エイシンサニー(Eisin Sunny)とは、1987年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
エイシン軍団初のGⅠ馬で、破格のレコードで無敗の桜花賞馬を破った1990年のオークス馬。34歳まで生き、グレード制以降のGⅠ馬で最長寿の記録を持っている。
主な勝ち鞍
1990年:優駿牝馬(GⅠ)、報知杯4歳牝馬特別(GⅡ)
父*ミルジョージ、母エイシンナツコ、母父*ダイアトムという血統。
父は主にダート向け種牡馬としてイナリワン、ロジータ、オサイチジョージなどを送り出し、*ノーザンテーストを抑えてリーディングサイアーにも輝いた名種牡馬。
母は同じ平井オーナーの馬で、26戦3勝。
母父はフランスの馬で、1965年のワシントンDC国際ステークス、1966年のガネー賞などの勝ち馬。1975年から日本に種牡馬として輸入され、天皇賞馬クシロキングなどを輩出した。
1987年3月29日、浦河町の栄進牧場で誕生。オーナーは栄進牧場の創業者で、「エイシン」「エーシン」の冠名を用いた栄進堂代表・平井豊光。
馬体重はデビュー時点で394kg、最大でも420kgという小柄な馬であった。
※この記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(満年齢+1歳)で表記します。
エイシン軍団の主な預託先であった栗東の坂口正則厩舎に預けられたエイシンサニーは、1989年8月12日、小倉・芝1000mの新馬戦にて南井克巳を鞍上にデビュー。小倉で新馬戦に3回出走したが5着→4着→9着に終わり、阪神に移った4戦目の未勝利戦で小池隆生を鞍上に勝ち上がる。
続く400万下条件では5着、4着としたあと、この年サンドピアリスのエリザベス女王杯でGⅠ初制覇を挙げたばかりの2年目の若手・岸滋彦を迎えた昇級3戦目のカトレア賞(中京・芝1800m)を2番手先行から上がり最速でレコード快勝。以降、岸滋彦が主戦騎手となる。
これで年末のラジオたんぱ賞3歳牝馬ステークス(GⅢ)に挑戦。混戦ムードの中で8.1倍の5番人気に支持され、先行するも人気通りの5着。そこから連闘で中京3歳ステークス(OP)に向かったが、ここも7着に終わり、4ヶ月で9戦というハードローテの3歳を終える。
明けて4歳、桜花賞を目指してまずは年明けの紅梅賞(OP)。41.0倍の8番人気という低評価だったが、後方から追い込んでクビ差の2着。惜しくも賞金を加算できなかった。
続いてのエルフィンステークス(OP)では、この年の牝馬戦線の絶対的大本命と初顔合わせ。オークス馬アグネスレディーを母に持つ2戦2勝のアグネスフローラである。5番人気エイシンサニーは後方から追い上げたものの、ほとんど追うことすらしていないアグネスフローラに全く追いつけず3着。格の違いを見せつけられる格好になった。
オープンで2着、3着と好走はするものの、このままでは桜花賞へ賞金が足りないエイシンサニーは、トライアルへ向かうことに。当初はチューリップ賞の予定だったが、主戦の岸滋彦がスキーに行っていて騎手免許更新の面接をすっぽかしてしまい謹慎を食らい騎乗できなくなったため、岸の謹慎が明けてからの報知杯4歳牝馬特別(GⅡ)(現:フィリーズレビュー)へと向かうことになった。
朝日杯2着馬サクラサエズリが断然人気で、エイシンサニーは15.8倍の6番人気という微妙なポジションであった。しかしサクラサエズリが競り掛けてきたブランドピートと競り合ってハイペースの展開になり、最後方に控えたエイシンサニーは上がり最速の末脚を繰り出して見事に差し切り勝ち。坂口師に嬉しい重賞初制覇を贈り、桜花賞への優先出走権も無事にゲットした。
というわけで迎えた桜花賞(GⅠ)は4戦4勝のアグネスフローラが当然の1番人気。エイシンサニーはエルフィンSで勝負付けが済んだと見られたか、13.6倍の5番人気である。
レースは前走に続き、サクラサエズリら先行勢が激しく争ってハイペース縦長の展開。2頭が競走中止になるハードな展開を最後方から追走、直線で追い込んだものの、前目から上がり最速のアグネスフローラの背中ははるか先。アグネスフローラからは1.4秒も離され、3着からも6馬身離された4着。完敗であった。
続く優駿牝馬(GⅠ)では桜花賞除外の良血馬ダイイチルビーが名乗りを挙げたが、やはり1番人気はアグネスフローラ。20頭立て17番枠のエイシンサニーと岸滋彦は相変わらず12.2倍の5番人気という単穴ポジションであった。
