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ヴァンフォーレ甲府とは、山梨県甲府市を中心とする全県を本拠地とするJリーグ所属のプロサッカークラブである。

概要

日本プロサッカーリーグ
ヴァンフォーレ甲府
基本情報
創設 1965年
クラブカラー
本拠地 JIT リサイクルインク スタジアム[山梨県甲府市]
ホームタウン 山梨県甲府
を中心とする全県
前身 甲府クラブ
プロサッカークラブテンプレート

クラブの前身は1965年創部の甲府クラブ。そのため特定企業を持たない、小口スポンサー支援を受けるクラブである。1999年Jリーグに加盟。2006年に初めてJ1リーグに昇格。2022年にはチーム初のビッグタイトル獲得となる天皇杯優勝J2リーグ所属として成し遂げている。

チーム名のヴァンフォーレVENTFORET)とは「VENT()」「FORET()」というフランス語の組み合わせで、「のように疾(はや)く、ときにはのように静かに…」で知られる戦国時代の武将、武田信玄の旗印である「風林火山」に基づいている。

クラブマスコットは、山梨特有の日本犬天然記念物「甲斐」がモチーフとなった「ヴァンくん」と「フォーレちゃん」。

ユニフォームホーム。アウェーはホームスタジアムは山梨県小瀬(こせ)スポーツ公園陸上競技場(山梨県甲府市)。2011年から2021年まで山梨中央銀行が命名権を取得して「山梨スタジアム」となり、2021年からはパソコンサプライメーカーのJITが命名権を取得し「JIT リサイクルインク スタジアム」となっている。

歴史

前史(1965-1999年)

1965年クラブの前身である甲府サッカークラブが創設。1969年に全社会人サッカー大会で優勝するも日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)に敗れ日本サッカーリーグ(JSL)昇格ならず。1972年日本サッカーリーグ(JSL)に2部が創設されると参加し、1992年JSL終了まで在籍し続けた。

その後JFL2部→旧JFLへ参加。1995年現在の「ヴァンフォーレ甲府」と称。1998年には4位の好成績を残し、1999年にはJ2オリジナル10としてJリーグ2部に参加した。

経営危機からJ1へ(1999-2005年)

J2リーグに参入した1999年から2001年までは3年連続最下位。特に2000年には「6連敗の後1分けを挟み19連敗」と悲惨な状況に陥っていた。ちなみに19連敗はJリーグ記録である。
2000年末には存続問題が浮上するが、新たに社長に就任した海野一幸氏、スタッフ、選手、山梨県民、果ては他チームサポーターなどの協もあり、存続が決まった。

2002年には大木武が監督に就任。藤田健、倉貫一毅、石原哉、越潤がチームの中心として定着するようになり、限られた予算の中での攻撃的なサッカーを披露。結果、12チーム中7位に入りJ2リーグ参入4年にしてようやく最下位から脱出を果たす。

大木監督は1年で退任するが、2003年には元日本代表の小倉隆史須藤大輔が加入したことで得点が向上。大木時代のスタイルベースにさらに成長を遂げたチームは初めてシーズンの勝ち越しを果たし、5位に入る。2004年にはJ1昇格争いに加わる程になったものの、シーズン終盤に藤田石原が怪で長期離脱したことがき失速。7位に終わる。

2005年大木武が3年ぶりに監督に復帰。バレー藤田長谷川太郎の3トップゴールを量産し、大木スタイルと呼ばれるようになった攻撃サッカーで最終的にベガルタ仙台との順位争いに勝ち3位となり、入れ替え戦に出場。
J1J2入れ替え戦ではJ1・16位の柏レイソルを相手に2戦とも勝利。特に第2戦ではバレーが1人で6ゴールを決めるという伝説的な試合となる。この結果、2006年から甲府サッカークラブ時代を含め初めてのトップカテゴリとなるJ1リーグ所属となる。

エレベータークラブとして(2006年-2012年)

2006年J1舞台であってもこれまで通りの大木スタイルを貫き、ガンバ大阪鹿島アントラーズ横浜F・マリノスといった上位勢相手にを挙げる。結果、開幕前は降格最有補とされながらも年間12勝を挙げJ1残留を果たす。
この年に債務過が解消されたことも発表され、チーム消滅の危機はようやく脱した。

2007年エースバレーG大阪に引き抜かれたこともあって開幕から低迷。の補強でテコ入れを図るも成績は大きく向上せず、第33節に皮にも2年前の入れ替え戦で勝利した相手のに敗れ、J2リーグ降格が決定。この年を最後に大木監督が退任する。

J2へ逆戻りとなった2008年よりヘッドコーチの安間義が監督に就任。しかし、上位勢相手の直接対決勝利できなかったことがいて7位に終わる。2009年も昇格争いに加わり、最終的に湘南ベルマーレと3位を争うことになるが、直接対決に敗れたことがいてこの年もJ1復帰は果たせなかった。

