的場均(まとば ひとし)とは、かつてJRAで活躍した騎手である。
概要
1975年に騎手デビュー。4ヶ月後初勝利を挙げる。
2年目でスプリンターズステークスで重賞初制覇、3年目で全国7位の勝利数となる等新人の頃からその実力を発揮し、野平祐二は「若いころの的場は既に岡部幸雄や柴田政人の同じ年よりも卓越した技術を身に着けていた」と語っている。
半面八大競走や84年から導入されたグレード制により新たなGIが導入されたがそれには長年縁遠く、初勝利したのは1989年の皐月賞だった。翌年にはリンドシェーバーで朝日杯3歳ステークスを制覇しGI2勝目を決める。
的場とライスシャワー
92年の皐月賞。的場はライスシャワーでクラシック戦線を戦っていた。
結果はミホノブルボンに大きく離された8着、NHK杯でも8着。彼はこの時点ではライスシャワーの実力を「過度の期待はしていなかった」と評しており、ダービーも厳しいかなと考えていた。
事実本番のダービーでも18頭中16番人気。しかし的場は、調子が上がっていたライスを見て「いい位置で粘れば100%の力を発揮できると思った」とミホノブルボンの後ろにつける2番手でレースを進める。
ミホノブルボンには4馬身離され、田原成貴鞍上のマヤノペトリュースにも一度は抜かれるも再び抜き返しハナ差2着に突っ込んだ。
この時的場は「もし田原騎手がブルボンを諦めて2着狙いならあっさり抜かれただろうしこの結果はラッキーだったかも」としながらも、菊花賞でブルボンに何とか立ち向かいたいという気持ちが湧いてきた。
秋初戦のセントライト記念では彼はライスに騎乗していなかった。的場は主戦だったインターマイウェイの函館3歳ステークスに騎乗するため函館競馬場にいたのである。田中勝春に乗り替わったライスはアタマ差届かず2着に敗退してしまったがこれにライスの調教師である飯塚が激怒。何故ライスに乗らなかった、騎手交代も取り沙汰されたが的場が直接謝罪したため、なんとか的場は主戦を守ることができた。
この時的場は「ライスはもう基本ができているから、その点では誰が手綱を引いても大丈夫。でも若馬はそうはいかない。変な癖がついてしまうかも。だから先々のことを考えて函館を優先した」としている。
次走の京都新聞杯は4度ブルボンに敗れるものの、その着差は1馬身半。差は確実に縮めていた。2200mで1馬身半なのだから、同じ舞台の3000mの菊花賞なら勝てる。的場も飯塚も本番での勝利を確信しつつあった。
本番菊花賞。観客がブルボンの三冠に期待する中、大きく離されてはいたが2番人気だった。5番手あたりで待機し、最後の直線でブルボンをかわし三冠の夢を打ち砕いた。
的場自身は勝利インタビューで「なんとかしてブルボンを負かしてやろうと人馬共に頑張っていたので、それが実ってうれしいです」と語ったのだが、会場はライスの勝利を祝う雰囲気ではとてもなく、ブルボンの三冠を打ち砕いたKYとしか思われていなかった。ひでぇ。
以後ライスシャワーは悪役として恨まれることになるのだが、的場はそのことについて次のように語っている。
「競走馬と勝負師が勝ちにいっているのだ。そこには悪役も何も、ないはずである」と。
あくまで的場は勝ちに行ってミホノブルボンを負かしたに過ぎないのだ。ブルボン側も菊花賞では不利になることは重々承知していたし、それでも最終直線で先頭にいたのだから、それで負けたらどうしようもない。
ただブルボンはこのレースを最後にターフを去っていったのもあり的場はヒーローに引導を渡した男として語られるのであった…
そんなライスシャワーと的場だったが、年末の有馬記念には不調のトウカイテイオーをマークしてしまい仕掛け遅れの8着。力を発揮させられなかった的場は「ライスシャワーに一番失礼なレースだった」と後年述べている。
年が明け、ステイヤーであるライスシャワーが目指すのは3200mの長丁場である天皇賞(春)だった。待ち構えるは連覇中で3連覇がかかっている武豊とメジロマックイーン。
