ファイトガリバー(Fight Gulliver)とは、1993年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
父ダイナガリバー、母ビューティマリヤ、母父*トライバルチーフという血統。
父は社台グループ悲願のダービー制覇を果たし、同年の有馬記念も勝って1986年の年度代表馬に輝いた馬。種牡馬としては他に同期のゴーイングスズカなどを送り出した。
母は地方で1戦1勝。ファイトガリバーは第8仔で、このあとは不受胎が続き最後の仔となった。牝系は遡ると*アストニシメントに辿り着く、日本の基礎牝系のひとつである。
母父は*テスコボーイの成功で買い漁られたPrincely Gift産駒種牡馬の1頭だが、重賞馬3頭を輩出するに留まった。
全兄に1992年の皐月賞でミホノブルボンの2着に入り、NHK杯を勝ったナリタタイセイがおり、兄の活躍で再びダイナガリバーとの配合が試された結果生まれたのが彼女である。
1993年3月17日、門別町の天羽牧場(後の主な生産馬にシゲルピンクダイヤ・シゲルピンクルビー姉妹、ショウナンナデシコなど)で誕生。
オーナーは「ファイト」冠名を用いた品川昇。兄が虚弱だったため、兄の馬主(「ナリタ」冠の山路秀則)からは所有を断られたという。勝負服の柄(青,袖桃一本輪,黄鋸歯形)は、サウンドビバーチェなどを所有する「サウンド」冠の増田雄一と同一だが、特に直接の関係はなさそうである。
脚先が4本とも白く、額にはクソデカ流星がある、いわゆる「四白大流星」の派手な見た目の馬であった。ついでに勝負服も派手だし、鞍上も派手だし。
※この記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(満年齢+1歳)で表記します。
兄と同じ栗東・中尾謙太郎厩舎に預けられたファイトガリバーは、1995年10月15日、京都・ダート1200mの新馬戦で田原成貴を鞍上にデビュー。やや太め残りの仕上がりだったが、3番手追走から断然の上がり最速の末脚を繰り出して快勝デビューを飾る。その後はソエが出て、3歳は1戦のみで終了。
明けて4歳、桜花賞を目指して芝に転向、年明けの紅梅賞(OP)で復帰したが、藤田伸二のリトルオードリーにクビ差差しきられて2着に敗れる。
続いて阪神の自己条件に出る予定だったが除外を食らい、急遽中山の500万下・桃花賞へ。田原は阪神に残ったため武豊が代打騎乗することになり、田原は武に「ここ勝っておいてな。勝たないとアネモネS出られないかもしれないから」と頼み、武は「わかりました、勝っておきます」と答えたそうである。天才同士の会話、強い。そして約束通り、内にヨレながらもクビ差差しきって勝利。
というわけで桜花賞の優先出走権を取るため、トライアルのアネモネステークス(OP)に田原とともに乗りこんだが、先行した2頭に3馬身半突き放されての3着に終わり、アネモネSの優先出走権は2着までなので権利を逃す。
桜花賞の出走は収得賞金800万円では抽選必至……のはずだったが、有力馬の回避が相次いだため、なんとか無事に出走できることになった。
というわけで迎えた桜花賞(GⅠ)。この年の牝馬クラシックはダイナカールの仔・エアグルーヴが大本命と見られていたが、なんと熱発で回避となり、一気に大混戦ムードに。3連勝でトライアルを勝ったリトルオードリーが4.6倍という押し出された1番人気で、2番人気は3歳女王ビワハイジ。ファイトガリバーはというと、前走の印象も良くなかったか、27.3倍の10番人気に留まった。
レースは人気薄のニホンピロプレイズが逃げ、人気どころのビワハイジやリトルオードリーは前目につける。2枠4番のファイトガリバーと田原成貴は、先行勢がやり合うことを見越して、すっと下げて後方に構えた。3角から馬群の中を徐々に押し上げて行くと、直線でスムーズに外に進路を確保。田原成貴の追い出しに応えて鋭く脚を伸ばしたファイトガリバーは、隣で併せる格好となった4番人気イブキパーシヴを競り落とし、最後は半馬身抜け出してゴール板を駆け抜けた。
直線を向いて、先頭はカネトシシェーバー、カネトシシェーバー先頭、
ノースサンデー内へ入った、ホクトペンダント、イブキパーシヴ、
外からファイトガリバー田原だ! 田原が来た! 田原来た!
