦までに「巻雲」と「風雲」が就役し、これに「夕雲」と「秋雲」を加えて十駆を編成。空母護衛の第十戦隊へ組み入れられる。

四番艦「長波」以降の就役艦は第二水雷戦隊でのデビュー(九番艦「玉波」からは訓練部隊の第十一水雷戦隊を経由して)となるが、三十一駆へ次々と夕雲型の艦が投入されているのは、同隊編入の艦が片っ端から前線へ送り込まれ、そして片っ端から戦没していったためである。「高波」などは隊編入から2ヶ月後、就役からでも3ヶ月の艦命でしかなかった。
ちなみにネームシップ「夕雲」が戦没したとき、十三番艦「浜波」はまだ就役していなかった。夕雲型の全19艦と艦命が重なっているのは「長波」だけである。

陽炎型とともに大戦後期の主要海戦を戦い続けた夕雲型だったが、レイテ沖海戦後のフィリピンをめぐる戦いで一気にその数を減らし、最後は唯一の残存艦「朝霜」が戦艦「大和」の特攻たる坊ノ岬沖海戦にて戦没(しかも機関不調で実力を発揮することも許されない状況だった)。夕雲型も、太平洋戦争で全滅した駆逐艦型のひとつとなった。

島風型

【1】 島風(艦これ) (参照) 島風(駆逐艦2代目)

『艦これ』では、同型艦不在・他の追随を許さない高速力という史実の背景から、長らくぼっち孤高の存在であった「島風」だったが、そのプロトタイプとされる陽炎型駆逐艦「天津風」の実装により、『艦これ』を代表するキャラクターとしての新しい位置づけを得たと言えるだろう。

史上最高の速力40.9ノット、新造時から装備された電探、五連装酸素魚雷発射管3基(片舷15射線)という無類の攻撃力を持つ「島風」は、日本海軍が生み出した傑作駆逐艦に数えて間違いない。キスカ島撤退作戦へ木村昌福司令官が「島風」を是非ともと参加させたのは、その性能[1]を大いに必要としていたためである。

しかし空母機動部隊による航空戦が主体となった太平洋戦争では、「島風」の性能が最大限に発揮される機会は訪れなかった。第二水雷戦隊の一員として、最後の決戦たるマリアナ沖海戦とレイテ沖海戦に参戦した「島風」だったが、取りうる行動は輪形陣の一角で戦艦や空母を護衛することだけだった。

最後の戦いとなったオルモック輸送作戦(多号作戦)下の米軍の空襲で、高速力をもって爆弾・魚雷による致命傷を避け続けたのは、せめてもの面目躍如であっただろうか。

秋月型

(参照) 秋月型姉妹 秋月型駆逐艦

【1】 秋月(艦これ) 【5】 新月 【9】 春月
【2】 照月(艦これ) 【6】 若月 【10】 宵月
【3】 涼月(艦これ) 【7】 霜月 【11】 夏月
【4】 初月(艦これ) 【8】 冬月 【12】 花月

「防空艦」として知られる駆逐艦型。急速に進化していた航空兵器の攻撃から戦艦・空母を守るため、主砲に艦隊戦用の砲ではなく、対空戦用の高角砲を装備して護衛にあたる艦として計画。「信濃」や「大鳳」、阿賀野型、夕雲型らとともに第四次海軍軍備充実計画(マル四計画)から建造が始まった。

軍令部による計画初期の段階では、魚雷を積まずにより多くの対空武装を装備するものだったが、艦政本部か海軍省、どこかの段階で魚雷がつけられ、「乙型駆逐艦」として造られることになった。魚雷を廃止した全くの新型艦とするより、魚雷をつけて「駆逐艦」にしたほうが、予算を獲得しやすかったためという説がある。

主砲に選ばれた65口径九八式10cm高角砲(長10cm高角砲)は、従来の艦が装備していた12.7cm高角砲を威力・仰角・射程距離、ほぼ全ての性能で凌駕する「防空艦」にふさわしい性能を発揮した。反面、構造が複雑で量産に向かず、砲の寿命も12.7cm高角砲の3分の1程度しかなかった。砲の量産性の悪さが、秋月型の追加建造が遅れた理由のひとつかもしれない。