年明け初戦の目黒記念はマチカネタンホイザを差し切って勝つという課題の元騎乗した。結果は差し切れず2着だったが、そういう競馬を教えるのを兼ねての出走なので陣営的には満足だった。
いよいよ本番の天皇賞(春)。陣営も極限までライスを仕上げ、その馬体を見た的場は「馬に見えなかった。猛獣というか、火でも吹くんじゃないか」と驚嘆するほどまさに究極の仕上がりだった。
いよいよ本番、的場はマックイーンの後ろにつけ、最終コーナーでメジロパーマーとマックイーンのメジロコンビをちぎり2馬身半差で勝利。武豊の天皇賞春5連覇とマックイーン春天3連覇の夢を粉砕した。
この時実況していた杉本清が「関東の刺客、ライスシャワー」と評したことでライスシャワーに新たな通称刺客が与えられることになったのだが、的場はこの言い方も不快であった。
「マックイーンの時もそうだった。関東の刺客とかマーク屋とか言われるのは決して気持ちのいいものではない。僕らは勝つために最大限の努力をしている。その努力には様々な思いや戦略がたとえ一つでも違ったら勝利を勝ち取ることができない程の緊密さ、複雑さで絡み合っている。そのあたりを見てほしいのだ」と彼は語っており馬をアイドル化してドラマのように見ることでは感じ取れないものもあるとしている。
的場はただ勝つために最適な戦術を採り、それを実行する。それだけだった。
ライスシャワーは春天の後は仕上げの反動かまるで勝てなくなり、ツインターボにも負け、秋天でも1番人気に答えられず負け、ジャパンカップや有馬記念も無様に惨敗。翌年の春天も直前で骨折して回避と運にも恵まれず、重傷のため引退も検討されるほどだったがなんとか現役続行、有馬記念ではナリタブライアン、ヒシアマゾンに次ぐ3着と健闘した。
この間に的場は通算勝利数が1000勝となり、さだまさしから彼をイメージして作った「ひとりぽっちのダービー」という曲を提供され自ら歌っている。
翌95年、天皇賞(春)でライスシャワーは2年ぶりの盾獲りを狙う。この時的場は「この馬の行く気に乗って、後はゴールまで粘りこむ奇襲戦法ならチャンスがある」と第3コーナーから進出して800mのロングスパートを敢行していた。最終コーナーで抜け出して逃げ切りを図ったがステージチャンプが猛然と追い込んできてほぼ同時に入線。ステージチャンプの蛯名正義が勝ちを確信しガッツポーズ。しかし結果はライスシャワーがハナ差で凌いでいた。
的場は後に、「絶好調のライスシャワーなら絶対にやらない作戦。でもあの時の状態だとセオリー通りに乗ったらそこそこの着順で終わっていたと思う。勝つ確率を上げるためにやったのだ」と語った。
名実ともに名コンビとなった的場とライスシャワー。しかしその別れは突然訪れる。
95年の宝塚記念は阪神・淡路大震災の影響で阪神競馬場ではなく京都競馬場開催、京都が得意なライスシャワーにとっては願ったりな舞台。ファン投票も1位だったし、体調は微妙であったが陣営は出走を決める。本番は3番人気だった。しかし的場はレース直前ライスシャワーの異常に気付き「勝つどころじゃない、慎重に回ってこよう」と完走させることを最重視し後方に控えた。だがライスシャワーは第3コーナーで自ら加速、そしてその直後彼の体はウィリー走行のように後ろにのけぞった間もなく崩れ落ちた。的場も当然落馬。ライスシャワーの脚は完全に砕け散っていた…。
幸いにも的場は打撲で済んでいたため、馬運車にも運べず競馬場の上で最期を迎えたライスシャワーを看取ることになったのである。ライスの亡骸を運ぶ馬運車を、彼は最敬礼で見送った。
まさに淀に愛され、淀に散ったという馬生を送ったライスシャワー。彼の墓代わりの記念碑は京都競馬場の中にあり、今でも献花と供え物が絶えないという。
後年的場はこう語っている。「共にレースをしているときは無我夢中で気づいていなかったけど、振り返ってみれば見るほど、馬というものがどれだけいっぱい人間には計り知れない物を持っていたことをライスシャワーは教えてくれた気がする。僕が出逢う前にもしそれをもっとわかっていたら、もっといい接し方をして上げることもできたかもしれない」と。