あと200m、先頭はカネトシ、カネトシシェーバー!
内からノースサンデー! 外からイブキパーシヴ、ファイトガリバー!
イブキパーシヴ! ファイトガリバー! ファイトガリバー!!
ファイトガリバーです! またまた田原!! また田原!!
今年も田原だ! 投げキッスがよく似合います田原成貴! ファイトガリバーです!
鞍上で投げキッスをキメる田原成貴は前年のワンダーパヒュームに続き桜花賞連覇、なんと通算4勝目。品川オーナー、中尾調教師、天羽牧場は揃って嬉しいGⅠ初制覇である。
勝ち時計1:34.4は前年のワンダーパヒュームと同タイムだが、前年は阪神大震災の影響で京都開催だったので、阪神でのレースレコードとなった。
続いて向かった優駿牝馬(GⅠ)では大本命エアグルーヴが2.5倍の1番人気。ファイトガリバーは距離不安もあって、9.1倍の4番人気に留まった。田原もオークスは距離が長いだろうと見ており、だからこそ桜花賞に全力の方針だったが、ここでも相手次第では勝ち負けに持って行けるとは思っていたという。
レースが始まると、田原は1枠1番の利を大胆に投げ捨てて、一気に最後方まで下げた。スローペースで馬群が密集する流れを後方でじっくり追走、4コーナーで外に出し、大外を回して直線へ。そのまま大外直線一気、先に抜け出したエアグルーヴを上がり最速で猛然と追いかけたが、ノースサンデーの斜行をものともしなかったエアグルーヴに振り切られ1馬身半差の2着。敗れはしたものの、距離不安の中で彼女の能力を最大限に引き出した田原成貴の大胆で見事な騎乗だったと言うべきだろう。
天才の手綱で桜の女王に輝き、女帝にも食い下がったファイトガリバーだったが、彼女の全盛期は短かった。秋、ローズステークス(GⅡ)を7着に敗れたあと、屈腱炎を発症。1年以上の離脱を余儀なくされ、田原が彼女に騎乗したのもこれが最後となった。
1年2ヶ月休み、富士ステークス(OP)で復帰したが、その後の彼女の戦績は6歳時の京都牝馬特別(GⅢ)でビワハイジの4着が最高で、語るべきことは特にない。6歳3月の中山牝馬ステークス(GⅢ)を7着に敗れたところで現役引退、繁殖入りとなった。通算12戦3勝 [3-2-1-6]。
引退後は故郷の天羽牧場で繁殖入り。10頭の仔を産んだが、直仔に目立った産駒はない。ちなみにナリタブライアンと配合された数少ないGⅠ牝馬(他にはアラホウトクぐらい)。5頭の牝馬が繁殖入りし、牝系の血は現在も繋がっている。
2015年を最後に種付けはなく、2019年9月10日死亡。26歳だった。
ダイナガリバー 1983 鹿毛 |
*ノーザンテースト 1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
ユアースポート 1972 鹿毛 |
*バウンティアス | Rockefella | |
Marie Elizabeth | |||
ファインサラ | Correlation | ||
*レディスラー | |||
ビューティマリヤ 1980 黒鹿毛 FNo.7-c |
*トライバルチーフ 1967 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Mwanza | Petition | ||
Lake Tanganyika | |||
チュウオーマリヤ 1971 黒鹿毛 |
*ファラモンド | Sicambre | |
Rain | |||
アシヤケイコ | *ライジングフレーム | ||
ミネノタケ |
クロス:Lady Angela 5×4(9.38%)、Nearco 5×5(6.25%)、Hyperion 5×5(6.25%)、Fair Trial 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/11/27(水) 07:00
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