天皇杯全日本サッカー選手権大会とは、日本の男子サッカーにおける全国規模のオープントーナメントである。
通称は「サッカー天皇杯」または「天皇杯サッカー」。
天皇杯を冠する大会は色々あるが、現在では「天皇杯」と言えばと大体この大会の事を指す。
参加可能であるのは第1種(プロ・社会人・大学)と第2種(高校・クラブユース)のチームのみである。
ただし、予選によっては第2種の参加が不可能のところもあるので、結果的に高校生やクラブユースが本選に出場不可になる都道府県もある。
オープントーナメントであるので、上のリーグカテゴリに所属しているクラブが下のリーグカテゴリに所属しているクラブに負けるという「下克上」、すなわちジャイアント・キリングが最も目立って起こるトーナメントである。
天皇杯でよく使われるこの言葉は、2ちゃんねる内における大会関連のスレッドが発祥とされる。
天皇杯の中継はNHKが共催で名を連ねている関係で独占しており、併せて全国中継されるほとんどのカードがNHK衛星第一テレビジョン(BS1)で放映されている。
この言葉が浸透しだしたきっかけとなったのは、2004年の第84回大会の5回戦である横浜F・マリノス対ザスパ草津の一戦と言われている。
当時のマリノスはJ1を2連覇、片やJFLを3位で終えていた(しかし特例でJ2昇格が決まっていた)ザスパは、4回戦でセレッソ大阪を逆転で下してきた。
実はこの試合、チャンネルはBS1だったが、水曜日のゴールデンタイムでの放送ということもあり、国内サッカーファンを始め、全国から注目されていた。
最初は前半29分にザスパの宮川大輔がゴールを決めて先制する。
後半に入ると目が醒めたマリノスが積極的にゴールを奪いに来るようになるが、後半27分にマリノスの奥大介を止めようとザスパの山口貴之が引っ掛けてしまいイエローカード2枚目を貰って退場。
後半38分に奥が決めて同点とし、逆に後半40分にザスパの籾谷真弘がイエローカード2枚目を受けて退場。
この時点でザスパは9人となってしまうも奮闘し何とか延長戦に持ち込んだが、J1王者であるマリノスは誰一人退場しておらず、ここまで足掻き続けたザスパがマリノスに屈してしまうのも、もはや時間の問題であると誰もが思っていた。
そして延長前半11分、当時ザスパのキャプテンだった鳥居塚伸人がFKで揉みくちゃになっているマリノスゴール前にボールを蹴り飛ばし、マリノスの誰もがクリアせずにザスパの選手たちとボールを争奪し合う。
ボールはファーポスト方向に転がり、それにザスパの依田光正選手が反応してそのままシュート、それがそのままゴールに吸い込まれてザスパの延長Vゴール勝ち・・・伝説がまた1つ、誕生した瞬間であった。
試合後、NHKのニュース9で「ザスパ草津、大金星!」の見出しで試合内容が紹介され、翌日のスポーツ新聞では1面を飾り、さらにはザスパの公式サイトがサーバーダウンによるアクセス不可状態となっていた。
なお、ザスパは3日後の準々決勝である東京ヴェルディ戦では0-3とやられてしまう。
無理も無い、マリノス戦前のリーグ戦で膝を悪化させていたGKの小島伸幸は強行出場してさらに悪化させてしまっているし、マリノス戦で主力2人が出場停止となってしまったのだから。
ちなみにマリノスについてだが、前大会である2003年の第83回でも、なんと船橋市立船橋高等学校に2-0から追いつかれてPK戦にまでもつれ込んでしまった試合を観せてしまっている。(決して失態ではない。)
当時のマリノスはシーズンの最後辺りどうしてああなった・・・。
最後に「BS劇場」というこの言葉、今ではJ1のリーグ戦でも使われているらしいが、正直「BS劇場=天皇杯での番狂わせ」である認識の方々からしたら馴染めない使用の仕方であろう。
第87回。
Jリーグクラブを3つ破ってみせて反旗を翻した「Jへの門番」Honda FCが、当時のJ1王者である鹿島アントラーズ挑んだ一戦のダイジェストである。
もはや伝説中の伝説である第79回。
最後の出場となった横浜フリューゲルスが、一度も負けずに優勝を勝ち取り、そして1ヶ月後に消滅した・・・。
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最終更新:2025/12/11(木) 08:00
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