その後的場は97年にエリモシックでエリザベス女王杯を勝ってGI勝利数を伸ばし、ダンスパートナーのエリザベス女王杯連覇を粉砕した。そしてまた名馬との出会いを果たすのである。
的場とグラスワンダー
97年尾形充弘厩舎に入った1頭の馬。それは尾形自らが見初めて購入にこぎつけた期待の星グラスワンダーであった。的場はこの馬の主戦を務めることになった。的場はこの馬を「間違いなく将来は超一流馬になる。今まで乗ってきた2歳馬の中でも、トップクラスと言える1頭」とライスシャワーとは真逆の大絶賛である。
実際新馬戦でも次走のアイビーステークスでも、そのまた次走である京成杯3歳ステークスでも鞭を使わず圧勝、的場が何度も後方確認し差を確かめることができるほど余裕の勝ち方をした。
GIである朝日杯3歳ステークスでも尾形と的場が「アクシデントのみが怖い」と一致するほどで、荒れ馬場だったにも関わらずレコード勝ち。
「のんびり走っていてもゴーサインからの反応が素晴らしく、とにかく強いの一言。まだまだよくなりそうな部分も秘めているし、僕が描いている通りに成長したらどのくらいになるのか」と的場は述べている。
しかしこの後出走予定だったNZT4歳ステークスを目前にグラスは骨折、的場は並行して乗っていた馬でこのレースを制する。その馬は的場が思わず新馬戦で乗せてくれと頼んだ怪鳥エルコンドルパサーであった。98世代の外国産馬2枚看板のどちらも的場が騎乗していたのである。そのまま的場は同馬でNHKマイルカップも勝つ。
そして秋の2頭の次走は毎日王冠に決まった。しかし的場は一人しかいないのでこの2頭のいずれかを選ばなければならないのだ。今となっては凄く贅沢な2択である。グラスワンダーは骨膜炎を発しており体調が万全ではなく、尾形もエルコンドルパサーの方がいいのではと勧めた。的場は悩みに悩んだ。
「調整度はどう考えてもエルコンドルパサーの方が上だが、絶対的な能力はどっちが上だと聞かれればわからない。どっちもよく走るし、どっちかわかれば答えは簡単だ。でもどっちが凄いかわからないから辛いんだ」
3週間悩みぬいた的場は、グラスワンダーを選択した。エルコンドルパサーは蛯名正義に引き継ぐことになった。
さて98年の毎日王冠と言えばグラスワンダーとエルコンドルパサー、そして中距離の絶対王者に君臨していたサイレンススズカの三つ巴対決である。GIIとは思えない大観衆の中、グラスワンダーに跨る的場は尾形からの指示「勝てないだろうが、捉えに行ってほしい。ちゃんと競って負けるなら仕方ない」の元、果敢に勝ちに行くため仕掛けていった。だがサイレンススズカを捉えることはできなかった。そのままグラスは5着に敗退。エルコンドルパサーからも6馬身離されて完敗。
次走のアルゼンチン共和国杯はただもらいと思っていて余裕の抜け出しを的場は敢行する。しかし伸びが悪くまさかの6着敗退。ジャパンカップの出走を予定していたが回避となった。前走の毎日王冠は仕方ないとしてもこの敗退は尾形にもショックであり、エルコンドルパサーはその後ジャパンカップを制覇したため、「的場は選択ミスをした」と専ら言われることになる。
ジャパンカップは回避し有馬記念に挑むことになった的場とグラスワンダー。的場も必死に状態をよくしようと調教に参加した。その甲斐もあって本番直前には状態は回復した。
スペシャルウィークとエルコンドルパサーとタイキシャトルは居ない同レースだったが、二冠馬セイウンスカイ、97年の秋天制した女傑エアグルーヴ、同年春天覇者メジロブライト等GI馬がグラス含めて8頭もおり、決して弱いメンツではなかったことは記しておく。
的場は8番手あたりの中団につけて最後の直線で抜け出すとメジロブライトを抑えて勝利。「この秋では一番の状態。でもまだいい頃の出来じゃないけどよく復活してくれた」と語った。
