ダイワテキサス 単語


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ダイワテキサス

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ダイワテキサス(Daiwa Texus)とは、1993年生まれの日本競走馬種牡馬である。栗毛

オペラオー被害者の会会員。 90年代末から00年代初頭にかけての黄金時代に怪と脚部不安に苦しみながらも善戦マンとしてしぶとく掲示板に残り続け、最後に1頭の名を世に送り出した、90年代の「ダイワ」を代表する

な勝ち
1997年:産経賞オールカマー(GII)、関屋記念(GIII)
2000年:中山記念(GII)、関屋記念(GIII)、新潟記念(GIII)

血統背景

1993年4月2日生まれ。トロメオローブデコルテ(ノーアテンション)。

ローブデコルテと聞いて「なんで2007年オークス名前がここにあるんだ!?」と思うかも知れないが、名前が同じだけで別のである。こちらのローブデコルテは未勝利引退し、最後の産駒を産んだのが1996年4月7日。それから10年が経過した2006年から名前の再使用が可となる。オークスローブデコルテ2004年生まれであり、競走名がつく2歳には問題なく再使用できたのである。

デビュー~苦戦続き~連続掲示板の名脇役に

増沢末夫厩舎に入厩後、1995年7月16日に3歳新馬戦デビューし、6戦で未勝利を脱出。そのままの勢いでロベリア賞(500万下)も突破。勢いもそのままにラジオたんぱ賞(GIII)に挑戦するが、さすがに重賞は甘くなく7着。

そこからは走れども走れども勝てず、それでもちょくちょく掲示板に載っては賞金は稼ぎ続けた。

しかし1997年松島特別(900万下)で3勝をあげて以降は何かが変わったのか、3着-2着-2着-2着と連続で馬券に絡むようになった。

5連勝で秋GIの注目馬に

蛯名正義騎手へ乗り代わった1998年リバーテムズ賞(900万下)での久々勝利を機に、ダイワテキサスは連勝モードへと突入する。

続く安達太良ステークス(1600万下)を快勝すると、日本海ステークス(1600万下)を7馬身差でレコード圧勝し[1]関屋記念(GIII)でも単勝1.9倍の1番人気にこたえて連続レコード重賞初制覇を果たした。5連勝オールカマー(GII)で、ダイワオーシュウローゼンカバリーといった当時のGI常連を余裕綽々の走りで1馬身完封。前年から売上の暴落が続くのなかで突如として現れた新たなスターホース競馬関係者は大はしゃぎ。7月サイレンススズカが似たような経過でGI宝塚記念を制したばかりだったこともあり一気にGI戦線の注となった。

しかし好事魔多し。オールカマー後に歩様に異常を来たしたダイワテキサスは、右前脚に疲労骨折によるとみられる瘤が見つかり、年内全休となってしまう。思えば、このシーズンが彼にとってGI獲得最後のチャンスだったのかもしれない……。

関屋記念の”首差圧勝”に続く1馬身半差の”大楽勝”。
この勝利を残して戦線を離脱した栗毛1998年最大の「後悔」となる。
適性距離1400~2400メートル
タイキシャトルサイレンススズカ双方との戦いに臨め、ジャパンカップ普通に走れたリタイア。「後悔」どころか最大の「損失」でしかなかった。
売り上げの暴落に止めをかけられたかもしれない栗毛を失い、競馬が忘れられるが始まる。

――『週刊Gallop臨時増刊』より

苦難の時、VS超豪華メンバー

1999年2月に帰厩すると、3月中山記念(GII)で半年ぶりに戦線に復帰。急ピッチで間に合わせた復帰初戦ながらキングヘイローの2着と健闘し、上の蛯名騎手からも「あと4本も追えば十分に仕上がる」と言われる状態で次の標である産経大阪杯(GII)への期待が膨らんだ、……のだが、今度は右前球節炎を発症し、シーズンも全休となってしまった。

