アレクサンデル・セウェルス / インペラトル・カエサル・マルクス・アウレリウス・セウェルス・アレクサンデル・ピウス・フェリクス・アウグストゥス(208年~235年)とは、ローマ皇帝である。
概要
瞬く間に支持基盤を失い、暗殺されたエラガバルスに代わり即位した従弟。彼の暗殺をもってセウェルス朝は滅亡し、いよいよ軍人皇帝が乱立する時代へと移る。
アレクサンデル・セウェルスの治世
222年にエラガバルスが暗殺されると、彼の支持者だった祖母マエサといった人々は新たな皇帝として従弟のアレクサンデル・セウェルスを擁立した。かくして異教崇拝によって混乱した政治を回復しようとし、マエサの没後は母ユリア・ママエアが勢力を拡大し、エラガバルスの痕跡は消されていったのである。
しかし親衛隊長ウルピアヌスが223年か224年に殺されるなど、皇帝は依然として軍隊の支持を受けていなかった。さらにアレクサンデル・セウェルスの結婚相手であるオルビアナはユリア・ママエアと対立し、227年にオルビアナ一門は処刑や流刑に処されたのであった。
このように軍隊に不満が依然として漂っている中、ササン朝ペルシアのアルダシール王が侵攻してきた。231年にアレクサンデル・セウェルスはこれに立ち向かったのだが、エジプトから進軍していた第2軍団「トライアナ」が新皇帝を擁立し反乱を行う。この反乱は擁立者の名前すら残っていないほど瞬く間に鎮圧されたが、アレクサンデル・セウェルスはペルシアとの戦いに惨敗。評判をますます下げる結果となったのであった。
さらにこの時期西部ではゲルマン民族がライン川国境を突破。アレクサンデル・セウェルスは軍勢を率いてゲルマニア領に進軍したが、金銭で懐柔させようとするアレクサンデル・セウェルスの方針はますます軍隊の支持を失わせていった。
かくして軍隊はトラキア生まれの軍人マクシミヌスを擁立することを決意する。235年にマクシミヌスを帝位宣言させた軍隊はウィクス・ブリタニクスにいたアレクサンデル・セウェルスを急襲。アレクサンデル・セウェルスは、あっけなく敗死したのであった・
13年の統治で内政には功績をあげたアレクサンデル・セウェルスであったが、軍隊に支持されなかったのが痛手となった。このようにしてローマ帝国は軍人皇帝時代へと移っていく。
関連項目
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