ネイティヴダンサー 単語

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ネイティヴダンサー

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ネイティヴダンサー(Native Dancer)とは、1950年生まれのアメリカ競走馬

グレイゴーストと呼ばれて多大な人気を博した芦毛の名であり、現代のサラブレッド血統にも多大なを与えているである。ブラッドホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」第6位。

概要

PolynesianGeisha、Discoveryという血統。実は系もあんまり良い血統ではない。

名前ゲイシャ(芸者)だが、これはゲイシャの名前ミヤコ(宮子?)といい、そこから連想されたものらしい。芸者といえば踊り。それがポリネシアン(ポリネシア人)と混ざって、原住民の踊り……すなわちネイティヴダンサーとなったようだ。この連想、実は後々までサラブレッド名にを及ぼす事になる。

競走馬として

ネイティヴダンサーは、伝説的名になった割には幼少時のエピソードがまったくい。ゲイシャは1勝だったので、生まれた時は期待されていなかったのかも知れない。

しかしデビュー前の調教素晴らしい動きを見せ、デビュー戦では1番人気。これをあっさり勝利し、4日後のユーフルSも勝利したが、ここで左前脚の管膜炎を発症して休養。しかし復帰後もフューチュリティSで6.5ハロン世界レコードタイ時計で勝ったりしながら連戦連勝を挙げ、結局2歳時は9戦9勝。最優秀2歳年度代表馬を受賞した。

ネイティヴダンサーは先行して好位からすっと抜け出して「いつの間にか」勝ってしまうというレース振りから「グレイゴースト」の名で呼ばれるようになるのだが、その異名にはレース振りのほかにもう一つ理由があった。

この頃、アメリカでは白黒テレビが普及し始めており、競馬中継も始まっていたのである。しかし白黒であるからの見分けはつきにくかった。しかし、大柄でしかも芦毛のネイティヴダンサーは白黒画面でも一発で識別出来たのである。しかも強い。ネイティヴダンサーが全マンノウォー以来の人気を得たのはこのためで、その人気はエド・サリヴァンに匹敵すると言われたほどだった。当時「見逃したら日常会話に支障が出る」と言われたほどの人気テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」のMC較されるのだから相当である。ネイティヴダンサーは出走したレースデビュー戦を除いて全て1倍台の1番人気に支持されている。

3歳になったネイティヴダンサー。ファンは彼なら当然三冠馬になるだろうと期待したのである。公開調教ですら4万7500人を動員するほどの人気ぶりであった。期待通り2連勝してネイティヴダンサーはケンタッキーダービーに乗り込み、ファンレース中継のテレビ画面を見つめながら彼の勝利を祈った。

ところがネイティヴダンサーは他のにぶつかったり、勝負どころでは前が開かなかったりとまずいレースを展開し、最後に猛然と追い込んだもののダークスターに頭差届かなかった。

競馬界のアイドル敗北喩ではなく全が悲嘆にくれたと言われ、ネイティヴダンサーには敗北を慰めるファンからの手紙が何通も届いたという。ニューヨークタイムズは「マンノウォーがアプセットに敗れてからというもの、1頭のの敗戦がこれほど世間を揺るがした例はなかった」と報じたというのだから大騒ぎである。戦を務めていたエリック・ゲリン騎手も「女性トイレ以外のありとあらゆる場所にネイティヴダンサーを連れて行こうとした」などと散々に酷評された。

もっとも、ネイティヴダンサーの強さはそれ以降も陰りを見せなかった。2週間後のウィザーズSを快勝すると、三冠戦残り2つのプリークネスSベルモントSはクビ差まで詰め寄られたが何とか辛勝。その後はドワイヤーS・アーリントンクラシックSと快勝し、トラヴァーズSでもファンに鬣を抜かれたりしながら8身差で圧勝した。

