概要
東海道、山陽の両新幹線が全通し、東北新幹線の開業も間近となった事で、全国新幹線網が本格化した事で、長時間運用などを想定して製造された試験車両。
将来的に東海道新幹線が東北新幹線と接続した時の事を見据えて、東海道山陽の60Hzだけでなく50Hzにも対応した初の複数周波数対応可能な新幹線電車でもある。但し、当時は開業前だったので上越新幹線では走行していない。
1、2、6号車は普通車を想定して車内は試験用機器などが置かれた。5号車は剛性試験用の為内装はなく、わざと剛性を変えて素材など様々なテストに用いている。
中でも特筆すべきは3号車、4号車で、3号車は新幹線電車初の『全室食堂車』で、これは0系36形のベースとなった。さらに4号車は現在に至るまでこれ1両しか作られなかった『寝台車』となっていた。後の24系25形の個室寝台車のような構造となっていた。但し、現場からは建て増しした旅館のようで落ち着かない、とあまり好評ではなかったという。
平成まで車籍は有していたが、1990年に廃車となり、現在は1号車、6号車の両先頭車両が新幹線車両センターにて帯を緑色に塗り替えて保存されている。残念ながら食堂車と寝台車は解体された。
中間車解体前の1987年8月22日、8月23日の仙台新幹線車両基地まつりではJR東日本仙台工場などが主改造を行い「JR車両・室内ニューモデル」と称した21世紀の新幹線車両のアコモデーションを検討するアンケートも兼ねてのモックアップ展示場として開放された記録が鉄道ファン誌1987年12月号より確認できる。この時にはフリースペースに掘りごたつ付きの和室構造なども試作され、食堂車は喫茶風に応用されていた。
関連項目
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