エイシンサンディ(Eishin Sandy)とは、1993年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
グレード制以降において、不出走のまま種牡馬入りした内国産馬で最も成功した馬。
父*サンデーサイレンス、母エイシンウイザード、母父*ノーザリーという血統。
父は説明不要の大種牡馬。エイシンサンディは2年目の産駒である。
母は重賞こそ勝てなかったものの中央でオープンを含む7勝を挙げ、桜花賞5着、マイルCS6着(2回)、重賞2着3回などの実績を残した。エイシンサンディが初仔である。
母父はアメリカのNorthern Dancer産駒で、重賞未勝利馬ながら種牡馬入りし、アメリカでGⅠ馬を1頭出している。輸入された日本では中央重賞馬2頭を出すに留まった。ちなみにオーストラリアに、コックスプレート連覇などG1を9勝した1996年生まれの同名馬がいる。
4代母ガーネツトは1959年の天皇賞(秋)と有馬記念を制した名牝。
1993年4月4日、浦河町の栄進牧場で誕生。そのまま「エイシン」冠の平井豊光の所有となった。
さてこのエイシンサンディ、上述した通り競走馬としては不出走である。母と同じ栗東・太宰義人厩舎に預けられることになっていたのだが、育成牧場で右肩に怪我を負ってしまい、競走馬としてのデビューを断念。3歳(現2歳)の7月にもう競走馬登録を抹消されてしまった。
普通なら競走馬としてのデビューすら出来なかった馬の行き先など推して知るべしである。しかし彼には思わぬ道が示された。父サンデーサイレンスは当時日本最高額のシンジケートが組まれており、エイシンサンディがデビューするはずだった1995年には初年度産駒がクラシックを席巻して関係者の度肝を抜いていた。当然みんなサンデーの血を欲しがっていたわけだが、サンデー自身は速攻でブックフルだしそもそも高すぎて並の牧場には手が出せない。こういうときに求められるのが格安の代替種牡馬である。
というわけでサンデー産駒かつ母もオープン馬、活躍馬もそれなりにいるガーネツト牝系というそこそこの血統だったエイシンサンディは、4歳(現3歳)の1996年から、不出走馬ながらレックススタッドで種牡馬として供用されることになった。
しかしサンデー後継は、早くも4歳(現3歳)で引退した初年度産駒もスタッドインしていた。「幻の三冠馬」フジキセキと、ダービー馬タヤスツヨシである。サンデー代替の選択肢はほとんどない状況とはいえ、この大物2頭相手ではさすがに不出走馬のエイシンサンディは分が悪い。
そこで取られた裏技が、初年度種付け料無料サービスであった。この作戦が功を奏し、171頭のフジキセキ、98頭のタヤスツヨシには及ばないまでも、エイシンサンディは45頭の牝馬を集めることに成功した。
もちろんそんな裏技は続けられるものでもなく、翌年からは普通に30万円の種付け料で募集したようだが、案の定肌馬の数は急減。2年目は19頭、3年目は15頭、4年目は7頭。毎年サンデー後継種牡馬は続々とスタッドインしてくるし、あとは初年度産駒からよっぽどの大当たりでも出ない限り、2歳引退した超人気種牡馬の2年目産駒というタイミングだけで種牡馬になれたエイシンサンディにこれ以上のキャリアを積むチャンスなどありはしなかった。
そう、種付け料無料で集まるレベルの繁殖から、よっぽどの大当たりでも出ない限りは……。
……結論から言うと、出たのである。たった29頭の初年度産駒から大当たりが。
その名は、ミツアキサイレンス。笠松からデビューし、2000年の兵庫CSを勝利、ダービーグランプリ2着、中央の芝でも中日新聞杯3着。以降もダート重賞戦線の常連として走り、GⅠには届かなかったものの交流重賞4勝、地方重賞6勝を挙げ、3億円以上を稼いだ、超のつく孝行息子をエイシンサンディは引き当てたのである。他にもキムタツオフェンスが中央3歳オープンのコスモス賞2着などの結果も見せた。
これでエイシンサンディは一気に評価が急上昇。何しろミツアキサイレンスの母ユウコウターナは、父*ターナボスは愛ダービー馬だが種牡馬としては地方重賞馬1頭だけの大失敗、母は未勝利で自身は不出走、一応いとこにオークス馬ライトカラーが突然変異的に存在するだけで、種付け料無料の謎種牡馬に回されるのもまあ仕方ないというレベルの繁殖牝馬だった。この肌から当たれば仕上がりの早い交流重賞クラスの馬が出るサンデー後継が30万円となったら、そりゃ中小牧場が殺到するというものである。
