佐伯貴弘とは、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手。左投左打。
1992年のドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。ちなみに「ホエールズ」から「ベイスターズ」に変わったその年の入団である。2年目にレフトの定位置を掴み、以降外野のレギュラーとして活躍。98年には中根仁とライトで併用され(相手投手が右のときは佐伯、左のときは中根)、マシンガン打線の一角を担ってリーグ優勝に貢献した。
2000年頃からチーム状況によって一塁手としての起用が増え始める。2001年に背番号を10に変更。2004年にキャリアハイとなる打率.319を残すと、タイロン・ウッズが退団した2005年には、ほぼ全試合で4番・一塁手として起用された。2006年も引き続き4番を任されるが深刻な打撃不振に陥り、「4番佐伯」のコールに相手から拍手が起こるような扱いになってしまう。
2007年には背番号を26に戻し、開幕はベンチスタートだったものの他の選手の不振もあり5番打者として打率3割を記録するなど復活。ファーストには吉村がいたため外野での出場が多かった。2008年はファーストで開幕スタメンを勝ち取ったものの、打撃不振もあり内川聖一が一塁に定着し出番が減り、代打の切り札に収まった。2009年も当初は代打としての出番が多かったが、シーズン後半から5番一塁での出場が多くなった。また、同年1500本安打、150本塁打を達成した。
横浜ではマシンガン打線メンバーのうち最後の生き残りになっていたが、2010年オフに戦力外通告。その後、左の代打要員を求めていた中日ドラゴンズへの移籍が決まった。
阪神タイガースのマスコット・トラッキーがはっちゃけていた頃、トラッキーにジャイアントスイングやドロップキックを喰らわすなど仲良くプロレスごっこをしていた。のちにブラックホッシーが誕生したのは、解雇されたトラッキーの中の人を佐伯が横浜に連れてきたかららしい。
2006年、同点の9回一死満塁の場面で前進守備を取っていたにもかかわらず、ファーストゴロでバックホームせず先に一塁を踏んでしまったことで三塁走者の生還を許し、実況に「何のための前進守備だ!」と叫ばれたことはわりと有名。また同年、広島東洋カープの石原慶幸がサヨナラ打撃妨害を犯した際の打者は佐伯である。2009年には相手の意表を突くホームスチールを決めている。
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最終更新:2025/12/07(日) 02:00
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