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メジロマックイーン

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91年 天皇賞(春)

メジロマックイーン、子三代制覇。

絶対の強さは、時に人を退屈させる。 

 ―2011年天皇賞(春)CMより 

メジロマックイーンとは、1987年まれの競走馬。親子三代天皇賞制覇、春の天皇賞連覇を達成した名である。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
メジロマックイーン(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要

メジロティターン メジロオーロラ マンドという血統。半菊花賞有馬記念勝利したメジロデュレンがいる。メジロ牧場天皇賞(しかも3200mの)制覇を最大標としており、特にメジロ牧場社長だった北野豊吉が「ティターンの子で天皇賞に勝て!」と遺言してからは、底して長距離的な配合をしていた。メジロマックイーンはその結晶だったといって良い。

体質が弱い上に大で、仕上がりは遅れてデビューは3歳になってから。出世も遅く、血統的に向いていると思われた菊花賞にも前戦とした嵐山ステークスで直線にて進路を失うミスから2着となり本賞を加算できず賞不足で出られないところであった。

しかし何とか出走。血統の支持を集めて4番人気レースは4コーナー先頭という強引なレースだったが、押し切って圧勝。ちなみにこの時、1番人気牧場で一緒に育ったメジロライアンで、杉本清アナウンサーは「メジロでもマックイーンのほうだ!」と叫んだ訳だが、後でビデオかなんかで見た世代からすれば杉本アナウンサー実況意味が分からないと言われる事だろう。ちなみにはこの後お休みして有馬記念には出なかった。もし出ていたら「ライアン!」ではなく「マックイーン!」というが聞こえたかどうかは定かではない。

次の年、内田浩一騎手から武豊騎手に乗り変わる。阪神大賞典(この年は中開催)は圧勝。天皇賞は当然の1番人気レースは全く危ないところがレース振りで勝。見事親子三代天皇賞制覇を達成したのであった。武豊騎手上で北野豊吉の遺影を掲げたという。

しかし宝塚記念ではゴール前で物凄い勢いで追い込んだがメジロライアンに届かず2着。

京都大賞典を楽勝。勇躍、秋の天皇賞へ向かった。

ところがここで歴史に残る大失態を犯すのである。メジロマックイーンは13番東京2000mは現在でこそマシになったが、その当時はスタートしてすぐに2コーナーがあるというコース設定だった。メジロマックイーンはしく絶好のスタートを切り、武豊騎手はこれは前に位置取りすべきだということでを前に、インコースへ持っていった。ところがこの時、メジロマックイーンのインコースには内だから前に行きたいが殺到していたのである。メジロマックイーンが内に寄ったことで行き場をくしたたちは立ち上がり、中には落寸前になる者もいた。

そうとは知らない武豊騎手とメジロマックイーンは直線でプレクラスニーを競り落とし、6身差でゴールしてしまった。勝ったものと思った武豊騎手柴田政人騎手が止めるのも聞かずウイニングランまでやってしまった。

結果は18着降着である。GⅠレース1着が降着の憂きにあったのはこれが史上初であった。

これでけちがついたのか、続くジャパンカップは直線で凄まじい切れ味を見せた、アメリカゴールデンフェザントに置いていかれて4着敗。有馬記念ダイユウサクの一世一代の大駆けにやられて2着。

仕切り直して翌年。阪神大賞典を楽勝して天皇賞に向かった。そこに、前年の二冠トウカイテイオーが出走してきたのである。敗の三冠馬シンボリルドルフを持つ、このフワフワと変な歩き方をする敗の戦績と見たの良さもあって絶大な人気を誇っていた。と同じ岡部幸雄騎手を背に産経大阪杯を勝ち、敗記録を伸ばして天皇賞に乗り込んできたのである。「地の果てまで駆けてしまいそう」とトウカイテイオーの乗り味をった岡部に対し「あちらが地の果てならのはにまで昇りますよ」と武豊が応じたライバル心むき出しの騎手コメントも相まって対決ムードは最高潮。あれほど盛り上がった天皇賞春は記憶にい。

このレース、なんとマックイーンは2番人気だった。昨年の優勝。しかも前戦の3000mを楽勝して不安要素も全くい。騎手は既に春の天皇賞に3勝もしている武豊。そのが2.2倍の2番人気なんである。1番人気トウカイテイオー3200mなど走ったこともかった。

当然マックイーンが勝った。杉本アナウンサーは「どんなもんだい、メジロマックイーン、どんなもんだいといったところ」と実況したが、ゴールマックイーンが鼻息をフンと吹くのが見えたものである。競馬ファンは思わず「めてましたスイマセン」とマックイーンに謝った。

これはもう、どれだけ強くなるか、と思った矢先、メジロマックイーンは折してしまう。ちなみにこの時患った左前脚部第一節種子折というのは予後不良級の折であり、一つ間違えばその後のマックイーンの活躍はかっただろう。

復帰は翌年だった。産経大阪杯を如何にも太いなぁという体ながらレコードで楽勝。このレースの強さは長期休養明けとは思えないくらいであり、これはもう天皇賞も決まり!ともが思っていた。