かしこの1週後のアメリカダービーでは、ゲリン騎手騎乗停止となったために、代打を探さなければならなくなった。大体の騎手なら問題なかったのだが、よりによって営が起用したのは「ネイティヴダンサーは(自身が騎乗して三冠含む16連勝した)サイテーションほど偉大なではない」と発言したためにネイティヴダンサー贔屓のファンの間で嫌われ者となっていたエディ・アーキャロ騎手であり、人選に怒ったファンの「ネイティヴダンサーの強さを信用しないようなを乗せるな」という抗議が殺到。結果は2身差の勝だったが、ムチを使えないほど神経質なアイドルホースにテン乗りで騎乗することに対し、アーキャロ騎手は「負けたら浮浪者になるしかない」と思うほどのプレッシャーを感じていたという。

その後は膜炎の再発により年内全休となり、3歳戦は10戦9勝で終えた。例年なら年度代表馬当確と思われる戦績だったが、この年は10戦全勝でハンデ戦の大レースを勝ちまくったトムフール年度代表馬を奪われ、ネイティヴダンサーが得たタイトルは最優秀3歳のみだった。もし故障がなければ9月サイゾンビーSで2頭による決戦が実現しており、年度代表馬が変わっていたかもしれない。単勝オッズは1.05倍にまで下がり、催者は毎回大赤字を出したとか(アメリカにはどんなに人気が集まっても催者は1.05倍以上の払い戻し倍率を付けなければいけないという決まりがある)。

4歳時も初戦を問題なく勝利し、8日後のメトロリタハンデキャップでは7身差を最後の直線だけで逆転するという競馬でクビ差勝利した。

その後右前脚の関節炎により出走予定のレース自重し、3ヶ後のオネオンハンデキャップに出走。あまりにネイティヴダンサーに人気が集中したため、明らか赤字になるということで馬券の発売が中止されてしまった。そしてレースでも々と不良馬場を駆け抜け、137ポンド(約62kg)の斤量を物ともせず9身差で圧勝した。

かしこレースを最後に、ネイティヴダンサーは引退。通算成績22戦21勝。
屈腱炎を発症したためで、それがなければ凱旋門賞への挑戦も企画されていた。大変残念な事であった。それでも4歳時の3戦が残したインパクトは大きく、この年の年度代表馬・最優秀ハンデキャップに選出されている。

実力もさることながらアイドル的な人気を博したで、全各地にファンクラブがあったほどだった。あのタイム誌の表を飾ったというのだから凄い。人間でもそうそうなれないのに。レコードタイムを連発するわけでも、手なレースをするわけでもないこのがこれほどの人気を得たのは、やはりテレビの力が大きかったとしか言い様がい。その意味では幸運なであった。

種牡馬として

種牡馬入りしたネイティヴダンサーはそこそこ活躍を輩出し、ステークスウィナー率は14%以上を記録リーディングサイアーこそ獲得できなかったが、それでも大きな成功を収めた。人気が衰えることはなく、繋養されていたサガモアファームには「ネイティヴダンサーの住処」という看板が掲げられていた。

ネイティヴダンサーの血は孫の世代でも炸裂した。レイズアネイティヴが出したミスタープロスペクターが大種牡馬となり、一気に世界中にその血を広げるのである。現在ミスタープロスペクター系はサラブレッド血統の中で最も重要なサイアーラインだと言っても過言ではない。

の中でも立たない部類であった*ダンシングキャップ日本に輸入され、なんとオグリキャップを出す。この時は日本でも「ネイティヴダンサー隔世遺伝の法則」が噂になったものである。

他にもダンキューピッドからは凱旋門賞シーバードが出る、*エタンからはシャーペンアップが出る、レイズアネイティヴからはミスプロだけで終わらずアリダーが出ると、ネイティヴダンサーの系統は大繁栄。彼らはミスタープロスペクター系とは別に「ネイティヴダンサー系」を立ち上げているのである。ミスプロ系だけでも凄いのに……。
ネイティヴダンサーの一の敗戦となったケンタッキーダービーでもあまりに子孫が活躍するため、ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場は「ネイティヴダンサーの幽霊が出る」とまで言われたという。

さらにさらに、もっと恐るべきはブルーメアサイアーとしての活躍。何しろあのノーザンダンサーなのである。これだけでもサラブレッド血統に金字で記されるほどの功績であろう。