結果、5年目の2000年は、なんと163頭もの牝馬が集まった。以降も140頭、108頭、92頭、141頭と高い水準の種付け数で推移。中央では2005年のチューリップ賞勝ち馬エイシンテンダーや障害重賞馬ユウタービスケット、交流重賞では2005年北海道2歳優駿勝ち馬エイティジャガー、地方では北関東三冠馬フジエスミリオーネや地方重賞14勝を挙げたマルヨフェニックスなどを輩出し、格安地方向けのサンデー後継として大人気種牡馬へと成り上がった。
10年目の2006年産からは、黒船賞3連覇など短距離の交流重賞9勝を挙げた代表産駒セイクリムズンが登場。以降はこれといった大物は出なかったものの、初年度種付け料無料の不出走馬が、2014年限りで種牡馬を引退するまで19年間にわたって種牡馬を務め、574頭もの産駒を送り出し、中央・交流重賞馬5頭を輩出したのである。
母父としても地方から札幌2歳Sを勝ったトラスト、シルクロードSを勝ったエイシンフェンサーを輩出している。
それこそ月友とかの時代ならいざ知らず、グレード制以降で不出走の内国産種牡馬がこれだけ成功を収めた例は他にない。エイシンサンディも無事に競走馬デビューできていたらどんな成績を残していたのか……とも思うが、無事にデビューできていたらかえってこの種牡馬としての成功はなかった可能性の方が高いのでは、とも思うと、馬生の巡り合わせというものの数奇さを感じずにはいられない。
2014年限りで種牡馬を引退したエイシンサンディは、功労馬として鹿児島県のホーストラストで余生を送った。2019年2月2日、放牧地で右後肢を骨折し死亡しているところを発見された。26歳だった。
後継としては代表産駒のミツアキサイレンスとセイクリムズン、それから地方で4勝を挙げたホールウォーカーと、晩年の産駒で地方で12勝、京成盃グランドマイラーズを勝ったレガルスイが種牡馬入り。2025年現在はホールウォーカー産駒で地方で5勝したフォクスホールが唯一現役種牡馬として登録されているが、近年の種付数を考えるとさすがに直系の血がこれ以上繋がることは厳しそうである。
しかし2025年にはレガルスイの3頭しかいない産駒の1頭であるリヴェルベロが浦和桜花賞で人気薄から3着に突っ込み、エイシンサンディを母父に持つ前述のエイシンフェンサーがシルクロードSを勝って高松宮記念でも掲示板入りを果たすなど、エイシンサンディの血は今なお、思い出したようにではあるが、競馬界にその存在を主張している。
一介の不出走馬が日本競馬に残した確かな足跡は、ミツアキサイレンスやセイクリムズン、エイシンフェンサーなどの活躍を知った者がその血統を調べたとき、驚きとともに再発見されていくだろう。
最後にクイズ。2025年現在、エイシンサンディの後継種牡馬で最も産駒数が多いのは誰でしょう? 答えは各自で調べてほしいが、これもまた父の血の因果と言うべきなのだろうか……。
| *サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
| Nothirdchance | |||
| Cosmah | Cosmic Bomb | ||
| Almahmoud | |||
| Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
| Pretty Ways | |||
| Mountain Flower | Montparnasse | ||
| Edelweiss | |||
| エイシンウイザード 1986 芦毛 FNo.3-l |
*ノーザリー 1972 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| Politely | Amerigo | ||
| Morn Again | |||
| シルバーナイキ 1978 芦毛 |
*ドン | Grey Sovereign | |
| Diviana | |||
| ケープルビー | *ムーティエ | ||
| ガーネツト |
クロス:Northern Dancer 4×5(9.38%)
母の半妹サクラササヤキの産駒に2001年の大阪杯で大金星を挙げたトーホウドリームがいる。
あるわけないので代表産駒2頭の勇姿を……ミツアキサイレンスの重賞勝ちの動画もないやんけ! しょうがないのでセイクリムズンの動画置いておきます。
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最終更新:2025/12/06(土) 06:00
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
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