小笠原長清(1162~1242)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。
甲斐源氏の一流である加賀美遠光の息子。妻は上総広常の娘である。
兄の秋山光朝とともに平知盛に出仕していたが、源頼朝の挙兵に際し、東国への下向を試みる。1180年8月、母の病気を理由に高橋盛綱のとりなしで許され、頼朝の元に参陣した。1184年には清水義高の残党討伐で甲斐に派遣され、翌年には源範頼の平家追討軍に従った。
父親・加賀美遠光が信濃守に任じられると、伴野庄の地頭となり、また弓馬四天王の一人と称されるほど源頼朝に重用された。その後も奥州合戦、さらには承久の乱で活躍し、阿波国守護に任じられた。しかし北条政子から助命の書状が送られてきた公家・源有雅を、その書状が届く直前に処刑してしまい、「粗忽の為体」と評されている。
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最終更新:2024/04/24(水) 22:00
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