文化11年(1814年)、那珂郡下国井村の農家に生まれる。諱は正辰(まさとき)。
百姓の出ながら士分を望み、親の伝手を頼りに水戸藩士・田丸稲之衛門の従者となる。その後田丸の推薦によって町方同心となり、田丸の甥である金子孫二郎と知り合う。金子が郡奉行に就任すると郡吏に引き立てられた。
天保15年(1844年)の徳川斉昭失脚によって金子が役を追われると稲田も共に無聊を託ったが、安政2年(1855年)に金子が復職すると再びその元で勤めた。
金子や高橋多一郎の井伊直弼暗殺計画に参画し、安政7年(1860年)2月18日、金子と共に脱藩。3月3日の襲撃に加わり、井伊の乗る駕籠に斬りかかったが護衛によって斃され、襲撃側唯一の現場での死者となった。享年47。贈正五位。
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