伏見俊昭(ふしみ としあき)とは、福島県出身の競輪選手。1976年2月4日生まれ。
概要
日本競輪学校75期生として、1995年4月にデビュー。早くからS級で活躍をし続け、2001年にふるさとダービー函館(GⅡ)(この時は同着)で優勝すると、そのままオールスター競輪(GⅠ)で優勝。さらに年末に行なわれたKEIRINグランプリでも優勝し、一躍トップレーサーとして台頭する。
2004年には後述のアテネオリンピックの前に日本選手権競輪で優勝。2007年には北京オリンピックに向けたワールドカップシリーズに転戦中の中で出場したKEIRINグランプリで2回目の優勝を果たすなど、競輪界を代表する選手として活躍をし続けている。
2008年から始まったS級S班の座を創立当初から守ってきたが、2012年は落車は自身の不調が重なり思うような結果を残せず、創立から5年間守ってきたS班の座を明け渡し2007年以来のS級1班に降格している。
アテネの奇跡
高校時代から自転車競技を始め、競輪選手としてデビュー後もナショナルチームのメンバーとして世界選手権やワールドカップシリーズに出場した。
そして迎えた2004年のアテネオリンピック。伏見は2000年のシドニーから正式種目となったケイリンと、長塚智広・井上昌己とともにチームスプリントに出場した。ケイリンでは1回戦で敗退したが、チームスプリントでは第2走者として(第1走者は長塚、第2走者は井上)出場し好タイムをマークすると、最終予選でも勝った4チーム中2位のタイムで決勝を決める。決勝で惜しくもドイツに敗れたものの、見事自転車競技で最高位となる銀メダルを獲得する。日本の競輪界に新たな光が差し込んだ瞬間でもあった。
その後も競輪と自転車競技との両立を続け、2008年の北京オリンピックにも出場を果たす。現在は自転車競技に一区切りを付けた模様だが、今でもアテネの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。
競争スタイル
アテネでメダルの原動力となったダッシュ力とスタミナを武器に、先行を主体とする自力戦法を主戦としてきた。2003年のKEIRINグランプリでは、当時先行で鳴らしていた村上義弘との先行日本一の座を賭けたレースに注目を集めたほど先行にこだわった競争を見せていた。
現在では追い込みが主体となっており自力を出す機会も減ってはいるが、自力戦になった時の捲くりのダッシュ力は健在で自力を兼ね備えた自在型として結果を残している。オリンピックの経験やこれまでの活躍から、福島をはじめとする北日本地区の司令塔として選手だけでなくファンからも厚い支持を得ている。
これまでの実績
GP・GⅠ
- KEIRINグランプリ 2001年(平塚競輪場) 2007年(立川競輪場)
- オールスター競輪 2001年(岐阜競輪場) 2008年(一宮競輪場)
- 日本選手権競輪 2004年(静岡競輪場・駿府ダービー)
- 読売新聞社杯全日本選手権競輪 2011年(岸和田競輪場)
- SSシリーズ風光る2009(岸和田競輪場)
GⅡ・その他
- ふるさとダービー 2001年度・函館(函館競輪場)※同着優勝 2003年度・久留米(久留米競輪場)
- 共同通信社杯 2010年・秋本番(奈良競輪場)
- 全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪(FⅡ)スーパープロピストレーサー賞勝者 2009年(花月園競輪場)
自転車競技
人物・エピソード
2012年に36歳を迎えるが、いまだ独身である。とある雑誌とのコラボ企画で行なわれた“イケメングランプリ”にも選ばれるモテ顔(人による)だが、いまだ独身である。ちなみに、好きな女性のタイプは「よく笑う明るい人」らしい。その風貌から「ゴージャス松野」というあだ名が付けられている。早く、嫁もらえ。
いきものがかりのファンとしても知られ、吉岡聖恵のラジオ番組にスタジオ見学に訪れた際に出演し数分間トークを行った。彼らのライブにも訪れており、レース前には彼らの曲を聴いて気持ちを落ち着かせているのだという。
関連動画
関連チャンネル
関連項目
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