榎本道章 単語

エノモトミチアキ

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榎本道章とは幕末の幕臣、明治時代の官吏である。

概要

保4年(1833年)に生まれる。旧姓高林。通称蔵(こうぞう)。諱は章。官名対馬守。

文久3年(1863年)、一付に就任。

慶応2年(1866年)8月、幕府付に就任。

慶応4年(1868年)1月鳥羽伏見の戦いで敗走した後、榎本武揚らと共に夷に脱走。政府の一員となる。

函館戦争終結後謹慎処分を受けるが赦され、明治4年(1871年)に夷の開拓使として政府に出仕した。

年は明治15年(1882年)とされる。

榎本坂本龍馬暗殺を京都見廻組示した人物ではないかとされる事があるが、その根拠は以下の勝海舟日記の記述にある。

太郎聞く。今井信郎糾問に付き、去る卯の暮、師において坂下暗殺は佐々木唯三郎はじめとして信郎などの輩乱入という。佐々木も上よりの図これあるに付き挙事いは榎本対馬か知るべからずと々。

(『日記明治三年四月十五日)

これは明治3年(1870年)の刑部省における今井信郎尋問に関して友人太郎と話した際、榎本示で行われたのではないかと聞いた事をっているが、何を根拠に榎本の名が出たのか記されておらず、その後も特に言及がい。また、当時表されていなかった今井尋問の件について勝がどのような経緯で知ったのかも良く分かっていない。榎本武揚と同姓のため、まれに榎本武揚坂本龍馬暗殺示の容疑者と勘違いされることがあるが、言うまでもなく別人である。

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