タイキフォーチュン 単語

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タイキフォーチュン

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タイキフォーチュンTaiki Fortune)とは、1993年生まれの日本競走馬鹿毛

大樹ファーム初の重賞GⅠにして、驚愕レコード叩き出したNHKマイルカップ初代王者。

な勝ち
1996年NHKマイルカップGⅠ毎日杯GⅢ

概要

*シアトルダンサーII*パテントリークリアMiswakiという血統のアメリカ
Nijinsky産駒で、アメリカ三冠馬Seattle Slewの半欧州で走り、僅か2ヶちょっとの現役生活でG2を2勝、G1パリ大賞2着の実績がある。アメリカ種牡馬入り後、タイキフォーチュンと同期重賞3勝*エイシンガイモンの活躍で1997年から日本輸入されたが、輸入後はこれといった産駒を出せず2003年ドイツに再輸出されてしまった。
アメリカ産で、アメリカアイルランドで走り18戦3勝。タイキフォーチュンが初
ミスワキ競走馬としては2歳G1を1勝したのみだが、種牡馬としては成功を収め、Urban Seaマーベラスクラウンを送り出した。としてはUrban SeaであるGalileoSea The Stars欧州競馬をその血で席巻しており、日本ではサイレンススズカザッツザプレンティを輩出している。

1999年クリスタルカップを勝った*タイキダイヤ*オジジアン)、半2002年NZTを勝った*タイキリオンWild Again)がいる。甥にはセイウンコウセイ(半オブザーヴァントの)、またタイキダイヤの孫にクラリティスカイがいる。

1993年2月9日アメリカケンタッキー州で誕生。
オーナータイキシャトルなど「タイキ冠名を用いる、一口馬主クラブ大樹ファーム。1口38万円×100口(=3800万円)で募集された。

大樹ファームは1990年広尾大樹町牧場を設立してそれをクラブ名としたが、当初の生産拠点は設立者が買い上げたアメリカビッグシンクファーム(ちなみに元々の持ちは第2回ジャパンカップ勝ちHalf Iced馬主)で、そこで生産した良血アイルランドに持っている育成牧場で育成し、日本に連れて来るというシステムだった。
このビッグシンクファーム生まれのタイキシャトルと同じく、タイキフォーチュンも生産者が「Taiki Farm」として登録されているので同じビッグシンクファーム産と思われるが、募集時のカタログexitには生産者がタイキブリザードと同じ「H&Yブラッドストック」と書かれている。全部同じ牧場のことなのかもしれないが。

※この記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(満年齢+1歳)で表記します。

幸運の大樹

サンデー産駒の高い壁

高橋祥泰厩舎に入厩したタイキフォーチュンは、1995年11月5日東京ダート1400mの新馬戦柴田善臣上にデビュー。以後、引退まで1戦を除いて柴田上を務めた。同じ大樹ファームのタイキフォレスト(タイキシャトルの半)と人気を分け合ったが、特に見せ場なく8着。
芝に切り替え、連闘で芝1800mの折り返し新馬戦に向かうと、単勝3.0倍の1番人気に支持され、ここを逃げ切って勝ち上がり。以降は芝に専念することになった。

続いて中2週で中山・芝2000mの葉牡丹賞500万下)へ。チアズサレンスが1.2倍という断然人気で、タイキフォーチュンは21.6倍の5番人気という低評価だったが、ハイペースを先行して上がり最速を叩き出し、2:01.6のレコードタイムで2身半差の圧勝。一躍注を集めることになる。

というわけで関西遠征し、出世レースラジオたんぱ杯3歳ステークスGⅢへ。この年サンデーサイレンスの初年度産駒クラシック戦線を席巻し、2世にあたるこの世代もSS産駒が注を集めていた。単勝2.4倍の1番人気朝日杯2着のエイシンガイモンを黄菊賞で下している後の皐月賞イシノサンデー、4.0倍の2番人気は後の菊花賞ダンスインザダーク柴田善臣が同日のフェアリーSで1番人気マックスロゼに騎乗するため中山に行っていたので坂本勝美がテン乗りとなったタイキフォーチュンは、そのSS産駒2頭に次ぐ5.2倍の3番人気に支持された。しかし4番手で先行したものの、3コーナーあたりで既に手応えが怪しく、直線で沈んで11着。
勝ったのはウイニングチケットの半、4番人気のこれまたSS産駒ロイヤルタッチ朝日杯バブルガムフェロークラシックを争う「サンデー四天王」が形成される中、マル外なのでそもそもクラシックの出走権がないタイキフォーチュンとは大きく明暗が分かれることになった。

