コガネタイフウ 単語

コガネタイフウ

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コガネタイフウKogane Taifu)とは、1987年生まれの日本競走馬鹿毛

JRAGⅠとして一、障害転向と地方移籍を両方経験した流浪の

な勝ち
1989年阪神3歳ステークスGⅠ

概要

*マグニテュード、コガネポプラカブラヤオーという血統。
競走馬としては6戦未勝利に終わったが、が名種牡馬Mill Reef二冠牝馬Altesse Royaleという良血を買われて日本種牡馬入りしたに*ミルジョージ代替として、二冠馬ミホノブルボン桜花賞エルプス高松宮記念マサラッキなどを輩出した。
は未出走で繁殖入り。
1975年二冠馬となった「狂気逃げ」。種牡馬としてはエリザベス女王杯を勝ったタマモクロスミヤマポピーを出した程度。

1987年6月12日伊達市黄金牧場で誕生。競走馬としては相当な遅生まれで、グレード制以降の中央GⅠでこれより遅いのはコスモドリームアグネスフローラのみ、交流GⅠを含めてもレギュラーメンバーの3頭しかいない。
黄金牧場は*マグニテュードの種牡馬導入の中心となった牧場のひとつで、実績を挙げてシンジケートを存続するために自前の繁殖牝馬に積極的に*マグニテュードを配合していた。
3歳上の全重賞2着2回などがあるコガネターボ、1歳下の全重賞2勝のコガネパワーがいる。

※この記事では時代に合わせ、馬齢表記を数え年(現表記+1歳)で記述する。

迷走台風

栄光への進路

コガネターボと同じ、東の中村好夫厩舎に所属したコガネタイフウは、1989年9月10日阪神・芝1600mの新馬戦南井克巳上にデビュー。1番人気に支持されたが4着に敗れる。中2週で芝1200mの折り返し新馬戦に臨むも2着。連闘でダート1200mの新馬戦を使って勝ち上がる。

このあと同厩舎の同期との潰し合いを避けるために関西ながら関東に遠征。中1週で府中アイビーステークス(OP)に向かい3着、中2週で同じ府中1400mのきんせんか賞400万下)にて中で不利を受けながら2勝を挙げると、さらに中2週で芝1800mの府中3歳ステークス(OP)(現:東京スポーツ杯2歳ステークス)に挑み5着。使いすぎでは?

東京遠征を終えて関西に戻ってきたコガネタイフウは、事に2勝となったこともあり、そのまま阪神3歳ステークスGⅠに挑むことになった。この年の関西の3歳戦線にはヤマニングローバルという絶対的本命がいたのだが、骨折で戦線離脱したため混戦ムードになっていた。そんな中でもコガネタイフウは12.9倍の7番人気と、とりたてて高く評価されていたわけではなかった。
ここまでのレースも出遅れたり引っかかったり、折り合いをつけるのが難しいだったがコガネタイフウだが、この阪神3歳Sで新たに手綱を任された田原成貴は「折り合いさえつければなんとかなる」と、レース本番はまず後方から折り合いをつけることに専心し、上手くコガネタイフウの闘争心を引き出して3コーナーからめの進出を開始した。
前では4番人気ダイタクヘリオスが快調に逃げ田原は後ろの1番人気ルマルミマタオーの仕掛けを待っていたがなかなか来ない。これで仕掛けが遅れてしまったものの、直線に入って逃げダイタクヘリオス必死に追いかけ、最後はなんとかタマ差捉えきったところがゴールだった。

見事西の3歳王者にいたコガネタイフウ。……だったのだが、この年の東の3歳王者が朝日杯3歳Sマルゼンスキーレコードタイ叩き出したアイネスフウジンとあっては、コガネタイフウはその陰に隠れてしまった。それどころか、この年のJRA賞最優秀3歳アイネスフウジン112票)に持って行かれたのはともかく、ヤマニングローバルに43票も入ったのに対してコガネタイフウはたった9票。そんなあ。

……ある意味、彼の流浪の生は既にこの3歳時から始まっていたのかもしれない。

栄光なき放浪

明けて4歳となったコガネタイフウは、クラシックして引き続き田原きさらぎ賞GⅢから始動。新馬戦で戦ったナリハヤブサ阪神3歳Sに続きダイタクヘリオスとの再戦になったが、ここで1番人気に支持されたのは西の3歳王者の彼ではなかった。4連勝中のハイセイコー産駒芦毛ハクタイセイである。コガネタイフウは中団で前のハクタイセイマークして進め、3コーナーハクタイセイと一緒に上がって行き、直線外にヨレながらハクタイセイに追いすがったものの、振り切られて2着。

