滑稽新聞とは、明治期に発行された雑誌である。
「滑稽新聞」が創刊されたのは明治三十四年一月二十五日。奥付によると、発行所は大阪市西区京町堀四丁目二十八番邸の滑稽新聞社、編集兼発行人は岡田辰次郎、印刷人山田金次ということになっている。しかし、岡田と山田はそれぞれ名前だけの署名編集発行人と署名印刷人で、実際の編集発行人は小野村夫を名乗る宮武外骨、そして印刷人は福田堂という印刷屋を経営する福田友吉であった。署名編集発行人、印刷人というのは、万一その新聞雑誌が筆禍を受けたような時に、実際の編集発行人、印刷人が拘留されて続刊不能になることを防いだ名義上だけの編集発行人、印刷人のことである。
「滑稽新聞」は創刊と同時に大変な評判となり、売れ行きも良かったらしく、三十四号の記事によれば「初刷五千部は一日半にて売切れとなり、再版三版四版を重ねるに至つた」とあり、後年宮武が出した雑誌「スコブル」には、「一号六千部(後には毎月八万部)」とある。創刊から八ヶ月後頃には、すでに三万部程度の発行部数があったようだ。ちなみに当時の大新聞の発行部数がだいたい八万部から十万部だった。
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最終更新:2023/03/29(水) 12:00
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