明けて4歳、柴田善臣が戻ったタイキフォーチュンは初戦に弥生賞GⅡを選択。クラシック出られないのに? とは思うが、美だし、レコード勝ちした葉牡丹賞と同条件というところからの選択だろう。ここでもイシノサンデー(1.9倍)・ダンスインザダーク(2.1倍)との対決となったが、オッズは大きく離されて17.8倍の4番人気。そしてレースは先行策も4ペースアップについていけず見せ場なく7着。全に勝負付けが済んでしまったという感じであった。

「マル外ダービー」初代王者、驚愕の勝ち時計

クラシック補相手に挫折を味わったタイキフォーチュンは、再び関西遠征し毎日杯GⅢへ。出走16頭中アメリカが7頭、1~6番人気までアメリカ産という中で5.8倍の3番人気に支持されると、同じTaiki Farm生まれの4番人気小田切さんちのドングリ逃げるのをインの好位で追走。直線で逃げドングリを並ぶ間もなくかわすと、ナムライナズマの追撃を寄せ付けず快勝。大樹ファームに嬉しい中央重賞初制覇を贈った。あれ?2歳上のタイキブリザードまだ勝ってなかったの?

さて、90年代日本競馬リンドシェーバー2代目ヒシマサルを皮切りに強い外国産馬が陸続と日本上陸していたが、彼ら彼女らはクラシックの出走権がないため、3歳標となるGⅠもなく、「裏街道」と呼ばれたGⅡGⅢを走るしかなかった。そんな中、この1996年ダービートライアルだった府中2000mのNHK杯マイル戦に衣替えし、NHKマイルカップGⅠが誕生。外国産馬に3歳標となるGⅠが誕生したのである。
第1回となったこの年のNHKマイルカップは、フルゲート18頭に対し実に14頭が外国産馬。かくしてNHKマイルカップは、クラシック外国産馬解放まで「マル外ダービー」と呼ばれることになった。

そんな第1回NHKマイルカップ、2.3倍の1番人気NZT逃げ切ってきた傷3連勝のファビラスラフイン。6.8倍の2番人気弥生賞ダンスインザダークの2着、皐月賞イシノサンデー(3着)に先着したツクバシンフォニー。10.5倍の3番人気アーリントンカップを勝ったスギノハヤカゼで、タイキフォーチュンは11.8倍の4番人気であった。
レースは内バンブーピノ先手を取り、その名通りガンガン飛ばしてレースを引っぱる。タイキフォーチュンは中団に構えた。前半4ハロン通過タイムは451。この年の安田記念より速いハイペースとなり、2番手で追ってしまったファビラスラフインをはじめ先行勢はまとめて潰れてしまう。中団からスムーズに直線で大外につけたタイキフォーチュンは、直線の坂で先行勢が壊滅すると一気にそれをかわして抜け出した。後ろからツクバシンフォニーが追いかけてきたが、上がり3Fを2位の348でまとめれば届くことはない。そのまま力強く押し切ってゴールを駆け抜けた。

大樹ファームと高橋師は、これが嬉しいGⅠ初制覇。そして掲示板に表示された勝ち時計にみんな度肝を抜かれた。1:32.6。……令和の今だとあんまり凄さが伝わらないかもしれないが、当時の府中マイルコースレコード1990年安田記念オグリキャップマークした1:32.4。このオグリレコードは、ニッポーテイオーが持っていたレースレコード18更新した驚愕タイムだった。4歳がそれにコンマ2差のタイム叩き出したのである。