レースはトーワルビーが大逃げを仕掛け、アグネスフローラは中団。エイシンサニーと岸滋彦はいつも通り最後方に構えると、4角から徐々に中団馬群の中へと押し上げて行く。直線入口でトーワルビーが捕まり、残り400m、ばらけた馬群の中からアグネスフローラが堂々と先頭に躍り出た、まさにそのとき。その後ろから猛然と、アグネスフローラだけを見定めて末脚を伸ばしてきたのがオレンジの帽子に赤と黒の勝負服、岸滋彦とエイシンサニー! 残り200m過ぎで完全な一騎打ちに突入したが、残り100mでアグネスフローラをかわしたエイシンサニーが、そのまま3/4馬身競り勝って岸滋彦のガッツポーズとともにゴール板を駆け抜けた。
無敗の桜花賞馬を打ち破り、勝ち時計2:26.1は従来のレコードをなんと2秒も更新する破格のレースレコード。当時のダービーレコード(1988年サクラチヨノオーの2:26.3)をも上回る猛時計であった(まあ翌週にアイネスフウジンが2:25.3を出すんだけども)。このレースレコードが更新されるのは実に17年後、2007年にローブデコルテによってのことになる。3年目の岸滋彦はサンドピアリスに続いて2年連続のGⅠ制覇。平井オーナーは嬉しいGⅠ初制覇となった。
しかしスーパーレコードの代償か、この後のエイシンサニーは振るわなかった。秋は牡馬に混じって神戸新聞杯(GⅡ)に挑戦したが離された5着。河内洋が騎乗したローズステークス(GⅡ)はまさかの12着に撃沈し、岸に戻ったエリザベス女王杯(GⅠ)も後方から7着まで。
当時は有馬記念のステップレースだった鳴尾記念(GⅡ)7着を経て有馬記念(GⅠ)に果敢に挑んだが、オグリキャップの劇的なラストランの後ろで14着に終わる。
明けて5歳は2月の目黒記念(GⅡ)に挑んだが10着に終わり、当時は古馬牝馬に目標となるGⅠもなかったため、このレースを最後に現役引退、故郷の栄進牧場で繁殖入りとなった。通算20戦4勝 [4-1-1-14]。
繁殖牝馬としては2007年までに10頭の仔を産み、重賞馬は出なかったが6番仔のエイシンハリマオー(父トウカイテイオー)が重賞2着2回などの実績を残した。牝馬2頭が繁殖入りし、曾孫から2011年の兵庫CS勝ち馬エーシンブランが出たものの、曾孫世代に繁殖入りした牝馬がおらず、どうやら牝系の血は途切れてしまったようである。
エイシンサニー自身は2007年限りで繁殖を引退したあとも栄進牧場で功労馬として長く余生を過ごし、2021年2月17日に死亡。34歳(厳密には33歳326日)というのは記録的な大往生で、八大競走馬ではシンザン、オークス馬でもカネケヤキとケイキロクという上には上がいるものの、グレード制以降のGⅠ馬では2024年現在も最長寿記録である。[1]
| *ミルジョージ 1975 鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
| Lalun | |||
| Milan Mill | Princequillo | ||
| Virginia Water | |||
| Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
| Fantan | |||
| *マタテイナ | Grey Sovereign | ||
| Zanzara | |||
| エイシンナツコ 1980 鹿毛 FNo.3-f |
*ダイアトム 1962 黒鹿毛 |
Sicambre | Prince Bio |
| Sif | |||
| Dictaway | Honeyway | ||
| Nymphe Dicte | |||
| ラウンドマザー 1971 栗毛 |
*チャイナロック | Rockefella | |
| May Wong | |||
| *レディアリス | Alycidon | ||
| Pontoon |
クロス:Nasrullah 4×5(9.38%)、Prince Rose 5×5(6.25%)
オークスの動画がないのでYouTubeのJRA公式の動画
を見てください。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/16(火) 07:00
最終更新:2025/12/16(火) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。