川崎フロンターレ 単語

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カワサキフロンターレ

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川崎フロンターレとは、川崎市ホームタウンとするJリーグサッカークラブである。
ホームスタジアムはUvanceとどろきスタジアム by Fujitsu

概要

日本プロサッカーリーグ
川崎フロンターレ
基本情報
創設 1955年
クラブカラー サックスブルー
所属 J1リーグ
本拠地 Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu[川崎市中原区]
ホームタウン 神奈川県川崎市
前身クラブ 富士通サッカー
プロサッカークラブテンプレート

1955年富士通サッカー部として設立。1997年Jリーグ準会員に承認され、1999年Jリーグへ加盟。チーム名の「フロンターレ(Frontale)」は、イタリア語で「正面の」「前飾り」を意味しており、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツを体現し、正面から正々堂々と戦うチームの姿勢を表現したものである。

エンブレム川崎市 つつじ、チームマスコット イルカチームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨都市 川崎シンボライズしている。チームカラー水色は、クラブ創成期に業務提携を結んでいたブラジルのグレミオのチームカラーを模していた名残である。

クラブマスコットは先進技術やスピードモチーフとしているふろん太、カブレラ

また、毎試合、選手入場前にサポーター川崎市民の歌好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。

現在は、J1リーグ優勝4回とJリーグでも屈の強チームへと成長しており、2022 FIFAワールドカップでは三笘薫田中碧守田英正谷口悟、板倉滉チームの出身者がベスト16入りに貢献している。

クラブの歴史

創成期

前身の富士通サッカー部が1992年より旧JFLに参入。1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へと改称。

1997年チーム名を現在の「川崎フロンターレ」に改め、Jリーグ準会員に承認される。Jリーグ昇格をしたこの年は、ベッチーニョや中西哲生、向健といったJリーグでの実績を持つ即戦力を補強。さらにブラジルの名門グレミオと業務提携を結ぶ。しかし、この年の旧JFLでは2位とわずか勝ち点1差の3位に終わり、惜しくもJリーグ昇格を逃す。

1998年ブラジル監督ベット監督に就任。最後の開催となった旧JFLではヴァルディネイ、トゥットのブラジル人2トップが規格外の攻撃力を発揮。特にヴァルディネイは33得点という記録的なゴール量産を見せる。東京ガスとのしな首位争いを繰り広げることとなり、勝ち点わずか1及ばず優勝を逃し、シーズン2位J1参入決定戦に回ることになる。だが、1回戦でアビスパ福岡Vゴールで敗れ、翌年に創設されるJリーグディヴィジョン2(J2リーグ)に参戦することが決まる。

J2初年度の1999年だったが、開幕3連敗とスタートダッシュに失敗。この結果、5月ベットが解任となり、松本育夫監督に就任。松本との確執で岩本輝雄が将を剥奪される事件が起きるものの、新たに将に就任した中西チームをまとめ、森川の加入によって課題だった守備が安定するようになる。攻撃面ではティンガとツゥットのブラジルコンビが活躍。7月に入って首位に立つとそのままシーズンを終え、初代のJ2リーグ優勝チームとなると同時にJ1リーグ昇格を決める。シーズン終了後、松本監督を退任しクラブ社長に就任。

J1リーグ初挑戦となった2000年ヘッドコーチだったゼッカが監督に就任。元鹿島アントラーズの選手を多く獲得するも攻撃の中心だったトゥットとティンガが退団。補強の失敗もあって開幕から低迷し、わずか10試合でゼッカが解任になる。後任に今井敏明が就任した後もチームの成績は振るわず、1stステージでは延長戦でのVゴールセレッソ大阪の初優勝阻止するが、年間順位最下位に終わり、1年でJ2リーグに降格となる

J2リーグでは3年間を過ごすことになるが、この時期に後にクラブ徴となる中村憲剛、圧倒的な得点力を持つジュニーニョが加入。彼らを中心とした攻撃的なスタイルの礎が確立された時期でもあり、関塚監督が就任した2004年には勝ち点105、総得点104という圧倒的な数字を残し、2位大宮アルディージャに勝ち点18差をつけるぶっちぎりの独走状態で2度J2リーグ優勝を果たし、4年ぶりにJ1へ復帰する。37得点を挙げたジュニーニョは得点王にいている。

