シックル(競走馬) 単語

シックル

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シックル(Sickle)とは、1924年生まれの英イギリスの競走馬である。黒鹿毛の牡馬。

主な勝ち鞍
1926年:マーシーステークス、グッドウッドプリンスオブウェールズステークス、ボスカーウェンポストステークス

表彰
1936・1938年北米リーディングサイアー、1945年北米2歳リーディングサイアー

概要

Phalaris、母Selene、母父Chaucerという血統。
ファラリスシリーン、チョーサーはすべて第17代ダービー伯爵(以下ダービー卿)の所有馬である(チョーサーの生産は先代の第16第ダービー伯爵)。

シリーンの初仔として生まれたシックルはダービー卿によって生産・所有された。母親に似て15.3ハンドとやや小柄だったが、スラっとして筋肉の付きもよく首がまっすぐな均整の取れた馬に育っていった。

その後ダービー卿のお抱え調教師であるジョージ・ラムトン師に預けられた。

2歳時(1926年)

デビュー戦はロイヤルアスコットのニューステークスで、ここではDamonから1馬身半差の2着に敗れた。なおここでの3着馬はのちの2000ギニー馬Adam's Appleであった。
次走はニューマーケットでのジュライステークスでここでもThe Satrapから3/4馬身差で2着に敗れた。なおここでの3着馬はのちのダービー馬Call Boyであった。奇しくものちのクラシックホース2頭に先着したのだった。
3戦目はリバプールでのマーシーステークス(で、2頭立てのマッチレースとなったが、6馬身差で楽勝した。
4戦目のグッドウッドプリンスオブウェールズSでは7頭立てで、ここを5馬身差で勝利した。
5戦目のドンカスターでのシャンパンステークスではDamonとCall Boyのクビ・半馬身の3着と敗れた。
6戦目のボスカーウェンポストSでは4頭立てとなったが、3馬身差で優勝した。
2歳戦最後のレースはニューマーケットでのミドルパークステークスで、ここでは競り合いの末にCall Boyがアタマ差で勝利し、シックルは2着に敗れた。

2歳時は7戦3勝2着3回3着1回と安定した成績を残した。
この年のフリーハンデはThe Satrap(126ポンド)、Damon(124ポンド)、Call BoyとBirthright(123ポンド)に続く、Adam's Appleと並ぶ122ポンドの評価がされた。

3歳時(1927年)

この年はリバプールのユニオンジャックステークスに出走しBuckfastの2着に敗れたが、この時はBuckfastは111ポンド(約50.3kg)、シックルは130ポンド(約59.0kg)の斤量差があった。
2000ギニーステークスではAdam's AppleがCall Boyに短頭差で競り勝ち、シックルはその半馬身後ろの3着に敗れた。
ダービーステークスでは好位置につけたが最後の過酷な坂で止まってしまい、5着に入線するのがやっとだった。その後シックルは筋肉痛を発症し、レースに復帰することはなかった。
この年は勝ちを得ることができず3戦0勝。

通算10戦3勝(うちすべて2歳時の勝利)、獲得賞金3915ポンド。

種牡馬として

引退後ダービー卿所有の種牡馬となったが、当時高齢だったFair Play(Man o' Warの父)の替わりを探していたアメリカの名士ジョセフ・E・ワイドナー氏からのオファーにより3年間リース及び購入権のオプションで1930年にアメリカ・ケンタッキー州のエルメンドルフスタッドに渡ることになった。(また1歳下の弟Pharamondはこのときすでにケンタッキー州のボーモントファームで1929年から繋養されていた)そして1932年に10万ドルで購入権を行使された。

イギリスに残された初年度産駒にはヨークでのプリンスオブウェールズプレートなどを優勝した牝馬Versicleなど3頭のステークスウィナーが含まれていた。

1933年に産駒がアメリカでデビューすると190頭の勝ち馬と41のステークスウィナーを出し1936年と1938年にはリーディングサイアーとなった。変わった記録としては1938年にシックルとその全弟Pharamondで北米リーディングサイアー1、2位となっている。全兄弟が1~2位を占めたのはこの年だけである。

代表的な活躍馬にはサンタアニタダービーなど25戦9勝を挙げて最優秀3歳牡騸馬になったStagehandが挙げられるが、現在知られているのはNative Dancerの祖父となったUnbreakableだろう。

1943年12月に19歳で脾臓の肥大により死亡した。シックルはエルメンドルフの墓地のFair Playの隣に埋葬された。シックルの死後もラストクロップのStar Pilotの活躍により1945年に2歳馬リーディングサイアーとなっている。

血統表

Phalaris
1913 黒鹿毛
Polymelus
1902 鹿毛
Cyllene Bona Vista
Arcadia
Maid Marian Hampton
Quiver
Bromus
1905 鹿毛
Sainfoin Springfield
Sanda
Cheery St. Simon
Sunrise
Selene
1919 鹿毛
FNo.6-e
Chaucer
1900 黒鹿毛
St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Serenissima
1913 鹿毛
Minoru Cyllene
Mother Siegel
Gondolette Loved One
Dongola

クロスCyllene 3×4(18.75%)、St. Simon 3×4(18.75%)、Springfield 4×5(9.38%)、Pilgrimage 4×5(9.38%)

  • 3×4のインブリードの配合を好んだことで知られるダービー卿だが、シックルにはCylleneSt. Simonの2本もの3×4のインブリードが用いられている。
  • ファラリスは現役時代はスプリンターという評価だったが、種牡馬としては万能に大活躍した。
  • シリーンは22年16勝と優秀な成績を挙げたが、繁殖牝馬としてもシックルのほかにPharamond(GB)(シックルの全弟、ミドルパークS)、Hunter's Moon(アルゼンチン大種牡馬)、Hyperion(ダービーステークス・セントレジャーステークス、英愛リーディングサイアー6回)など優秀な子を出した。
  • 母父チョーサーは現役時代は35戦8勝でジムクラックSとリバプールCに勝った程度だが、種牡馬としては英愛リーディング最高2位と活躍した。またシリーンのほかScapa Flow(Pharos、Fairway、Fair Isleの母)などを出し、英国最高のブルードメアサイアーとの声もある。

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