ベガルタ仙台とは、宮城県仙台市をホームタウンとするJリーグチームである。
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由来は七夕の織姫「ベガ」と彦星「アルタイル」を組み合わせた造語。
ユニフォームはホームがゴールド。アウェーはシルバー。
ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(仙台スタジアム=仙台市泉区)。
マスコットはベガッ太くん(イヌワシ)。
前身は東北電力サッカー部。
1995年JFLに加盟、「ブランメル仙台」と改称。1996年Jリーグ準会員となる。
1999年Jリーグ2部(J2)に加盟、現在のチーム名に改称。
2002~03年、Jリーグ1部(J1)に在籍。
2004年のJ2降格以降、順位は4位~6位とJ1まであと一歩で足踏みを繰り返し、この間毎年のように監督を変えていた点でサポーターから批判が強かった。
2008年は3位に入るも、ジュビロ磐田との入れ替え戦の末に涙を呑んだが、翌2009年は久しぶりに監督を代えずにシーズンに臨むと、連敗がわずか1回だけ(第4・5節)と抜群の安定感を見せ、終盤のセレッソ大阪との激しい優勝争いも制し、J2初優勝を手土産に7年ぶりのJ1復帰を決めた。
迎えた2010年は開幕2連勝で、2節終了時点とはいえ首位に立つ活躍を見せる。その後は伸び悩んで一時は降格圏に沈んだものの、最終節でJ1残留を確定させた。
2011年は開幕ダッシュに成功。開幕から12戦無敗で飛び出すと10月には早々にJ1残留を確定。終わってみればリーグ最小の25失点(2番目に少なかった名古屋グランパスが36失点)という堅守で過去最高の4位でフィニッシュ。
さらに2012年は第2節から第17節まで首位を走る。終盤に息切れしたものの、一度も3位に落ちることなく前年の記録を更新する2位でフィニッシュ。初のACL出場も決めた。
2013年はACLと並行してのシーズン。過密日程も絡み成績は伸び悩むが13位でJ1残留。ACLは1勝を挙げたもののグループリーグで姿を消した。この2013年シーズンをもって、2008年以来クラブ史上最長となる6年にわたってチームを指揮した手倉森誠監督がリオデジャネイロオリンピックへの出場を目指すU-21日本代表監督に就任するために勇退となった。
2014年はオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが監督に就任。しかし、開幕から1ヶ月間勝利に恵まれず、4月9日にアーノルド監督は退任(あくまでも解任ではないとのこと)。ヘッドコーチの渡邉晋が昇格。その後は盛り返し、辛くも残留圏内に留まる。
2015年は渡邉晋監督が再び指揮を執ることに。エースFWの赤嶺真吾、ボランチの角田誠ら主力が移籍し、戦力が大幅にダウンしたと見込まれていた。しかし、この年から再び2部制になったシーズンは、開幕5試合を2勝3分と好調な滑り出しを見せる。その後連敗を喫してしまい1stステージは6勝5分6敗。2ndステージは3勝3分11敗と大きく負け越したが、1stステージの勝ち越しが幸いし、総合順位では14位で辛くもJ1に残留。
ベガルタ仙台は、女子チームも所持している。
2011年に活動を休止した東京電力マリーゼの選手を受け入れることが決定。2012シーズンより「ベガルタ仙台レディース」としてチャレンジリーグ(日本女子サッカーリーグ2部)に参戦、2013シーズンには1部リーグにあたるなでしこリーグへ昇格。
ユニフォームは、かつてはベガルタゴールドに赤のラインで男女のチームのを区別していたが、2015年シーズンからは男子と同じくベガルタゴールドに青のラインに統一されている。
入場時に歌うチャントは「カントリー・ロード」。
サポーター中心部に元パンクロッカーがいる為、トゥイステッド・シスター「We're Not Gonna Take It(Twisted Sister song)」やCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」、THE BLUE HEARTSの「電光石火」、氣志團の「スタンディング・ニッポン」など、パンクやロックのナンバーをチャント化させた曲が多く、他チームのサポーターからは「仙台の応援は一味違う」と評されている。
「スタンディング・ニッポン」を原曲にしたチャント「スタンディング・センダイ」は、氣志團が逆カバーした。
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最終更新:2025/12/24(水) 15:00
最終更新:2025/12/24(水) 15:00
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