2010年ヘッドコーチ内田一夫が監督に就任。横浜F・マリノスから獲得したハーフナー・マイクが新たなエースとして躍動しゴールを量産。第14節で2位に浮上するとそのままの順位を最終節まで維持。結果、3年ぶりとなるJ1復帰を果たす。この年20ゴールを挙げたハーフナーは、チーム初となるJ2得点王を獲得する。

J1所属となった2011年J1での経験が豊富な三浦俊也が監督に就任。またこれまでの功労者である藤田健や秋本倫孝を放出する。これまでと違う守備的な戦術を採用した三浦監督だったが、これが機せず7月に解任となる。GM佐久間悟が監督に就任後も成績は向上せず、ハーフナー・マイク得点を量産するも、成績は16位で1年でのJ2逆戻りになってしまった。
一連のフロントの方針には批判が挙がり、チーム初のベストイレブンに選出されたハーフナーからも「チームをぶっ壊す意味が分からない」と批判される。

2012年、元FC東京監督福浩が監督に就任。ハーフナー、パウリーニョなど選手が大量に流出したが、昨年途中に期限付き移籍したダヴィの活躍により、4試合を残して1年でのJ1復帰が決まった。 この日に立した「20試合」はJ2記録となり、 さらに次節のアビスパ福岡との対戦を制しJ2の初優勝を決めた。最終的には「24試合」でシーズンを終えた。

堅実な運営サポーターの拡大に努めた結果、この頃になるとJ2でもコンスタントに1万人をえる動員を記録している。

J1定着(2013年 - 2017年)

2013年、昇格の立役者であったダヴィ、そしてフェルナンジーニョといったFWの大半が離脱。
助っ人外国人シーズン開始前に何とかえたものの、怪チームスタイルが合わないといった理由からシーズン中盤には助っ人外国人総取っ替えという事態に陥る。チームも8連敗を喫し降格圏内に転落。
その後は3バックに変更したこと等が功を奏し、チームは復調。第19節アウェーC大阪戦で勝利し8連敗及び降格圏を脱出した後は、シーズン終了まで15位をキープJ1残留を決めた。なお、この年クラブ専用ではないが、念願のクラブハウス練習場が完成した。

2014年は開幕前のキャンプ中に山梨県全体を大が襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。
それでも堅守とFWとして再契約された盛田剛の活躍などによりブラジルW杯前は残留圏内に位置するも先述の商標権問題の解決による支払W杯期間中のキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。
しかし第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利から2勝3分2敗と持ち直し第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出した後続けてC大阪広島にも勝利。他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。ビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。天皇杯ベスト16でJ2北九州に2年連続でPK戦で敗退。

チーム初となるJ1連続3シーズンを迎えた2015年樋口靖洋が新監督に就任。が大幅に入れ替わる形となった。ところが、シーズン前にジバウが、開幕直後にエンリケも退団した。また樋口監督による新しい戦術は機せず開幕から不振に陥り第11節終了時点で2勝9敗、さらに得点だけでなく失点までリーグ最下位に陥ったことから5月樋口監督が辞任し代わりにGM佐久間監督に就任。4月にはマルキーニョス・パラナを再獲得し、5月にはバレーが9年ぶりに復帰。アドリアーノ、野田シーズン途中に退団したが戦術を昨年まで福が取り入れたものに戻したことでその後は4勝2分と降格圏を脱出し、1stステージを12位折り返した。2ndステージも降格圏に落ちることなく14位、総合順位は13位となり3年連続のJ1残留を決めた。ナビスコ杯は未勝利のまま予選敗退、天皇杯ベスト16でに敗れている。

2016年は開幕戦に勝利して初めてJ1首位に立ったものの相次ぐ選手の負傷によりその後の順位は低迷、6月に今季から復帰したクリスティアーノが古巣全移籍してしまい1stステージは降格圏内の17位に終わった。2ndステージ開幕前に補強を行うも残留は最終節まで持ち越され、2ndステージは13位、年間順位14位で残留が決定した。但し年間勝ち点31は残留した年で過去最低となり、年間7勝は2007年の降格時に並ぶJ1在籍最低勝利数、得点数は32とリーグワースト3位、失点は58と前年15も増加しリーグワースト2タイとなった。

2017年佐久間監督を退任し後任に新潟監督をしていた吉田達磨が就任。開幕直後に千葉から阿部が約1年ぶりに復帰を始め外国人の補強を行った中で迎えたシーズンは前年課題となった守備については大生の活躍などで善されたものの得点不足は善されず、また残留争いをしているチームに連敗するなど取りこぼしが多かった。途中加入のリンスの活躍で得点善が見られたものの今度は肝心なところで逆転負けを喫するなどし、最終節でベガルタ仙台勝利したものの15位の清水勝利したことでJ2降格が決定した。 また、2001年よりプレーしていたクラブのバンディエラである石原哉がこのシーズンを最後に現役引退

再びJ2へ(2018 - 2023)

2018年吉田監督を続投したが一時は16位と成績が低迷したことで解任され、代わりに上野展裕が就任。成績は向上するも結局J1昇格プレーオフ圏外の9位に終わる。一方で降格1年のため出場権が与えられたルヴァン杯と天皇杯J1勢相手に勝ち進み、いずれもベスト8まで進出した。