夏競馬、故障明けで5ヶぶりとなった札幌記念(GII)ではセイウンスカイファレノプシスエリモエクセルマチカネフクキタルGI4頭に混ざって3番人気に推されたものの、勝ったセイウンスカイからは4馬身離された4着に敗。9月オールカマー(GII)では叩き2戦ということもあって復活を期待したファンから単勝1.8倍の1番人気に支持されたが、ここでも人気を裏切り3着に敗退。復調への兆しが見いだせぬまま、GIシーズンへと駒を進めることになってしまった。

GI初挑戦となる1999年天皇賞(GI)。しかし97年98年99年は、どれもこれも名が勢いしていた世代。スペシャルウィークステイゴールドエアジハードスティンガーセイウンスカイキングヘイローメジロブライトに……、倒すべきライバルが山のようにいた。

そんな中でダイワテキサスは10番人気。1着は、武豊の昨年の悲劇を取り返してくれたスペシャルウィーク。2着は安定のステイゴールド(12番人気だったけど)。ダイワテキサスは返し馬セイウンスカイに体をぶつけられるアクシデントに見舞われ、9着惨敗。

次走マイルチャンピオンシップ(GI)は、マイル王者エアジハード1着、ようやっと短距離が得意らしいと気づき始めたキングヘイロー2着……と続き、ダイワテキサスは10番人気の10着。レース中には脚部に外傷を負っていたことも発覚し、もはやダイワテキサスには「全に終わった」という雰囲気が漂っていた。

GIが厚すぎたのか、生まれた時代が悪かったのか……、このままダイワテキサスは名脇役で終わってしまうのか?

やっぱり生まれた時代が悪かったのかなあ……

しかしダイワテキサスはめげない。翌2000年中山記念(GII)久々勝利を挙げると、8月には関屋記念(GIII)新潟記念(GIII)をどちらもトップハンデ59kgを背負いながらの2連勝。旧8歳以上での重賞年3勝はスピードシンボリオフサイドトラップに続く史上3頭の快挙である。そしてなにより今年は一度も怪をしていない! 怪さえなければだって! 順調さを取り戻しつつあったダイワテキサスは、またもやGIに挑む。2000年の。

2000年。それは1頭の伝説を作り上げ、それ以外のには悪夢の年であった。
テイエムオペラオー。彼が、古GIをすべてかっさらってしまったのだ。

ダイワテキサスは天皇賞・秋(GI)ジャパンカップ(GI)有馬記念(GI)と全て出走したが、もちろん全部テイエムオペラオー1着(2着メイショウドトウ)である。

有馬記念はいわゆる「オペラオー包囲網」に加わり彼の前に蓋をしようとするも、わずかな隙を突かれて抜け出されexit_nicovideoオペラオー勝利阻止することができなかった。こんな化け物にどうやって勝てばいいんだ……。しかしながら、抜け出されながらも追いすがり、3着となったのはミスター掲示板の意地であろうか。

2001年は、金鯱賞(GII)2着、毎日王冠(GII)3着以外は馬券に絡むこともなく(掲示板には5回載った)[2] 、それでも2001年GIは全て出走し、辛めさせられたオペラオー落を見届け、有馬記念(GI)をもって競走生活に幕を引いた。

2002年1月6日東京競馬場引退式が行われた。オールカマー優勝時の5番のゼッケンを身に着け、調教を担当した牧原貴子を背にファンにまだまだ元気な姿を披露した。GI勝利引退式を実施するのは、JRAグレード制を導入した1984年以降では1989年のコーセイ以来13年ぶり2頭のことだった。

引退後

終わってみれば、GIこそ未勝利であるものの、5度の故障による長期休養を乗り越えGIIGIIIで勝ちを重ね、掲示板入着賞金はもっと重ね、通算成績は53戦11勝の2着9回3着5回、獲得賞金は6億1326万円。のちにダイワスカーレットダイワメジャーに抜かれるが当時の「ダイワ」のでは最高額。トウカイテイオーナイスネイチャに匹敵する額である。無事是名馬[3]馬主孝行・名脇役はたまたオペラオーを邪魔したヒール。そんな言葉では片付けられないほどの活躍をし、90年代黄金時代を盛り上げた一頭であった。