そう思わなかった(と関係者)もいた。ライスシャワーである。前年の菊花賞を制し、血統的にもステイヤーだったライスシャワーにとって、春の天皇賞は是が非でも欲しいタイトルだった。そのタイトルをメジロマックイーンから奪うために、関係者はライスシャワーに過酷な調教を施した。その結果的場均騎手が「もうには見えなかった」と言った様な研ぎ澄まされた体に仕上がっていた。

そして迎えた天皇賞。先行したメジロマックイーンの後ろにニンジャの様にり付く体。直線入り口で堂々先頭に立ったマックイーンを外から物凄い脚でねじ伏せたのはライスシャワー。メジロマックイーンの天皇賞春3連覇のライスシャワーレコード駆けの前に絶たれたのだった。

6歳(当時の表記は7歳)という年齢、そして折明け。マックイーンは衰えてしまったのか?いや、全くそんなことはなかった。次走の宝塚記念では、強ライバルが不在だったとは言え、中外をずっと走って、4コーナーも大外ブン回しで2着以下を置き去りすると言う規格外の強さで圧勝。初戦の京都大賞典では、2400mを2分227という驚異的なコースレコードで走破し、この年のジャパンカップを勝つレガシーワールドに3身半差をつける圧勝。古になってから一度もいいことのなかったシーズン、ついに満願成就がなることを疑い得ないようなパフォーマンスである。

だが、好事魔多し、天皇賞秋の最終追い切り後に繋靭帯炎を発症してしまう。営はここでキッパリ引退を表明。長い戦いの日々が終わった。

メジロマックイーンは一流にしてはしく6歳まで走り、最後まで成績が落ちないという稀有なであった。しかも折で休んだ以外は絵に描いたようなローテーションを守り、敬遠するも多い宝塚記念にもきっちり出走する。しかも4歳以降の成績は安定感抜群。しかし戦績にべて人気が高いとは言えないであった。もちろん中央競馬トップクラススターホースとしての人気はあったが、オグリキャップのようなアイドルには至らなかった、という意味である(較の相手が悪すぎるけれど、何しろ最強伝説の直接の後継者である)。

メジロマックイーンは引退後種になる。ノーザンダンサー系のにつけ易いのが売り。社台スタリオンステーション来に繋養されていた事もあり、社台のノーザンテーストにつけたらきっと面い子が出るよ、と期待されていたが遂にGⅠは出せなかった。

後継種として2005年産駒のギンザグリングラス一登録されている。現役時代は中央・地方合わせて109戦して3勝という成績だったのだが、血統をつなぎたいという理由で繁殖入りすることとなった。

社台スタリオンステーション来に繋養されていたメジロマックイーン。その隣には希代の大種サンデーサイレンスが繋養されていたのである。サンデーサイレンスと言えば有名な俺様。気に入らなければにでも噛み付くという暴さで知られている。やってきた新入りのメジロマックイーンにも最初は威嚇を見せたらしい。

しかし、マックイーンが視を決め込んでると、どうした訳かサンデーサイレンスマックイーンを気に入ってしまったらしい。終いには「人」と評されるくらいの仲になったのだとか。なんでも隣り合った放牧地から顔を伸ばしあって見詰め合っていたとか何とか。

ちなみに、メジロマックイーンはとして優秀な成績を収めており、ドリームジャーニーオルフェーヴルの全兄弟に加え、ゴールドシップタイセイレジェンドと4頭のGIを出している。内、ドリームジャーニーオルフェーヴルゴールドシップサンデーサイレンス息子ステイゴールドの子である。

2006年死亡。彼が黄金時代を築き上げたメジロ牧場2011年解散。なんとも、時代の流れと世の無常を感じる話である。

血統表

メジロティターン
1978
メジロアサマ
1966 
パーソロン Milesian
Paleo
スヰート First Fiddle
Blue Eyed Momo
シェリル
1971 鹿
スノップ Mourne
Senones
Chanel Pan
Barley Corn
メジロオーロラ
1978 
マン
1966 
Alcide Alycidon
Chenille
Admonish Palestine
Warning
メジロアイリス
1964 鹿
ヒンドスタン Bois Roussel
Sonibai
アサユリ ボスニア
トモエ F-No.7-c

Mejiro McQueen(1987)←Mejiro Titan(1978)←Mejiro Asama(1966)←Partholon(1960)
Milesian(1953)←My Babu(1945)←Djebel(1937)←Tourbillon(1928)←Ksar(1918)
←Bruleur(1910)←Chouberski(1902)←Gardefeu(1895)←Cambyse(1884)←Androcles(1870)
Dollar(1860)←The Flying Dutchman(1846)←Bay Middleton(1833)←Sultan(1816)
←Selim(1802) ←Buzzard(1787)←Woodpecker(1773)←Herod(1758)Tartar(1743)
←Croft's Partner(1718)←Jigg(1701)←
Byerley Turk(1679)

系が滅びつつあるバイアリータークの血を、シンボリルドルフとともに日本で発展させた功績は大きい。
もっとも、それも長くは続かなかったが。
ただ、先述の通りギンザグリングラスという後継がいるため、血を次代につなぐことはできている。

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