2019年からヘッドコーチだった伊藤彰監督に昇格。2019年は5位になるもプレーオフで上位の徳島ヴォルティス引き分けたことで敗退。2020年は4位、2021年は3位と本来であればプレーオフ圏であるが新型コロナウイルスによるレギレーション変更のためプレーオフは開催されずJ2残留となった。するとこの年のシーズンオフ監督はじめコーチJ1へ昇格したジュビロ磐田に引き抜かれる事態となり、2018年シーズン途中に解任された吉田達磨が再度就任することになった。

2022年サポーターの心配通りヴァンフォーレリーグ戦の成績は低迷。2001年以来のリーグ7連敗を喫するなどし、どうにかJ2残留は果たせたものの過去最低順位となっている。しかし第102回天皇杯では3回戦北海道コンサドーレ札幌、4回戦でサガン鳥栖、準々決勝でアビスパ福岡に勝ったことで(甲府サッカークラブ時代を含めて)クラブ史上初のベスト4に進出。さらに準決勝でも鹿島アントラーズ勝利し決勝まで進出した。そして10月16日の決勝戦ではサンフレッチェ広島相手にPK戦のすえ勝利し、天皇杯制覇を達成。論初のサッカー日本三大タイトル獲得で、同時に2023年AFCチャンピオンズリーグの出場権も獲得している(詳細は番狂わせ甲府を参照)。ちなみに、J2クラブ天皇杯優勝2011年FC東京以来史上2度となる快挙であった。天皇杯優勝は果たしたものの、リーグ戦での低迷もあり吉田監督は1年で退任となる。後任には地元甲府市出身の篠田善之が就任。

主なタイトル

個人タイトル

2023年の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 篠田善之 1971.6.18 2023 清水エスパルス コーチ
1 GK 河田 1987.10.13 2015 ガンバ大阪
2 DF 英大(C) 1998.10.27 2021 明治大学
4 DF 山本英臣 1980.6.26 2003 ジェフユナイテッド市原
5 DF 壮大 1998.6.27 2023 いわてグルージャ盛岡
6 MF 小林岩魚 1996.10.17 2019 専修大学
7 MF 荒木 1995.8.25 2019 専修大学
8 MF 武富孝介 1990.9.23 2023 京都サンガF.C.
9 FW 平和 1988.1.13 2021 大分トリニータ
10 MF 長谷川元希 1998.12.10 2021 法政大学
11 FW 松本 1994.7.31 2023 カマタマーレ讃岐
13 DF 三浦颯太 2000.9.7 2023 日本体育大学
14 MF 中山 2001.1.22 2021 法政大学
15 FW 飯島 1999.11.17 2022 法政大学
16 MF 林田滉也 1999.7.14 2022 関西学院大学
17 MF 品田愛斗 1999.9.19 2023 FC東京
18 MF 鳥海 1998.8.1 2021 横浜大学
19 FW 宮崎 2000.4.10 2019 山梨学院大学
20 MF 遠藤 2000.6.5 2023 専修大学
21 GK 渋谷飛翔 1995.1.27 2023 名古屋グランパス
22 DF 野澤 1998.12.7 2021 産業大学
23 DF 関口正大 1998.4.21 2021 法政大学
24 MF 松本 2001.9.4 2022 栃木SC
25 DF 大和優規 2003.7.16 2022 柏レイソル  U-18
26 MF 佐藤和弘 1990.9.28 2023 松本山雅FC
28 FW 宮崎 2000.4.10 2019 山梨学院大学
29 DF 神谷凱士 1997.6.16 2023 藤枝MYFC
33 GK 山内康太 1999.11.5 2022 日本大学
35 DF 一瀬大寿 2002.9.27 2023 山梨学院大学
40 DF エドゥアルド・マンシャ 1998.12.7 2022 SCファレン
41 MF 土肥航大 2001.9.28 2023 松本山雅FC
77 FW ジェトゥリオ 1997.6.10 2022 CRヴァスコ・ダ・ガマ
99 FW ピーター・ウタカ 1984.6.10 2023 京都サンガF.C.

過去に所属したおもな選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
塚田雄二 1995年1998年
勝俣 1999年 J2参入(1999年)
塚田雄二 2000年
イス 2001年
大木 2002年
松永英機 2003年2004年
大木 2005年2007年 J1昇格(2005年)
J2降格(2007年)
安間 2008年2009年
内田一夫 2010年 J1昇格(2010年)
三浦俊也 2011年2011年8月
佐久間 2011年8月12月 J2降格(2011年)
福浩 2012年2014年 J2優勝J1昇格(2012年)
樋口靖洋 2015年2015年5月
佐久間 2015年5月2016年
吉田達磨 2017年2018年4月 J2降格(2017年)
上野展裕 2018年4月12月
伊藤彰 2019年2021年
吉田達磨 2022年 天皇杯優勝(2022年)
篠田善之 2023年

その他

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最終更新:2023/06/03(土) 20:00

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