秋月型(「照月」)を初めて見た米軍は、それを軽巡「夕張」に見間違えたという話がある(秋月型は陽炎型より15mほど大きく、「夕張」より5mほど小さい。また、煙突が「夕張」に似ている)

<秋月型の主な編成駆逐隊>

艦隊 戦隊 駆逐隊 駆逐艦(初期編成・追加)
第三艦隊 第十戦隊 (阿賀野→矢矧) 第六十一駆逐隊 新編時 「秋月」 「照月」
追加 「涼月」 「初月」 「若月」
第四十一駆逐隊 新編時 「霜月」 「冬月」
追加 「涼月」 「宵月」 「夏月」
第十一水雷戦隊→第八艦隊(附属)→第三水雷戦隊 「新月」
第十一水雷戦隊→第三十一戦隊→海上挺身部隊 「花月」
第十一水雷戦隊→第一〇三戦隊 「春月」

「秋月」の就役は、ミッドウェー海戦からわずか五日後。直後、海軍は第五次海軍軍備充実計画(マル五計画)の改訂版として改マル五計画を出すが、そこでは秋月型(乙型駆逐艦)の23隻増強が計画された。マル四計画で6隻しか建造されなかったのに比べれば格段の違いであり、航空主兵時代の到来とミッドウェーの惨劇を受けた海軍当局の狼狽ぶりがうかがえる。

しかし計画したからといって実際建造できるかは全く別の話で、空母会戦の南太平洋海戦に参加したのは「照月」のみ。最後の決戦たるマリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に参加したのも「秋月」「初月」「若月」「霜月」だけ(「涼月」「冬月」は損傷・戦線離脱中)となり、計画艦の多くは中止されるか、就役してももはや護衛すべき戦艦・空母がいないという末期戦の時期だった。
秋月型最後の建造艦「花月」は、海軍が本土決戦のため、最後に編成した水上艦隊(海上挺身部隊)の事実上の旗艦である。

むしろ秋月型の武勇伝は、対空戦ではなく水上戦闘のほうで伝えられ、エンガノ岬沖海戦において敵中孤立しながら15隻の敵艦を相手に奮戦を繰り広げた「初月」や、坊ノ岬沖海戦から奇跡の生還を遂げた「涼月」が名高い。

戦史研究家やミリタリーファンの間では、「防空艦」という秋月型の特性は航空戦争となった太平洋戦争において、最も必要な性能だったとして「秋月型をもっと早くから量産していれば」という歴史のIFを求める傾向が根強くある。架空戦記小説などでそういう描写をされることも多い。
『艦これ』で2014年秋イベントより順次登場した秋月型4人は、高角砲・高射装置の鬼性能と対空カットインによって、対空番長として史実では発揮仕切れなかった猛威を振るっているようである。

海外艦

以下の海外艦が実装済みである。解説は各項目に譲る。

ドイツ・Z1(1934)型 イタリア・マエストラーレ級
【1】 レーベレヒト・マース(艦これ) 【1】 マエストラーレ(艦これ)
【3】 マックス・シュルツ(艦これ) 【2】 グレカーレ(艦これ)
【3】 リベッチオ(艦これ)
イギリス・J級
【1】 ジャーヴィス(艦これ) ソ連・タシュケント級
【5】 ジェーナス(艦これ) 【1】 タシュケント(艦これ)
アメリカ・John C. Butler級 アメリカ・Fletcher級
DE-413 サミュエル・B・ロバーツ(艦これ) DD-445 フレッチャー(艦これ)
DD-557 ジョンストン(艦これ)

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関連項目

  • 艦隊これくしょん~艦これ~
  • 戦艦(艦これ)
  • 空母(艦これ)
  • 重巡洋艦(艦これ)
  • 軽巡洋艦(艦これ)
  • 潜水艦(艦これ)
  • 駆逐棲姫
  • 日本海軍
  • 連合艦隊
  • 駆逐艦
  • 駆逐隊(艦これ)

脚注

  1. *特に新造時から装備されていた電探及び逆探

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