現在サラブレッド血統の中に占めるネイティヴダンサーの血の割合は恐ろしく高い。世界中で活躍している名血統表の中にネイティヴダンサーの名を見ない事はほとんどいのである。例えば、日本ダービーでネイティヴダンサーの血を持っていなかったタヤスツヨシが最後。それ以降はどこかにネイティヴダンサーの血が流れているのである。

ちなみに、ノーザンダンサー名前ニアークティック(極北圏)とであるネイティヴダンサーを混ぜて連想されたものである。つまり、ノーザンダンサー系の名に多い「踊る」系の名前の元祖はネイティヴダンサーなのである。さらにその元を辿ればゲイシャだというのが面い。

惜しむらくは彼の芦毛を受け継ぐがあまり出てこなかったこと。先述のダンシングキャップ以外だと*ダンサーズイメージやNative Chargerぐらいしかおらず、どれも系としては残念ながら発展できなかった。
では系ではどうかというと、Icecapadeというニアークティックの後継種牡馬がいる。彼は彼で後継のWild Againが黒鹿毛系に芦毛は伝えられていないが、彼をに持つクロフネ芦毛を継承し、日本に新たな芦毛を広めている。クロフネクロフネ芦毛の後継種牡馬が全然いないけど。この系統自体が系に芦毛を伝える血なのだろうか。
他にも、Icecapadeに持つLady's Secret牝系やNative Chargerに持つ*スウェプトオーヴァーボード産駒レッドファルクスオメガパフュームなど)など、意外なところで彼由来の芦毛を見れたりする。

ネイティヴダンサーは1963年殿堂入りを果たしたが、1967年11月14日に疝痛を発症。手術を行った後の衰弱がしく、2日後に17歳死亡牧場ではアイドルの死を惜しむ人たちからの電話が鳴り続けて止む事がなかったという。

ネイティヴダンサーと猫

ノーザンダンサーの直であるノーザンテーストがよくと戯れていたという話は有名だが、実はネイティヴダンサーにもそんな逸話のルーツを感じさせる逸話が存在する。

ある日のこと。ネイティヴダンサーの房の中で一匹の子猫を産んだのだが、その灰色であった。

見た者は首をひねった。確かにネイティヴダンサーがをいつも連れているのは間違いないが、そのい毛色で、い毛色のしか産んだことがかったはずだったのだ。

い毛色のしか産まないが、グレイゴースト房の中で突然灰色を産んだという話が広まっていく内に、こんな噂が立った。

……この父親、ネイティヴダンサーじゃね?

……偽不明の与太話ではあるのだが、少なくともネイティヴダンサーがこの黒猫を溺愛していたのは間違いないようである。

血統表

Polynesian
1942 黒鹿毛
Unbreakable
1935 黒鹿毛
Sickle Phalaris
Selene
Blue Glass Prince Palatine
Hour Glass
Black Polly
1936 鹿毛
Polymelian Polymelus
Pasquita
Black Queen Pompey
Black Maria
Geisha
1943 芦毛
FNo.5-f
Discovery
1931 栗毛
Display Fair Play
Cicuta
Ariadne Light Brigade
Adrienne
Miyako
1935 芦毛
John P. Grier Whisk Broom II
Wonder
La Chica Sweep
La Grisette

クロス: Polymelus 5×4(9.38%)

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

Native Dancer 1950
|Dan Cupid 1956
||Sea-Bird 1962
|||Allez France 1970
|||Arctic Tern 1973
||||Bering 1983
Raise a Native 1961
|Exclusive Native 1965
|||Affirmed 1975
|||Genuine Risk 1977
||Majestic Prince 1966
|||Majestic Light 1973
||||ニシノフラワー 1989
||Mr. Prospector 1970 →ミスタープロスペクターの記事参照
||*ホープフリーオン 1972
|||キヨヒダカ 1978
||Alydar 1975
|||Alysheba 1984
|||Easy Goer 1986
|||*カコイーシーズ 1986
||||エスプリシー1999
|||*リンドシェーバー 1988
|*エタン 1961
||Sharpen Up 1969
|||Kris 1976
||||Oh So Sharp 1982
*ダンサーズイメージ 1965
*ダンシングキャップ 1968
|オグリキャップ 1985

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