ベガルタ仙台単語

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ベガルタ仙台とは、宮城県仙台市ホームタウンとするJリーグチームである。

概要

日本プロサッカーリーグ
ガル仙台
基本情報
創設 1988年
クラブカラー ゴールド
ホームスタジアム ユアテックスタジアム仙台[宮城県仙台市泉区]
ホームタウン 宮城県仙台市を中心とする宮城県全域
前身クラブ 東北電力サッカー
プロサッカークラブテンプレート

チーム名の由来はこと座の「ベガ」とわし座の「アルタイル」を組み合わせた造仙台市には毎年8月に開催される仙台七夕まつりがあり、そこから因んでいる。

マスコットベガッ太さんイヌワシ)と、のルターナ(こちらもイヌワシ)の2人。

前身は1988年に創部した東北電力サッカーで、1995年JFLに加盟時にブランメル仙台称。ブランメルとは「伊達男」と呼ばれたジョージブライアンブランメルが由来。

1999年Jリーグ2部(J2)に加盟。この時、商標権の関係でチーム名の変更を余儀なくされ、現在ベガルタ仙台に変更。

2002にJ1へ昇格し、東北地方で初めてのJ1に在籍するチームとなった。

2004年J2降格以降、順位は4位~6位とJ1まであと一歩で足踏みを繰り返し、この間毎年のように監督を変えていた点でサポーターから批判が強かった。

2008年は3位に入りジュビロ磐田との入れ替え戦の末にんだが、翌2009年は久しぶりに監督を代えずにシーズンに臨むと、連敗がわずか1回だけ(第4・5節)と抜群の安定感を見せ、終盤のセレッソ大阪とのしい優勝争いも制し、J2優勝を手土産に7年ぶりのJ1復帰を決めた。

迎えた2010年は開幕2連勝で、2節終了時点とはいえ首位に立つ活躍を見せる。その後は伸び悩んで一時は降格圏に沈んだものの、最終節でJ1残留を確定させた。

2011年は開幕ダッシュに成功。開幕から12戦敗で飛び出すと10月には々にJ1残留を確定。終わってみればリーグ最小の25失点(2番に少なかった名古屋グランパスが36失点)という堅守で過去最高の4位でフィニッシュ。

さらに2012年は第2節から第17節まで首位を走る。終盤に息切れしたものの、一度も3位に落ちることなく前年の記録更新する2位でフィニッシュ。初のACL出場も決めた。

2013年ACLと並行してのシーズン。過密日程も絡み成績は伸び悩むが13位でJ1残留。ACLは1勝を挙げたもののグループリーグで姿を消した。この2013年シーズンをもって、2008年以来クラブ史上最長となる6年にわたってチーム揮した手倉監督リオデジャネイロオリンピックへの出場をU-21日本代表監督に就任するために勇退となった。

2014年オーストラリア出身のグラハム・アーノルドが監督に就任。しかし、開幕から1ヶ勝利恵まれず、4月9日アーノルド監督は退任(あくまでも解任ではないとのこと)。ヘッドコーチ渡邉が昇格。その後は盛り返し、辛くも残留圏内に留まる。

2015年渡邉監督が引き続き揮を執り、最終的に2019年シーズン終了まで在任。エースFWの赤嶺ボランチの角田が移籍し、戦が大幅にダウンしたと見込まれていた。しかし、この年から再び2部制になったシーズンは、開幕5試合を2勝3分と好調な滑り出しを見せる。その後連敗を喫してしまい1stステージは6勝5分6敗。2ndステージは3勝3分11敗と大きく負け越したが、1stステージの勝ち越しが幸いし、総合順位では14位で辛くもJ1に残留。

2016年1stステージを7勝2分8敗の10位、2ndステージを6勝2分9敗の12位、年間通算成績12位で残留。ナビスコカップYBCルヴァンカップは2勝2分2敗ながら得失点差でグループリーグ突破ならず。

2017年は、基本形をそれまでの4-4-2から3-4-2-1へ大きく変えて開幕。3月18日にアウェイでの柏レイソル戦でJ1通算100記録。最終的に11勝8分15敗の12位で残留した。ルヴァンカップは準決勝まで進むが、川崎フロンターレホーム&アウェイ合計4-5で敗戦。

2018年は、リーグ戦13勝6分15敗の11位ルヴァンカップグループリーグ1位通過こそしたものの、ノックアウトステージ初戦で湘南ベルマーレに2戦合計3-4で敗戦。一方天皇杯は好調で決勝まで進出、2009年J2優勝以来となるクラブタイトル獲得が期待されたが、浦和レッズに1-0で敗れ準優勝に終わった。

2019年は新形3年ともなると研究が進み、さらに選手の入替も大幅に行われて成熟度が落ち、最下位に沈むこともあったが、渡邉クラブ伝統の4-4-2形への回帰を決断した5月あたりから徐々に復調。最終的に12勝5分17敗の11位で残留した。

2020年渡邉に代わり、前年までモンテディオ山形を率いていた木山之を監督に招聘。ブランメル時代から数えてクラブ創立25周年という年で意気込みも例年以上だったように見えたが、名古屋グランパスとの開幕戦を終えた時点で、COVID-19が全世界的に猛威を振るい始めたことでリーグは長期中断。途中17戦連続勝利、特にホームでは一度も勝てないまま6勝10分18敗の17位でシーズンが終わり、本来なら湘南と共に降格させられるところをコロナ禍特例で回避。
さらに、前年から加入していた渕諒が交際女性への暴行で地元警察逮捕されるも、経営にはトラブルが起きて警察に仲介してもらったという程度の報告しかしておらず、週刊誌FLASH』が記事にしてようやく契約解除に動き出すという不始末も起きた。なんなら、19年途中で交代した会社の社長は典的な天下り気質で、チーム運営に対する熱意が見られなかったことも付記したい。

