キャメロット(競走馬)とは、イギリス生まれアイルランド調教の競走馬である。
ニジンスキー以来の本場イギリスの三冠に挑戦した、欧州で2012年最も熱い注目を浴びる一頭。
馬名はアーサー王伝説の舞台である古のブリテン王国ログレスの首都、Camelotから。
(大百科に記事のある海外馬はカタカナで記載します。)
父モンジュー、母Tarfah、母の父Kingmamboという血統。母系を遡ると、4代母One Over Parrは英オークス馬Polygamyの全妹、さらに遡って16代母は54戦全勝・19世紀、ハンガリー史上最強牝馬キンチェムという血統。
クールモアグループに購入され、現在アイルランド最高の調教師、若いころはのび太顔で頼りなかったエイダン・オブライエン調教師に預託され
2歳の7月にデビュー戦を迎えた。ここをさっくり快勝するとクラシックを見据えながら調教しつつ秋まで待機し、クラシックへの登竜門であるレーシングポストトロフィーへ。
ここをやはりあっさり突破し休養入り。ブックメーカーのクラシック前売り一番人気となった。
年が明けて、初戦はクラシック第一戦英2000ギニーに直行。血統的に若干重たいため、陣営が回避もちらつかせた中での出走であったが
後方から追い込み、きっちり首だけ差しきって勝利。休み明けということや父モンジューで距離に懸念があった中ではまず一安心といった勝ちっぷりであった。
そして二戦目は大方の予想通り英ダービー。他陣営がキャメロットに恐れをなしたか回避が相次ぎ、英ダービーとしては1907年以来105年ぶりとなる9頭立てという少頭数になった。
ここでも彼は泰然と前売りからずっと圧倒的一番人気に推された実力を全開にし駆け抜け、第233代英ダービー馬、そして2009年Sea the Stars以来の英二冠馬に輝いた。
タイムも少頭数だったにもかかわらず2:33:90と結構早いタイムであり、この馬の器の深さを伺わせるものであった。
この勝利で父モンジューは8世代で英ダービー4勝で早くも父サドラーズウェルズらを越える、種牡馬としての最多勝タイとなり
主戦のジョゼフ・オブライエン騎手(エイダン・オブライエン師の実子)は19歳でのダービー制覇となり、昨年のバルザローナ騎手に続いての10代騎手によるダービー制覇となった。
10代でのダービー制覇はちょっと遡ってもラムタラやシャーガーに乗ったスウィンバーン現調教師やニジンスキーの主戦騎手サー・レスター・ピゴットくらいしかやっていない快挙である。
英二冠馬となった彼が続いて向かったのはアイルランドダービー。ここでも恐れをなした他陣営が次々回避。出走登録が7頭、前売り二番人気の同厩舎所属Imperial Monarchと同三番人気の馬が直前に取り消しとなり
なんと5頭立てで行われたが、モンジュー産駒らしからぬキレが武器の彼はモンジュー産駒の独壇場とも言える重馬場(スクラッチした2頭は馬場を理由にしていた)が苦手だったようで
Sea the Starsの弟であるBorn to Seaに迫られる場面もあったが、最後はきっちり1馬身半突き放し勝利。
レース後、陣営は順調ならセントレジャー出走と表明。いよいよ1970年のニジンスキー以来となる三冠馬への挑戦が現実味を帯びてきた。
クールモアの調教拠点であるバリードイルには、先代の専属調教師ヴィンセント・オブライエン師が育てた三冠馬ニジンスキーを讃え建立された像がある。
ヴィンセント師から引き継いでクールモアの専属調教師となったエイダン・オブライエン師(同姓だけど血縁関係はなし)の夢はこの像の向かいに自分の育てた三冠馬の像を建立することだったという。
その夢を叶えるのは彼なのだろうか。結果から言うと…ニジンスキーすごいですね、というお話になってしまうのだが。
そして9月15日、競馬ファンの夢をのせて彼は三冠最後の関門、英セントレジャーSに圧倒的な一番人気で出走。いつものようなレースぶりで最後には末脚を爆発させたが、先に抜け出したエンケに4分の3馬身届かず2着に敗れ、イギリスクラシック三冠馬になることはできなかった。このレース、いつもならエースのためにたくさんのペースメーカーを用意するオブライエン調教師がなぜか一頭のペースメーカーも出さなかったことも議論の種となったが、どうも根本的に長距離適性がなかったという結論に収まった。
三冠を達成していれば話題にもならなかっただろう凱旋門賞への出走(三冠を達成したニジンスキーは、その後凱旋門賞で破れ、これがその後のイギリス競馬におけるセントレジャー軽視につながった)については、セントレジャーの敗戦を経て、失地回復か休養(→引退)かで揺れることになった。主戦のジョセフは180cmを超える長身に伴う騎手としては重めの体重で、3歳馬が古馬に対して軽い斤量となる凱旋門賞では乾いたタオルをさらに絞るような減量をしないと騎乗が難しい。このためジョセフは同厩舎の古馬のエースであるSt.Nicholas Abbeyに乗ることが決まり、これでキャメロットの凱旋門賞回避濃厚と言われた。ところがクールモア陣営は、この年凱旋門賞に騎乗馬のなかった名手のランフランコ・デットーリを鞍上に据え凱旋門賞へ向かった。
しかし、あいにく今年のロンシャンはは彼が望むレコード馬場ではなく、父モンジューが愛した重たい馬場であった。そのせいか爆発的な末脚は見られず、オルフェーヴルがものすごい勢いでかっ飛んでいき失速する姿を後ろから眺めるのみで終わってしまった。
この2つの敗戦で、キャメロットの競走馬としての評価は著しく下がってしまった。このままでは引退しても種牡馬としての高い価値は得られない。苦しい立場の中で陣営はキャメロットの4歳時の現役続行を決定する。しかし、追い打ちをかけるように、凱旋門賞後のキャメロットに仙痛=腹痛が発症、全身麻酔をかけた上での開腹手術が施された(草食動物である馬の腸はとても長いので、腹痛も大変なのである)。こうして、続行することになった現役生活も、前途多難を思わせることとなってしまった。
明けて4歳、陣営はこの年のキャメロットを10F前後の中距離路線で使うことを決定。復帰戦にはアイルランドの10ハロンのG3ムーアズブリッジステークスが選ばれ、ここは危なげなく勝利した。しかし、2戦目のG1タタソールズゴールドカップでは、これまでG1勝ちのない相手を捉えきれず4頭立ての2着に破れてしまう。
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最終更新:2025/12/13(土) 05:00
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