藤立次郎(ふじたて じろう)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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藤立次郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
生年月日 | 1971年6月22日 |
身長 体重 |
178cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト4位 |
引退 | 2004年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
天理高等学校に進学。2年夏には甲子園大会に出場しており、その打力の高さはプロからも評価されていた。
1989年ドラフト会議にて、近鉄バファローズから4位指名を受け入団。同期入団には野茂英雄・石井浩郎・入来智らがいた。
1992年、控えの外野手として一軍に定着。対左投手の代打としても重宝され、71試合の出場で、打率.283、3本塁打、10打点を記録。
1993年は19試合の出場にとどまったが、打率.341、3本塁打を記録。1994年は48試合で6本塁打を放つなど、少ない出番でも長打力で存在感を示していた。
1996年、47試合と出場試合自体は少なかったものの、9月には史上3人目となる代打3打席連続本塁打を放つなど、活躍し、打率.309、9本塁打、21打点と好成績を残した。
だが、以降は腰の怪我に悩まされ出場機会が激減。1999年シーズンオフ、金銭トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。
オリックスでは初年度に71試合に出場して、打率.266、3本塁打、23打点を記録するなど活躍を見せたが、翌2001年は54試合の出場で、打率.229、2本塁打とやや成績を落としてしまい、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、入団テストを経て、中日ドラゴンズに入団。
中日では代打の切り札の役割を期待され、初年度は開幕直後は活躍したものの、その後はなかなか結果を残せなかった。翌2003年は1試合の出場に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
その後、入団テストを経て西武ライオンズに入団したが、一軍出場無しに終わり、1シーズン限りで戦力外通告を受け、同年限りで現役を引退。
引退後は水産関連の会社でサラリーマンとして勤務しているとのことである。
対左投手相手の成績が抜群に良く、ファンからは「左殺しの藤立」と呼ばれていた。
通算:12年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 431 | 823 | 728 | 84 | 186 | 29 | 105 | 5 | 15 | 9 | 70 | 1 | 168 | 28 | .255 | .318 |
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最終更新:2024/05/03(金) 19:00
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