2021年は、木山が退任して、2度J1昇格に導いた手倉監督復帰、会社の社長市民後援会の重役経験者を招聘するなど、残留を絶対標として挑んだシーズンだったが、2年連続となる名古屋との開幕戦で、シマオ・マテが相手の死から仕掛けたチャージで一発退場になり、数的不利から引き分ける不穏な幕開け。その後もの故障や、コロナ禍での外国人制限などでベストメンバーがなかなかわず、リーグ戦2試合を残して12年ぶりの降格が決定。手倉が引責辞任して、ヘッドコーチを務めていた原崎政人が監督を引き継いだ。

2022年は、一時首位に立つなど、アルビレックス新潟横浜FCの2強に喰らいつく滑り出しを見せたが、次第にリードしても追いつかれるなど勝ちきれない試合が立ち、8月中旬から5連敗を喫するなど、昇格プレイオフに参戦できる3位~6位以内の確保すら危うい雰囲気が漂い始める。ここでJクラブ監督1年生では限界が来たと見られたか、9月に原崎を解任して、こちらもジュビロ磐田監督を解任されたばかりだった伊藤彰を迎え入れて巻き返しを図ったが、最終戦ベガルタが引き分け、7位につけていたモンテディオ山形勝利したことで、勝ち点で逆転されて7位になり、1年での復帰とはならなかった。シーズン終了直後に、ヴァンフォーレ甲府天皇杯優勝させた吉田達磨の監督招聘が検討されている旨の記事がスポーツ報知に載り、また監督交代で迷走するのかと不安に感じたサポーターも多かったが、クラブ伊藤との契約延長を正式に発表して(ひとまずは)事きを得ている。

ベガルタ仙台レディース

ベガルタ仙台は、女子チームも所持していた時期がある。

2011年に活動を休止した東京電力マリーゼの選手を受け入れることが決定。2012シーズンより「ベガルタ仙台レディー」としてチャレンジリーグ日本女子サッカーリーグ2部)に参戦、2013シーズンには1部リーグにあたるなでしこリーグへ昇格。ユニフォームは、かつてはベガルタゴールドライン男女チームを区別していたが、2015年シーズンからは男子と同じくベガルタゴールドラインに統一された。

2017年からサイト運営するマイナビトップスポンサーとなり、チーム名も「マイナビベガルタ仙台レディー」に変更。その後、マイナビ社と2020年クラブ経営権譲渡で基本合意。女子リーグWEリーグとしてプロ化した2021年からは「マイナビ仙台レディー」のチーム名で活動している。

チームあれこれ

関連用語

戦術君
 ベガルタ仙台サポーター。故人。常人には到底理解しがたい「戦術ボード」なる自作スケッチブックを掲げ、メインスタンド独りを嗄らして応援していた。ちなみに『戦術をスケッチブックに書いて見せても、同じものが敵にも見えるから、結局意味ないんじゃない?』というツッコミは野暮である。初めは周囲の客に「うるさい」、「迷惑だ」と忌み嫌われていたが、サポーターネタキャラとして面がっていた事もあり、次第にベガルタ仙台の名物サポーターとして重されるようになった。
 その反面、ベガルタ仙台に対する愚直なまでの忠心に心打たれた者も多く、チームJ1昇格と共に、他サポーターにも知られる存在となった。2002年10月22日、急性心筋梗塞にて死去。享年36歳。スポーツ新聞地方欄に訃報が掲載される程の人気者であった。
 強との試合に引き分けながらも、悔しを流しながら言った「引き分けは負けと一緒だべ?」、生前、一知人にった戦術ボードの意味「2+2=4 2×2=4(方法は違っていても、的に辿りつければ良い)」などの名言を遺しており、今でも仙台サポーターの間では、伝説サポーターとしてり継がれている。とはいえ、いささか持ち上げられすぎのような気もするが。
けさい(待ってけさい
 2004年J2へと逆戻りしてからや6年、毎年のように 監督交代 ⇒ 先は好調 ⇒ 場に運動量が落ちて失速 ⇒ にちょっと盛り返す ⇒ でも結局昇格を逃す ⇒ また監督交代 というお決まりのパターンを繰り返す様を嘲って言う言葉。のちにベガルタ仙台そのものを表す蔑称にもなった。元ネタ2chの「待ってけさい!なして仙台J2置いでぐのっしゃ!(待ってください!どうして仙台J2に置いていくのですか!)」と言いながら「J1」と書かれた乗り物電車バス飛行機など)を追いかけるAAから。J1に昇格してからもこれはそのまま使われ、2011年シーズンに4位だった時は上位3チームACL出場権を得られたために「J1けさい」と言われたことも(3位とは大差がついており、最終節の勝利で4位に上がった結果ではあるが)。

関連動画

入場時チャント・試合中チャント関連

入場時に歌うチャントは「カントリー・ロード」。

サポーター中心部に元パンクロッカーがいる為、トゥイステッドシスター「We're Not Gonna Take ItTwisted Sister song)」やCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」、THE BLUE HEARTSの「電光石火」、氣志團の「スタンディング・ニッポン」など、パンクロックナンバーチャント化させた曲が多く、他チームサポーターからは「仙台応援は一味違う」と評されている。

なお、「スタンディング・ニッポン」を原曲にしたチャント「スタンディング・センダイ」に至っては、氣志團が逆カバーするという事例が起こっている。

試合関連やネタ動画など

ベガルタ漫才

仙台で活動しているお笑いグループ「ティーライズ」exitに所属するお笑いコンビダブルツリーexit(後に「ぎょねこ」に名しワタナベエンターテインメントへ移籍)による「ベガルタ漫才

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最終更新:2023/03/25(土) 16:00

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