全日本プロレスとは、日本のプロレス団体である。略称は「全日」、「全日本」。
『明るく、楽しく、激しいプロレス』、『王道プロレス』をスローガンとして様々な名勝負を繰り広げてきた。
現在は『明るく、楽しく、激しく、新しいプロレス』、『パッケージプロレス』を看板として掲げている。
1972年にジャイアント馬場によって旗揚げされる。
アントニオ猪木の「新日本プロレス」は異種格闘技路線を展開していたのに対し、
馬場率いる「全日本プロレス」は「日本人レスラーVS外国人レスラー」の路線を全面的に推し進めて来たのが
二団体における違いである。
スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディの”超獣コンビ”を初めとする来日外人レスラーと
”完全無欠のエース”ジャンボ鶴田らとの激しく且つ熱いファイトが展開された。
1992年、ジャンボ鶴田が病により一線を引いた後は
三沢光晴、小橋健太(現:建太)、川田利明、田上明らによる「四天王プロレス」でプロレスファンを沸かせて来た。
全日本プロレスは所属選手の大量離脱を2度経験している。
1990年天龍源一郎を筆頭に多くのレスラーがSWSに移籍し、団体存続の危機に陥る。
しかし、完全無欠のエース・ジャンボ鶴田ら「正規軍」と三沢光晴ら「超世代軍」との激しい戦いが展開され、
王道プロレスは揺らぐ事無く再び立ち上がったのである。
1999年、ジャイアント馬場の死去により、社長に就任したのが三沢光晴。
これまでの全日ではありえなかった入場での演出、大規模大会での大胆なマッチメイク等
様々な新機軸を取り入れてきたが、方針の違いから故・ジャイアント馬場夫人である馬場元子側と対立する。
その結果、三沢ら26名の選手とスタッフが大量に全日本を去る事となる・・・。二度目の選手大量離脱である。
(後に三沢らが設立した団体が『プロレスリング・ノア/NOAH』である。)
全日本に残った選手は川田利明、渕正信、マウナケア・モスマン(現:太陽ケア)、スタッフ数名といった状況であったが
川田らの奮闘、天龍源一郎を始めとする他団体レスラー、外人レスラーの参戦で何とか団体運営を続けてきた。
2002年、新日本プロレスを退団した武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシン、カズ・ハヤシが入団。
そして、9月30日に武藤は全日本プロレスの社長に就任する。
その後は『明るく、楽しく、激しいプロレス』に”新しい”を足した『明るく、楽しく、激しく、新しいプロレス』
『王道プロレス』から~演出はなくともエンターテイメントとして成り立つプロレス~『パッケージプロレス』
という新しいモットーを提唱し、今現在に至る。
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最終更新:2025/12/13(土) 07:00
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