藤田東湖(1806~1855)とは、幕末に活躍した人物である。
徳川斉昭を補佐した幕末水戸藩のブレイン。しかし、意外な最期を遂げ、幕末の動乱そのものには立ち入ることはなかった。
水戸藩儒・藤田幽谷と水戸藩士丹武右衛門の娘・梅との間に生まれた次男。諱は彪。
文政8年(1825年)に父の跡を継ぎ、以後しばらくは彰考館で『大日本史』の編纂に尽力した。ところが若くして藩内改革派の中心となり、徳川斉脩の後継者にその弟の徳川斉昭を据える。以後、徳川斉昭の傍らに仕え、郡奉行、側用人を歴任していき、藩政改革を推進。天保6年(1835年)には江戸調役となった。
天保15年(1844年)に徳川斉昭が致仕を命じられると、それに連動して藤田東湖も蟄居処分となる。しかし、嘉永6年(1853年)に徳川斉昭が海防参与となると一躍復活し、安政元年(1854年)には側用人に復帰。まさにこれから幕末の動乱に主君と二人三脚で向かっていく、その寸前であった。
ところが安政2年(1855年)に安政大地震に江戸の小石川藩邸で逢い、母親をおぶって逃げようとして転倒。転がった母親が助かったのに対し、藤田東湖本人は倒れてきた梁を受けて死亡することとなった。
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最終更新:2024/05/31(金) 08:00
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