カミノクレッセ 単語

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カミノクレッセ

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カミノクレッセとは、1987年生まれの日本競走馬

馬場距離不問の役たり得た名脇役。複数の意味で生まれた時代が悪かった。そんな男。

な勝ち
1991年:ブリーダーズゴールドカップ
1992年:日経新春杯(GII)

馬齢は現表記に統一

若駒時代

アンバーシャダイショウロマンコインシルバーという血統。

アンバーシャダイは大種牡馬ノーザンテーストの代表産駒であり、3年にわたり古馬王道路線の第一線で活躍し続けた80年代前半の優駿ショウロマンは2戦未勝利コインシルバー南関東の名テツノカチドキや、中央ではアサエンペラーなどGIには届かないが重賞級のを多数輩出している。
よく走るけど大一番には届かないアンバーシャダイコインシルバー。何か未来が見えたぞ。

デビューは3歳2月較的遅れ、3戦連続惜敗の後に未勝利戦を勝ち上がる。膜炎により約半年の休養を経て500万下、数戦けて900万下勝利1990年準オープンの身で終える。
実は、ここまでどのレースダートで走っており、年末まで3勝したが全てダート戦である。

ダートの強豪

1991年2月、この年3戦となる橿原Sを勝利オープンへ昇格。
重賞となる中日新聞杯を4着に好走、降級まで2戦したが勝ちには至らず、再び準オープンに戻る。

降級後、エルムS(1500万下)を勝利。この時上を勤めた南井克巳が、以後の騎手に定着する。
南井と手が合ったのか、続く札幌記念ではメジロパーマー(覚醒前)の0.2差の3着に好走、続くダートオープン競争であるタイムス杯とシーサイドSを連勝するなど、まさに勢いに乗っていた。

次走に、当時札幌競馬場で行われていた交流競走、ブリーダーズGCに挑戦。

ちょっと話が逸れるが、当時中央と地方の交流競走はブリーダーズGC帝王賞くらいしかく、中央のダート重賞もフェブラリーハンデウインターSなどがあったが全てGIIIと、はっきり言って現在では考えられないくらい中央のダート路線は軽視されていた。芝の敗者復活戦とも言うべきレベルオープン競走はそれなりにあったがほぼハンデキャップか別定戦であり、なまじ重賞を勝っちゃうとそこの負担重量が増えちゃうのである。そんな中でダート達はどうしたかと言えば、

というように、あまり注度の高くない中でみんな戦っていたのである。

閑話休題。話をカミノクレッセに戻すと、ブリーダーズGCにはトウケイニセイ以前に岩手競馬帝王に君臨していたスイフトセイダイ地方の代表格として参戦。レースではカミノクレッセが中団後方に位置取り、スイフトセイダイマークしつつジリジリとポジションを上げる。最終コーナースイフトセイダイが先頭に立つが、それをカミノクレッセが外から交わすと直線で一気に突き放す突き放す。最終的にスイフトセイダイに大差を付けて圧勝したのである。
続いて天皇賞(秋)に出走。単勝12.2倍の5番人気だった。結果は4着入線したが1着のメジロマックイーンが進路妨で降着となった為、繰り上がりで3着となった。しかしメジロマックイーンの斜行のを受け脚部に外傷を負い、ここで4歳シーズンを切り上げる事となった。脚部に不安を抱え、以後痛み止め注射がカミノクレッセ最大の友達となってしまう。

スーパーシルコレ伝説

5歳となり、1月日経新春杯にて2着に2身差を付けようやく中央重賞勝利を挙げ、打倒メジロマックイーンを掲げ阪神大賞典に参戦。しかし5身突き放された2着敗北する。長距離マック無理っす

続く天皇賞(春)では南井克巳イブキマイカグラに乗るため、田島信行に乗り替わり。37.2倍の4番人気で迎えたが中段待機から徐々にポジションを上げメジロマックイーンに詰め寄るが2身半差の2着敗北。3着のイブキマイカグラを5身突き放しているから実力は見せた。

続いて安田記念に出走。距離3200mから一気に半減。一応イブキマイカグラとかダイユウサクが一緒にやって来たので、そう変わったローテではない...よね? 5番人気で迎えたレースは後方待機から力強い末脚で伸びたが、ヤマニンゼファーに4分の3身及ばずまたも2着。クビ差の3着に10番人気ムービースターが入る波乱のレース展開となった。

最後に宝塚記念に出走。フェブラリーS高松宮記念GIじゃないから、当時のの古GIを全て皆勤した事になる。マックイーンもゼファーもテイオーもいないので2.0倍の1番人気に推され、2番人気は5.9倍のダイタクヘリオスというを信用して良いのか分からん状態。
レースメジロパーマーがハイペース逃げダイタクヘリオスが追走するいつもの展開。カミノクレッセは5番手で追走するが、当時の阪神競馬場100%洋芝。4コーナーに入る頃にはメジロパーマーを除きみ~んなバテバテ。そんな中必死メジロパーマーに追いすがるが、3身差を埋めるに至らず2着

GI3戦連続2着、阪神大賞典含めて4戦連続2着。いささかも、快挙と言って差し支えないだろう。
この後脚部不安から92年シーズンを切り上げ、翌年に復帰したが全く精細を欠き4戦して引退

種牡馬入りしたはしたが、血統登録された産駒は僅か18頭で、そのうち中央で勝利を挙げたゴールデンパール1頭だけだった。一応15頭が競走馬デビューし、地方含めて13頭が勝ち上がっている。
種牡馬生活引退後、生まれ故郷の昭和牧場にて功労生活を送っていたが、2014年7月に27歳で死亡

通算30戦8勝、2着7回、3着4回。重賞勝ちは日経新春杯ブリーダーズGC
天皇賞(春)安田記念宝塚記念の古GIを皆勤して全て2着という成績を残したのは、後にも先にもカミノクレッセのみである。

思えば、生まれた時代が悪かったであった。それも複数の意味で。
彼の全盛期であった92年から3年後の1995年地方競馬との交流が活発化し、中央地方を問わずダート選択肢は格段に増えた。また、同時期のメジロマックイーンヤマニンゼファーメジロパーマーも一芸に秀でた優駿であり、彼らと時代が重なった、また脚部不安を抱えてしまったのが不運だった。
しかしながら岩手の名スイフトセイダイを撃破し、距離の異なる大舞台三度2着に入るという、馬場距離も不問のスーパーホースであった。役たり得た名脇役、とでも言うべきだろうか。

血統表

アンバーシャダイ
1977 鹿毛
*ノーザンテースト
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*クリアアンバー
1967 黒鹿毛
Ambiopoise Ambiorix
Bull Poise
One Clear Call Gallant Man
Europa
ショウロマン
1981 鹿毛
FNo.11-e
*コインシルバー
1974 黒鹿毛
Herbager Vandale
Flagette
Silver Coin Never Bend
Silver Spoon
ヒデシャイン
1967 栗毛
*ボウプリンス Prince Chevalier
Isabelle Brand
ジャンダーク シマタカ
*トートレル
競走馬の4代血統表

クロスLady Angela 4×5(9.38%)、Bull Lea 5×5(6.25%)

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