大友頼泰(1222~1300)とは、鎌倉時代に活躍した武将である。
1272年に蒙古の襲来に備えて筑前・肥前の警護のための特別体制構築を命じられ、少弐氏とともに現地で指示を出している。さらに二月騒動で名越流北条氏が討伐されると、名越時章を引き継ぎ筑後国守護にも一時的に任じられた。
文永の役で博多湾に押し寄せる蒙古軍に対し鎮西東方奉行として、鎮西西方奉行の少弐資能とともに蒙古軍にあたった。その姿は竹崎季長の『蒙古襲来絵巻』にも描かれている。
弘安の役では海上戦には苦戦したが、大友頼泰の軍勢は海の中道を進んで侵攻を食い止めていった。
大友頼泰は蒙古襲来以降に相模国大友郷から豊後に移り土着し、以後戦国時代まで続く大友氏の基礎を築いた。
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最終更新:2024/11/28(木) 08:00
最終更新:2024/11/28(木) 07:00
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