土屋宗遠(?~1213)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。
桓武平氏のうち坂東平氏の一流・中村党の出身。兄は土肥実平、義兄は岡崎義実がいる。
兄同様源頼朝の山木兼隆襲撃のころから頼朝に付き従う古参の将で、石橋山の戦いでの敗戦以降、北条時政とともに武田信義の黄瀬川への参着を促した。佐竹氏攻めにも従い兄の土肥実平とともに意見具申をしている。
1209年突然飯島で梶原景時の孫・梶原家茂を殺害するが、源実朝によって今までの勲功から許されている。
和田義盛の起こした和田合戦では養子・土屋義清とともに和田方として参戦し、討ち死にを遂げた。土屋氏はこれによって衰退しているが、のちに土屋宗遠の子・土屋宗光が評定衆となるなど、御家人として存続してはいる。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。