第1SS装甲師団 LSSAH 師団章 |
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「ミハエル・ヴィットマン」(独:Michael Wittmann 1914 ~ 1944)とは、第二次世界大戦期のドイツ第三帝国の戦車兵にして、大戦中の2年間で
を撃破した機甲戦無双なる史上最強の戦車撃破王。
第1SS装甲師団 ライプシュタンダーテ・アドルフ・ヒトラー(LSSAH)に所属。
バルタザー・ヴォルの「やつら、もう勝ったつもりでいやがる」に対する
「そうらしい。では教育してやるか」
の返答で有名なヴィレル・ボカージュの戦いにおける単機でイギリス戦車部隊を壊滅させる等、「魔王ルーデル」「黒い悪魔ハルトマン」「スナイパー・ケーニッヒ」「海のデーニッツ」「砂漠の狐ロンメル」らと並ぶドイツ第三帝国のチートキャラの一人として名を馳せる。
他に「ミハエル・ビットマン」という表記例もあるが、ドイツ語の原音は「ミヒャエル・ヴィットマン」に近い。
1914年4月22日にバイエルン州のフォーゲルタールの農家の子に生まれる。
くしくも1914年にセルビアでのテロから第一次世界大戦が勃発し、敗戦国となったドイツは多額の賠償金を抱えて苦しむ事となった。
小学校を卒業すると、家業の農業を手伝っていたが、1934年に第19歩兵連隊に入隊して2年間軍役についた後、1937年に親衛隊特務部隊・所謂「SS」に志願し入隊し、SS自動車化連隊「親衛旗“アドルフ・ヒトラー(LAH)”」に配属され、開戦前にSS軍曹に任官した後、装甲車の車長としてポーランド、フランス戦に参加した。
19411年のバルバロッサ作戦発動によるロシア侵攻の際、III号突撃砲の車長として8両のロシア軍戦車に囲まれた時に6両を戦闘不能にする等の無双ぶりを見せてり第1級鉄十字章を拝領した。
その後マックス・ヴュンシェの推薦によってSS士官学校に入り、卒業後、師団へと昇格していた「LAH」装甲擲弾兵師団・戦車連隊第13中隊に配属され、ヴィットマンの撃破記録を支えた最強の相棒・バルティこと「バルタザー・ヴォル」と組んで重戦車「ティーガー」の戦車長としてクルスク会戦に参加し、戦車30両・対戦車砲28門を撃破した。戦車66両撃破達成時には、騎士鉄十字章を拝領している。
1944年1月13日にはソ連軍戦車を16両以上撃破し、スコアを80台に載せ、柏葉付騎士鉄十字章を拝領してSS中尉に昇進した。なおこの時、相棒であるバルタザー・ヴォルも騎士鉄十字章を拝領している。
その後、連合軍のノルマンディー上陸に対抗する為に西部戦線へと配置替えとなり、1944年6月13日には、有名な「ヴィレル・ボカージュの戦い」に参加。単騎で敵戦車27両を撃破しイギリス第7機甲師団を壊滅させ、イギリス軍をおさえ続けた功績により柏葉剣付騎士鉄十字章を拝領してSS大尉に昇進した。
1944年8月8日、ティーガー4両編成で第12SS装甲師団の援護に向かう途中、英軍戦車部隊と遭遇。対戦車砲の砲火で僚車3両が立て続けに撃破され、12時47分、自車もファイアフライの直撃弾を受けて大破。搭乗員と運命を共にした。
※ヴィットマンと共に戦死した搭乗員は以下の通り
操縦手 | SS軍曹 | ハインリッヒ・ライマース |
無線手 | SS兵士 | ルドルフ・ヒンシェル |
照準手 | SS軍曹 | カルル・ワグナー |
装填手 | SS兵士 | ギュンター・ウェーバー |
ヴィットマンらの遺体は撃破地点付近に仮埋葬されていたところを、1983年道路工事中に発見されて、正式の軍隊葬の後、ラ・カンプの軍人墓地に埋葬された。
※その他「ミハエル・ヴィットマン」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
ヴィットマンが最強のタンクキラーと呼ばれる要因の一つに、ヴィレル・ボカージュにおける一騎当千の活躍がある。
では、教育してやるか!
イギリス第7機甲師団(「砂漠のネズミ」と呼ばれ、北アフリカ戦線で「砂漠の狐」エルヴィン・ロンメルと死闘を繰り広げた師団。実戦経験豊富と言う事でもある)は、ノルマンディー地区のヴィレル・ボカージュにて、ドイツ軍と激突した。
ヴィットマンが戦車長を務め、ヴォルが照準手を務めるハイパーモード状態の231号車単騎の奇襲から始まった戦いは、スタートと同時にイギリス軍側の3両の戦車が撃破され、その後も6両の戦車、10両のハーフトラック、4両の装甲車、2門の対戦車砲が次々とヴィットマンの駆る231号車単騎に破壊され続けた。
最終的には、ヴィットマンもイギリス軍の対戦車砲の攻撃をうけて231号車を失うもヴォルら乗組員と共に無事脱出し、この功績によってSS大尉に昇進、総統官邸で剣付き柏葉騎士鉄十字章を拝領した。
※詳細はWikipediaの該当記事参照の事。
▼ヴィットマンが一機当千ぶりを発揮したヴィレル・ボカージュの戦い
掲示板
50 ななしのよっしん
2021/03/22(月) 13:46:20 ID: fkREwADlcX
ヴィレル・ボカージュでの戦果は、当時のプロパガンダもしくは戦後のナチス・ドイツ軍神話によって「創られた」ものである可能性が高いってさ。
この動画の8分52秒あたりからその理由を解説している。
【ゆっくり解説】イギリス巡航戦車の秀作「クロムウェル」
https://
51 名無しのおじさん
2021/05/08(土) 08:54:21 ID: k5K/ZxkQps
52 ななしのよっしん
2021/05/10(月) 18:55:42 ID: HC17AHSNpy
その動画はちゃんと資料を当たって根拠を出したうえで誇張された戦果だったのではないかと考察してるので、無闇に偏ってるとか言うのは如何なもんかと思う
実際プロパガンダの一環として英雄が作られるということはあるわけだし、ナチス・ドイツは広報が上手かった様子だからなぁ
この手の戦史の研究、まとまってる本とかないんかね
第二次大戦の英雄って、俗説を鵜呑みにして超人扱いするのはかなり危なかっしく感じるよ
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最終更新:2024/05/04(土) 17:00
最終更新:2024/05/04(土) 17:00
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