この人の
音楽に注
目が集まらない、という現状
(少なくとも私の感じる限りでは)を、私はー彼を高く評価しているだけにーとても
残念に思う。でも、これは仕方のない事なのかもしれない。なぜかというと、彼の作品は「大騒ぎするためのもの」では「ない」からだ。それは静かな
響きで、聴く人の心を、撫でるように優しく
鎮めてくれる。そして心が鎮まったその時、まるで
大自然から、
人間以外の全ての生命から抱擁を受けているような一体感を、
世界との一体感を、彼の作品の鑑賞者は感じる事になる。しかし、「
東方作品」(ごちゃ混ぜの群像)を見物に来る大部分の
視聴者達には、
そんなものには全く用がないし、それを受け取る為の姿勢も
とることができない。彼らが
東方に期待し、またそれから受け取ろうとしているものはただ二つ。
眩暈のするような大騒ぎ、
我を忘れさせる高揚。それだけなのだ。
現状での
視聴者の精神というものはこのような体たらくなので、
これから
oikoの
音楽が様々な所で聞かれるようになる、と言う事態は
期待できそうも
無い様に思われる。ーけれど、この事が何か不都合なのかと言えば、そうでもないのではないか。
彼が今の
環境で、これからも今まで通りに私が
感動できる
音楽を作ってくれるのならば、これ以上の事があるのか?
一番恐ろしいのは、彼が有名になって持ち上げられる事で、
(省略しています。
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