G.G.佐藤とは、埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手である。背番号46。
読みはジージーサトウ。
本名佐藤隆彦。登録名の理由は、中学校時代のあだ名「じじぃ」から。QRライオンズナイターのジングルでは、ジードットジードットサトウと.部分をドット読みさせる。そのため彼をジードットと呼ぶファンもいる。
入団時は捕手であったが、チーム事情から2005年に一塁コンバート。その翌年からは外野手にコンバートされる。 西武では右翼手。
元々捕手と言う事もあり守備範囲は狭い(フライ勘がイマイチ)がキャッチング自体はそれなりに上手く、レギュラーシーズンで外野出場した4年間は271試合で失策数は2であり、中でも2007年シーズンは131試合出場で無失策、捕殺数で外野手リーグ4位を記録するなど、守備の安定性と肩の強さを見せた。
2008年の北京オリンピックでは、野球日本代表として招集され、代表メンバーに選ばれた。しかし打撃、守備共に活躍することはなかった。特に守備においては慣れないレフトでの起用ということもあり、準決勝の韓国戦ではレフトへのゴロを後逸、フェンス際のフライを落球するなど2失策を犯し、3位決定戦のアメリカ戦でも平凡なレフトフライを落球するなど精細を欠いた。この3失策はネット上に多くの反響を呼び、「E.E.佐藤」などと揶揄されたり、ニコニコ動画でもG.G.佐藤のMADが数多く作られるなど「北京五輪戦犯」の印象が付いてしまった。
しかし、一発勝負の場で慣れないポジションを守らせたり、不可思議なコーチ・選手の選出をしたり、不調の選手をいつまでも見切らずにスタメンで起用し続けた星野仙一代表監督の存在も当然忘れてはならない。
日本代表選手壮行会で「体は北京へ行きますが、魂は西武ドームに置いていきます」と発言。しかしこれが前述の北京五輪でのエラー及び不調の原因じゃないかと噂されている。元々気が弱く、傷つきやすい選手で(リトルリーグで教えていたサッチー談)、移動中は自分の声を録音したものを聞いて自分を奮い立たせているほど。
西武入団以降契約更改で一発サインをしたことが無く、2008年以降2年連続で年俸調停をしていて(これはマイナーリーグ経験によって金銭感覚がシビアなことによるもの)、キャンプも自費で参加している。そのため、「自費自費佐藤」や「ゴネゴネ佐藤」などと揶揄されることもある。
2009年に第一子(長女)が誕生した。
2010年からは膝の悪さを理由に、ライトからレフトへコンバート。3月30日~4月2日には4試合連続ホームランもあり、打撃で存在感を魅せ続ける。
あまり知られていないが、ゆで卵好きである
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最終更新:2025/12/11(木) 19:00
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