これにより的場は初の外国産馬で有馬記念制覇の騎手となった。
だがグラスワンダーはその後故障が相次ぎ復帰戦が5月の京王杯スプリングカップになり、正直状態も良くなく的場も勝てる気があまりしていなかった。がレースが始まってみると驚異的な末脚を発揮したグラスワンダーに、的場は「先行した他馬が止まって見える」と思ったという。
しかし1400で圧倒したなら1600は勝つだろと思われた安田記念はその京王杯で2着に退けたエアジハードにマークされ負けてしまう。「4コーナーでも大丈夫だろうと思ったらエアジハードも余力十分だった。僕が下手だった」と敗戦の弁を語った。後年的場は「実はホーリーグレイルの騎手K・ユーが落馬寸前になり、よけようとしたらグラスワンダーがスパートと勘違いし力んで余力が残せなくなった」と述べている。
次走は宝塚記念。ここにはスペシャルウィークがいた。春天を含めた3連勝中で勢いに乗るスペシャルと比べ、安田記念で負け更に夏バテ気味のグラス。1番人気と2番人気とは言え、だれがどう見てもスペシャル有利という中、専用ファンファーレを使った初の宝塚記念は始まった。
レースが始まるとスペシャルウィークが早めに先頭に立った。的場は「自分のペースで行こうと思っていたが、4コーナーで先頭に気持ちよく離されたときはどうかなとは思ったけど、伸びあぐねていたから勝てるなと思った」と。事実グラスワンダーと的場は終始スペシャルの後ろにつけて直線であっさりかわして3馬身離して完勝した。これによりスペシャルウィークの凱旋門賞挑戦を粉砕した。
次は毎日王冠に挑む。がメイショウオウドウ(この時唯一の重賞未勝利馬)にハナ差まで詰め寄られる辛勝に終わる。「もう少しいい勝ち方を期待したけど、イメージと違ったけどよく凌いでくれた」と的場は語る。
ジャパンカップが次走へと選ばれたのだがまた故障発生、回避。ジャパンカップはスペシャルウィークが勝ち、同日凱旋門賞2着を手土産にエルコンドルパサーが引退式を行った。
有馬記念が次なる目標となったが状態は芳しくない。的場が違う馬に乗っているのではないかと思ったくらいである。本番直前になっても「よくなってはいるが良い時に比べたらまだまだ」と的場はかなり曇った表情だった。
本番のオッズはスペシャルウィークに僅差の1番人気。最後方からの競馬を選んだグラスワンダーと的場。宝塚でそうだったようにスペシャルウィークをマークし、「スペシャルが行ったら仕掛ける」狙いだった。しかし前のツルマルツヨシが手ごたえがよいと見るや的場は早めに仕掛けていった。レース終盤は完全にグラスとスペシャルのデッドヒートとなり前にいたツルマルツヨシとテイエムオペラオーをかわし、2頭が並んで入線。しかし後方から来たスペシャルウィークの方が態勢有利だとみており、事実的場自身も負けたと思っていた。
ところが写真判定の結果はグラスワンダー勝利。ハナ差でも残ってくれたことは感謝していると的場は言った。これでグランプリ三連覇である。
だがグラスワンダーにとってはこれが最後の輝きであった。故障により満足に調教できず厩務員の変更もありグラスは馬体を絞り切れず、太いと思われた有馬記念からもさらに増えて+18kgの大幅増加。勿論こんな状態では好走は望むべくもない。その変わった厩務員である若手の佐々木氏は責任感から憔悴しきっており、的場は「グラスワンダーもそうだけど、佐々木厩務員も心配だった」と後年語っている。実際復帰戦の日経賞は的場が押しても伸びず6着に敗れてしまった。2000年からは外国産馬でも天皇賞に出られるので現役続行したのもあったが、この結果により白紙となった。
次走の京王杯では20kg減量したが、出遅れから全く伸びず9着。これにより的場は主戦を降ろされ、コンビとしてはここで最後となった。
そしてグラスワンダーもエルコンドルパサーの主戦になった蛯名正義に乗り替わったグランプリ4連覇がかかった宝塚記念で2番人気に推されるも、レース中に故障発生。6着に終わり引退した。