続いてペガサスステークスGⅢへ。ここでは単勝1.4倍の単定という断然の支持を受け、中団でレースを進めたのだが……前にいたニホンピロエイブルを斜行を食らって4コーナー競走中止の憂きに遭う(加ニホンピロエイブルは7位入線後失格)。しかもこの落田原が負傷、本番の皐月賞には乗れなくなってしまった。

そんなわけで柴田善臣を迎えて臨んだ皐月賞GⅠ。この年は前述のハクタイセイアイネスフウジン、そしてメジロライアンの3頭を軸にした混戦ムードだったが、その中で3歳GⅠコガネタイフウは30.3倍の12番人気という評価に甘んじていた。しかしコガネタイフウは中団でレースを進めると、直線で内の狭いところを抜け出し、3着メジロライアンハナ差の4着。西の3歳王者の意地を見せた。

……が、彼のきはここまでだった。続く東京優駿GⅠを見せ場なく10着に敗れると、捲土重来を期した中日スポーツ賞4歳ステークスGⅢも5着。菊花賞して京都カシオペアステークス(OP)に再び田原を迎えて臨んだが、なんとまたしても落競走中止。菊花賞を断念、鳴尾記念GⅡを6着に敗れたところで骨折が判明、1年以上の長期離脱となってしまう。

6歳となった1992年に復帰したが、その後は10戦してオープン特別ですら掲示板がやっとという走が続き、1993年4月大阪城ステークス(OP)8着を最後に、なんと彼は障害競走に転向する。グレード制導入から10年、GⅠ障害転向するのは彼が初の事例となった。

しかし障害でも転向初戦こそ大差勝ちを収めたものの、続く障害400万下では3着、最下位9着に終わり、障害でも見切りを付けられてしまったコガネタイフウはJRAの登録を抹消オーナーも変わり、ついに地方に移籍することになる。
GⅠ障害入りは彼の後にブゼンキャンドルウインクリューガービッグウィークの例があるし、中央の芝GⅠ地方に移籍した例もマーベラスクラウンダンツフレームエイシンチャンプの例があるが、両方を体験したのは2024年現在もコガネタイフウが一である。

しかしもボロボロのコガネタイフウは地方ですら通用せず、足利宇都宮高知と彷徨ったが6戦未勝利高知のC級で2着になったのが最高成績だった。
そしてその後、コガネタイフウは種牡馬入りすることもなく、その行方は知れない。栄の中央GⅠだったはずのコガネタイフウは、栄なき流浪の果てにひっそりと消えていった。

ちなみに重賞勝利だった全コガネターボと、GⅢ2勝の全コガネパワー種牡馬入りを果たしている。前者は種付け2頭で産駒なし、後者は種付け15頭で産駒7頭と、種牡馬として実績を残したわけではないし、その血もとうに残っていない。
だが、GⅠを勝ったコガネタイフウが流浪の果てに種牡馬入りできず、実績ではコガネタイフウに劣るはずのが曲がりなりにも種牡馬入りしたという事実には、競走馬生というものについて考えずにはいられないものがある。

彼の勝利した阪神3歳ステークスは、その2年後に限定の阪神3歳牝馬ステークス衣替えし、西の3歳王者決定戦という役割を終えた。GⅠ格付けから限定戦に変わるまでの7年間の勝ちのうち、種牡馬入りできたのはサッカーボーイイブキマイカグラの2頭のみである。

血統表

*マグニテュー
1975 鹿毛
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Altesse Royale
1968 栗毛
*セントクレスピン Aureole
Neocracy
Blue Azur Crepello
Blue Prelude
コガネポプラ
1980 黒鹿毛
FNo.7-d
カブラヤオー
1972 黒鹿毛
*ファラモンド Sicambre
Rain
カブラヤ *ダラノー
ミスナンバイチバン
セントシグマ
1974 栗毛
Supreme Sovereign Sovereign Path
Valtellina
*デイオブレコニン Busted
Atonement

クロス:Crepello 4×5(9.38%)、Nearco 5×5(6.25%)

関連動画

阪神3歳ステークス動画はないのでYouTubeで見てください。落したペガサスSとかもあるよ。

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