このタイキフォーチュンのレースレコード更新されるのは2004年キングカメハメハによってのこととなるが、それも2002年2003年東京競馬場改修後の高速化した馬場でのこと。この馬場改修が為されるまで、安田記念でもNHKマイルカップでも1分32台を出すはついに現れなかった。

幸運は一瞬、されど一生は

驚愕タイムマル外王者にいたタイキフォーチュン。4歳は世代最強明するため、毎日王冠GⅡからジャパンカップGⅠ有馬記念GⅠと挑むローテを組んだ。だが……。

結論から言うと、このあとのタイキフォーチュンの戦績に語ることはほぼない。毎日王冠8着、ジャパンカップ6着、有馬記念11着。一応JCでは日本勢2番手ではあったが……。明けて5歳ダービー卿CTGⅢ9着、京王杯SCGⅡ4着。安田記念GⅠではあの驚愕タイムを出した府中マイルなら!と2番人気に支持されたが、2歳上の先輩タイキブリザード悲願のGⅠ制覇の後ろで11着撃沈。
マイルチャンピオンシップGⅠでは後輩タイキシャトル一気にマイル最強へ上り詰めた陰で、スタート直後に落競走中止。連闘で臨んだジャパンカップGⅠは最下位14着に沈み、このレースのあと理由は不明だが長期休養。復帰がわないまま、丸2年が経過した1999年11月14日に登録抹消、現役引退となった。通算15戦4勝 [4-0-0-11]。

NHKマイルカップの後、急速にきを失ってしまったのは、とんでもない勝ち時計の代償だったのか、それ以外の要因だったのかは定かでない。
マル外ダービー」という言葉がとうに死語になった令和現在NHKマイルカップは勝ちがその後伸び悩みがちなレースと言われているが、初代王者タイキフォーチュンの競走成績はそんなレースの性格を端的に示したものになってしまっている。

引退後はイーストスタッドで種牡馬入り。前述の通り2000年から供用されたが、初年度に28頭を集めただけで2年からは種付け数1桁が続き、2004年に2頭に種付けしたのが種牡馬としての活動の最後。産駒は僅か29頭、中央で勝ちを挙げたはいない。NHKマイルカップを勝った直後に引退していればもっと人気していたかもしれないが……競走馬引退時期というものは難しいものである。

その後は種牡馬登録だけ残してイーストスタッドで当て馬として過ごしていたようだが、27歳となった2020年引退馬協会のフォスターホースとして、新ひだか町の本牧場(現:本村田牧場)で余生を過ごすこととなった。当て馬をしていたので去勢はされておらず、年齢的にも去勢は難しいということで、当て馬引退後も騸馬ではなくのままであった。

31歳となった2024年4月に1歳上のフラワーパーク死亡したため、存命の中央GⅠ、中央重賞で最高齢となった。その後も本村田牧場で穏やかに余生を過ごしていたが、2025年2月21日、普段と変わりない食事と放牧を済ませたあと、夕方に房で倒れて起立不能となったため、安楽死の処置がとられた。32歳だった。[1]

競走馬としてのきは一で、その血も繋がらなかったタイキフォーチュンだが、30歳をえてなお元気され、最後まで穏やかな日常を過ごしたその生は「幸運」であったと言えるだろう。

血統表

*シアトルダンサーII
1984 鹿毛
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
My Charmer
1969 鹿毛
Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm
*パテントリークリア
1988 鹿毛
FNo.2-f
Miswaki
1978 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Hopespringseternal Buckpasser
Rose Bower
Badge of Courage
1983 鹿毛
Well Decorated Raja Baba
Paris Breeze
Tamerett Tim Tam
Mixed Marriage

クロスTom Fool 5×5(6.25%)、Princequillo 5×5(6.25%)Native Dancer 5×5(6.25%)、Striking=Busher 5×5(6.25%)

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関連項目

脚注

  1. *彼の死亡により、存命が確認されている最高齢の中央GⅠは1歳下のメジロドーベルとなった。同期障害J-GⅠメジロファラオ死亡の報がないものの、確実に存命であるという情報もなく、状況拠からすると既に亡くなっているものと思われる(詳しくはメジロファラオの記事を参照)。
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