引退後は種牡馬となるが、産駒の中に活躍は…1頭だけいる。
2007年産のダイワシュガー。通算成績13戦0勝。現在引退して乗
「そんながなんで活躍なんだよ!」とお思いの方はダイワシュガーの記事を参照されたい。

2007年種牡馬引退後は乗となり[4]、にいかっぷホロシリ乗クラブに移動。競走馬時代を知っている人のファンが多く、人気だったとのこと。北海道日本ハムファイターズエロズリー ブリスキー・ザ・ベアーも乗ったことがある。

2015年からは功労としてつつみ牧場で暮らしていたが、2021年11月28日、高齢による心不全で死去。28歳だった。

エピソード

騎手は結構変わっており、5歳時(初戦除く)は大塚三郎、6歳時は蛯名正義、旧8歳及び新8歳の新潟では北村宏司が手綱をとった。しかし力を付けた時期以降、調教で騎乗を担当していたのは競馬学校の12期生の女性騎手で増沢厩舎に所属した牧原貴子で、引退式でも関係者の計らいにより騎乗している。なお、牧原レースでも5歳初戦までで大塚的場均と交代しながら4戦騎乗し2戦で掲示板に入れている。

フィクション

アニメ

ウマ娘 プリティーダービー

ウマ娘「ダイワテキサス」は登場していないが、アニメ1期にテキサスとおぼしきモブがいる。

モブウマ娘

登場箇所は史実と同様、主人公スペシャルウィーク復活を果たした天皇賞(秋)。姿はショートボブアリスドレスで、「ダイワ」ので縞模様になっている。すぐ隣にはメジロブライト(当時は未登場)の代役であるメジロライアンがいるのでわかりやすい。

なお、テイエムオペラオーは本格化前の時代なので、オペラオー包囲作戦などは出てこない。オペラオーは一応出てくるが、世紀末覇王になる前なので京都大賞典でスペと一緒に撃沈したりしている。

マンガ

優駿劇場

2巻で登場。2001年宝塚記念を2話にかけて扱っている。

優駿たちの蹄跡』と異なり、本作にはに人格がある。メイショウドトウたちと、どうやったらオペラオーを倒せるかという作戦栗東トレセンで練っていた(オペラオー東にいるのに大丈夫なのか……?)。

そこにホットシークレットが現れ、ダイワテキサスに、彼が大好きな(この世界ではそういうことになっている)競輪の戦法からオペラオー包囲網を思いつく、という流れである。でも有馬でも同じことやってなかったっけ……?

ちなみに、美所属のダイワテキサスがなぜ東にいたかと言えば、びわこ競輪でスッテンテンになって金を借りようとしたかららしい。『優駿劇場』は終始こういう作である。

血統表

*トロメオ
Tolomeo
1980 鹿毛
*リィフォー
1975 黒鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Klaizia Sing Sing
Klainia
Almagest
1975 栗毛
Dike Herbager
Delta
Celestial Sun Sunny Way
Heavenly Story
ローブデコルテ
1988 栗毛
FNo.12
*ノーアテンション
1978 鹿毛
Green Dancer Nijinsky II
Green Valley
No No Nanette Sovereign Path
Nuclea
カイムサキ
1980 黒鹿毛
*サンプリンス Princely Gift
Costa Sola
ミスオーハヤブサ *パーソロン
ワールドハヤブサ
競走馬の4代血統表

クロスNorthern Dancer 4×5(9.38)、Nasrullah 5×5(6.25)

主な産駒

関連動画

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *このレコードによって新潟競馬場で史上初めて1600m1分32台が観測された。
  2. *宝塚記念(GI)では有馬記念と同様オペラオー包囲網に参加。今回は大阪杯オペラオーを破ったトーホウドリームと2頭でオペラオーを挟むようにぴったりマーク。これを最終コーナーまで守り切り、メイショウドトウが十分先行するまで放さなかった。結果オペラオーはドトウに追いつけず、ついに敗北。この包囲作戦には批判も多いが、審議のランプはついたものの勝敗は覆らなかった。
  3. *ただし実際の競走馬としては故障に悩まされてきたでもある。
  4. *ダイワシュガーと異なり、テキサスは基本的に初心者向けである。
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