引退式は同年の有馬記念の日となり、的場は「グラスワンダーの、本当の強さを皆さんに見せることができなかったのが、残念でなりません」と語り無念さを滲ませていた。
なおこの間に的場はアグネスデジタルに騎乗し、マイルチャンピオンシップを制覇。安藤勝己の中央GI制覇の夢を粉砕した。これが現役最後のGI勝利である。
調教師免許に合格した的場はグラスワンダーの引退から2ヶ月後、自らも鞭を置き引退した。
まさにグラスワンダーは晩年の相棒とも言える名コンビであった。通算1440勝、GI13勝を含む重賞63勝。
人物
ヒットマン・刺客と何だか物騒な異名が多いが、彼自身は「仕事人」と言えるような存在で、若くしてその才を発揮しリーディングジョッキー間違いなしと言われたものの実際は1度もリーディングになったことはなかったが(まあ現役後年は武豊がいたし)、任せれば確実に仕事をする安定感があり、本命ならより信頼され、穴馬なら更に信頼されるといういぶし銀な存在だった。
また記録がかかった馬がいるとさらに強いレコードブレイカーでもあった。
しかしそれは結果的にそうなっただけのことで、狙ってやったものではない。
また大一番を勝ってもガッツポーズをしない騎手として知られる。
僕が勝ったのではない。馬が勝たせてくれたのだから。
僕だけが勝ったのではない。その馬に関係した全員で勝ったのだから。
僕が馬の上で興奮したり格好つけたりは必要ない。そんな事より馬を安全に止めることが、何よりも大事なことだ。ゴールをトップで通過しただけでは終わらない。
無事に馬が止まって、何事もなく馬房に戻ってこられた時にレースは終わるのだ。
彼を象徴する言葉ではないだろうか。レースで乗った後は必ずそれぞれの馬房に来て馬の状態を確かめに来たという。こうした地道な努力・誠実さこそが彼の本分であり、だからこそ勝ちに対して手は抜かず、馬の力を100%引き出す乗り方に徹したのだ。
2018年、競馬界きってのアニヲタである小島太一騎手(現・調教助手)が、的場にあるアニメを見せたところ、太鼓判を押した。それは、かつて自身がグラスワンダーの手綱を握り勝利した1999年の宝塚記念を再現した、アニメ『ウマ娘プリティーダービー』の第8話だった。
ウマ娘化されたかつてのパートナーと、レースを忠実に再現した内容が気に入ったという。
また同作品で的場が騎手時代に騎乗しGIを制した競走馬では、グラスワンダー(ウマ娘)の他、エルコンドルパサー・ライスシャワー・アグネスデジタルもウマ娘化されており、ライスシャワーに関してはOVAでグラスから「黒い刺客」と称されている。
G1勝ち鞍
中央競馬 | ||
---|---|---|
競走名 | 勝ち馬 | 動画 |
皐月賞 | ドクタースパート(1989) | sm6779959 |
天皇賞(春) | ライスシャワー(1993) ライスシャワー(1995) |
sm10634432 sm6089600 |
NHKマイルカップ | エルコンドルパサー(1998) | sm6991224 |
優駿牝馬 | エリモエクセル(1998) | sm3826471 |
宝塚記念 | グラスワンダー(1999) | sm7491572 |
菊花賞 | ライスシャワー(1992) | sm3734075 |
エリザベス女王杯 | エリモシック(1997) | sm6038635[※12:47~] |
マイルチャンピオンシップ | アグネスデジタル(2000) | sm39727831 |
朝日杯3歳ステークス | リンドシェーバー(1990) グラスワンダー(1997) |
sm6298388[※6:42~] sm2765100 |
有馬記念 | グラスワンダー(1998) グラスワンダー(1999) |
sm5556789 sm162394 |
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