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トニー・ブリューワ(Tony Brewer、本名:アンソニー・ブルース・ブリューワ(Anthony Bruice Brewer))とは、元プロ野球選手である。
概要
OB | |
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トニー・ブリューワ Tony Brewer |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ルイジアナ州 |
生年月日 | 1957年11月25日 |
身長 体重 |
180cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1979年 |
引退 | 1990年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
1957年11月25日生まれ。アメリカ合衆国ルイジアナ州出身。
マイアミ大学を卒業後、1979年にロサンゼルス・ドジャースと契約。その後、カンザスシティ・ロイヤルズへチームを移し、1984年、メジャーリーグデビュー。同年24試合に出場。しかし、メジャーに定着することはできず、翌1985年はメジャーでの出場は無しに終わっている。
1986年、日本ハムファイターズに入団。前年まで在籍していたトミー・クルーズの穴埋めを期待され、「日本野球向きの選手」「30本塁打以上打てる」という触れ込みでの入団であった。
初年度の1986年、開幕からクリーンナップの一角を任されると、古屋英夫や同じく新外国人選手であるパット・パットナムととも日本ハム打線の中軸として活躍。全試合に出場して、打率.321、20本塁打、68打点を記録。
1987年、不振にあえぐパットナムとは対称的に開幕から好調を維持し続け、オールスターゲームにも初出場。最終的には打率.303、35本塁打、98打点と打ちまくり、打撃3部門でチームトップの成績を残し、ベストナインにも選出された。
1988年、開幕直前に腰椎分離症を発症。開幕後しばらく復帰の機会を窺うものの症状は改善せず、シーズン途中に帰国し、同年は出場無しに終わる。球団は急遽マイク・イースラーを獲得し、ブリューワの抜けた穴埋めには成功している。当時の外国人選手は1年活躍できないと解雇される事がほとんどであり、イースラーが活躍したことからブリューワ解雇もやむなしと言う見方がほとんどであったが、過去2年間の実績を評価され、球団はブリューワ残留を決めた。
1989年、腰の状態が改善し、開幕からクリーンナップの一角としてプレー。1年のブランクを感じさせない活躍を見せ、打率.306、27本塁打、73打点と打撃3部門でチームトップの成績を残すなど見事に復活してみせた。
1990年、再び腰の状態を悪くしてしまい、1試合3併殺や得点圏打率.195を記録するなど低迷。最終的には打率.295、17本塁打、63打点と前年を下回る成績に終わってしまう。シーズン終了後、日本ハムを退団し、そのまま現役を引退。
引退後はアメリカに戻り、高校で野球とレスリングの指導者として活動し、後に体育教師にもなっている。1995年にはアメリカ高校選抜の監督として来日していた。
人物・エピソード
力強いフルスイングで安打や本塁打を量産したスラッガー。特に左投手相手に強さを見せていた。
日本ハムを退団することになった1990年、腰痛や成績不振でイラついていたのか、シーズン3度の退場処分を受けている。
通算成績
打撃成績
通算:5年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:1年 | 24 | 41 | 37 | 3 | 4 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 9 | 1 | .108 | .195 |
NPB:4年 | 498 | 2144 | 1873 | 298 | 575 | 99 | 302 | 15 | 0 | 16 | 239 | 16 | 275 | 54 | .307 | .387 |
獲得タイトル・表彰
関連動画
関連項目
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