サッカーベルギー代表とは、ベルギーサッカー協会(KBVB/URBSFA)により編成されるサッカーのベルギー代表チームである。ユニホームはホームがシャツが赤色でパンツが黒色、アウェイはシャツ、パンツともに白色となっている。愛称は赤い悪魔。
| ベルギー代表 | |||
|---|---|---|---|
| 国旗 | |||
| 協会 | KBVB | ||
| 大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
| FIFAコード | BEL | ||
| FIFA加盟 | 1904年 | ||
| 監督 | ロベルト・マルティネス | ||
| FIFAワールドカップ | |||
| 出場 | 12回 | ||
| 最高成績 | 3位(1回) | ||
| UEFA欧州選手権 | |||
| 出場 | 6回 | ||
| 最高成績 | 準優勝(1回) | ||
FIFAワールドカップには第1回大会から出場している欧州では数少ない国の一つであり、過去に2度ベスト4に進出している。また、UEFA欧州選手権も1980年に1度準優勝しているが、未だに国際大会でのタイトルを獲得した経験はなく、歴史的に見ると低迷期が長い。そのため少し前までは古豪というイメージを持たれていた。
公用語が3つ存在する国であり、様々な人種の選手によって構成されている多様性のあるチームとなっている。かつては協会そのものがオランダ語を話すフラマン人とフランス語ワロン人で分かれており、強化方針が統一されていなかった。近年は、育成面での意識改革がなされ、オランダにならって4-3-3を基本布陣に選び、フランス式のエリート育成に目をつけ、ユーロの収益を使って国内8カ所にトレーニングセンターを設立。これによって2000年代後半から黄金世代と呼ばれる優れたタレントが続々と登場している。
エデン・アザールやケヴィン・デ・ブライネら黄金世代の活躍によって、2015年11月には史上8チーム目となるFIFAランキング1位にランクインを果たしている。また、>イタリア、ドイツなどと並び優秀なゴールキーパーを輩出する国として知られ、1980年代のジャン=マリー・プファフ、1990年代のミシェル・プロドーム、2010年代のティボ・クルトワなど各時代に名GKがゴールを守っている。
初試合は1904年。欧州でもかなり早くから国際舞台に立っているチームであり、1920年の自国開催のオリンピックで金メダルを獲得している。一方、第1回大会である1930 FIFAワールドカップ・ウルグアイ大会にも参加したがグループリーグ敗退。以降、1934 FIFAワールドカップ・イタリア大会と1938 FIFAワールドカップ・フランス大会と3大会連続で出場するも、いずれも初戦敗退に終わり、思うような結果を残せていなかった。
1950年代から1970年代までのワールドカップは、1954 FIFAワールドカップ・スイス大会と1970 FIFAワールドカップ・メキシコ大会の2大会のみに出場しているがいずれもグループリーグ敗退に終わっている。一方、UEFA欧州選手権は第4回目のEURO1972で初出場を果たすと、準々決勝で強豪イタリアを破り、3位決定戦でハンガリーも破って3位というサプライズを起こしている。
1980年代に入ると、徐々に力をつけるようになる。EURO1980では、GKジャン=マリー・プファフを中心とした鉄壁の守備を武器に地元イタリアを抑えて決勝進出。決勝で西ドイツに敗れたが、準優勝という過去最高の成績を残す。1982 FIFAワールドカップ・スペイン大会では6度目の出場にして初めて1次リーグを突破。しかし、2次リーグでは自慢の守備が崩壊し、グループ最下位で敗退となる。
1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では、当時20歳だったエンツォ・シーフォが攻撃の中心としてチームを牽引。グループリーグは3位と苦しんだが、決勝トーナメントに入るとソ連、スペインを立て続けに下し、初のベスト4進出を果たす。準決勝でディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンに敗れたが、その後も「ベルギーの至宝」と呼ばれたシーフォが中核となったチームは、プファフの跡を継いだミシェル・プロドームの活躍もあり、1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会、1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会と2大会連続でベスト16という成績を残す。
1998 FIFAワールドカップ・フランス大会ではマルク・ヴィルモッツ、ルク・ニリス、ルイス・オリヴェイラ、ムペンザ兄弟と強力な顔ぶれが揃ったが、結果はグループリーグ敗退と期待外れに終わる。大会後、4大会で司令塔として活躍したシーフォが引退。一つの時代が幕をおろした。
その後ベルギーは世代交代の失敗によって衰退期を迎える。自国開催となったEURO2000では、グループリーグ敗退という失態を犯し、「開催国は必ず一次リーグを突破する」という伝統が初めて崩れた。2002 FIFAワールドカップ・日韓大会はベスト16入りを果たしたが、以降の大会はワールドカップでは2大会連続、EUROでは3大会連続で予選敗退に終わり、国際舞台から遠のくこととなる。この頃FIFAランキングも68位まで下がっていた。
しかし、EURO2012後から育成改革の成果が見られるようになり、エデン・アザール、ケヴィン・デ・ブライネ、ロメル・ルカク、ティボ・クルトワが欧州主要リーグで目覚ましい活躍を見せるようになる。黄金世代と呼ばれる彼らが代表の中心に定着するようになると、2014 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では欧州予選グループ首位で3大会ぶりの出場を果たす。本大会でも黄金世代は期待通りのプレーを披露し、ラウンド16でアメリカに勝利し、28年ぶりにベスト8へ進出。準々決勝では老獪なアルゼンチンの前に敗れるが、まだ若い黄金世代のさらなる飛躍に期待が膨らむ大会となった。
2015年11月15日付けのFIFAランキングでは初の1位となり、すっかり強豪国と認識されるようになっていた。優勝候補の一角として4大会ぶりに出場したEURO2016では、初戦でイタリアに敗れたものの、残りの2試合に連勝しグループリーグを突破。しかし、準々決勝でウェールズに敗れ、ベスト8止まりに終わる。采配面での批判が多かったマルク・ヴィルモッツ監督は大会後解任となり、スペイン人のロベルト・マルティネスが監督に就任する。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会は予選で9勝1分けという圧倒的な強さで本大会出場を欧州勢一番乗りで決める。グループリーグを全勝で勝ち抜くと、ラウンド16では日本に一度は2点のリードを許しながらも後半での大逆転勝ちを収める。優勝候補同士の対決となった準々決勝のブラジル戦をデ・ブライネの決勝ゴールを制するが、準決勝ではフランス相手に0-1で敗れる。それでも3位決定戦ではアザールの活躍でイングランドを下し、過去最高成績となる3位に輝く。EURO2020でもグループリーグを全勝で突破するが、準々決勝のイタリア戦ではデ・ブライネが負傷を抱えて本調子ではなかったことが響き、敗れる。
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最終更新:2025/12/13(土) 15:00
最終更新:2025/12/13(土) 14:00
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