成長期からシルバーコレクターへ

ジュニーニョ、中村憲剛を擁した攻撃力はJ1でも十分に力を発揮し、昇格1年2006年は一桁順位の8位という成績を残す。そして、2006年開幕戦で我那覇和樹ハットトリックを達成し6-0、第2節ではジュニーニョがハットトリックを達成して7-0というド手なスタートを切る。これで勢いづいたチームは、自慢の攻撃力を前面に出し、ワールドカップでの中断期間を首位で折り返す。後半戦に入っても勢いは衰えず、最後まで優勝争いを繰り広げ、シーズン2位大躍進を遂げる。この年のチームジュニーニョ、我那覇中村憲剛谷口博之の4人が二桁得点記録し、総得点数はリーグ記録の84得点記録した。

2007年には、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグドーピング(禁止物使用)規定違反認定され長期の出場停止処分を受けたり[1]2008年には開幕直後に起用法を不満としたフッキが突如退団、関塚監督が体調不良で一時揮を執れなくなるなどの数々のアクシデントに見舞われるが、鄭大世や川島永嗣らの台頭もあり、チームは毎年優勝争いに加わるほどの強チームへと成長していった。一方、2007年ナビスコカップ優勝2008年リーグ2位とあと一歩でタイトルを逃し続けていることから、シルバーコレクターと揶揄するも挙がるようになっていた。

2009年は関塚が監督に復帰。ジュニーニョと鄭大世の2トップの活躍もあって終盤戦に首位に立つが、第32節に大分トリニータに敗れ首位から転落すると、鹿島アントラーズ逃げ切りを許し2年連続で2位に終わる。一方、ナビスコカップでも2度の決勝進出を果たすがFC東京に敗れ準優勝に終わる。また、決勝戦後の表式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動をとったことが問題となり、準優勝賞金5000万円の自返還などの処分が発表される。この年を最後に関塚監督が退任。

風間革命

2010年川島、鄭大世と力の海外移籍が相次ぎ、レナチーニョが采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジル断帰し退団するなど震が走る。この年は5位で終えたものの、エースジュニーニョが鹿島に移籍した2011年は新監督相馬直樹を迎えたもののチームは低迷。得点力が大幅に低下し11位に終わる。過渡期を向けたチーム2012年も開幕から低飛行が続いていた。

そんな中で2012年4月相馬を解任し、解説者としても有名になっていた風間監督に就任。独特の戦術スタイルを導入した風間小林大島僚太、谷口悟ら若手(自分の息子2人も含め)を辛抱強く起用し、成長させる。

就任1年は8位に終わったものの、大久保嘉人が加入した2013年は徐々に調子を上げて3位に入り、4年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得。26得点記録した大久保得点王を獲得。2014年2015年は2年連続で6位に終わるものの、中村憲剛とのホットラインですっかりストライカーとして覚醒した大久保2014年に18得点2015年に23得点Jリーグ史上初の3年連続得点王のタイトルを手にする。

2016年1stステージ開幕戦を前年優勝広島を下した後上位対決浦和敗北するもその後順調に勝ちを積み重ね一時は首位に立った。しかし残り2試合で下位の福岡引き分け2位鹿島勝利を収めたことで順位が入れ替わり終戦こそ大宮勝利したものの結局1ndステージ2位で終えた。2ndステージは開幕戦の仙台戦から多摩川クラシコ(FC東京)戦まで小林が全てゴールを挙げる好調を魅せ、神奈川ダービー(湘南戦)ではジュニーニョのクラブ記録更新する6試合連続ゴールを挙げた。最終的にはクラブ史上新記録となる15戦敗も記録。最終的には鳥栖戦で敗れ、8試合連続ゴールのかかった小林ノーゴールに終わるが敗を16に伸ばした。
しかし、終盤は成績は落ち込み最終戦G大阪戦でも逆転負けし浦和に次ぐ年間2位クラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場となった。チャンピオンシップ準決勝はホーム開催となったが、金崎生の一発に沈み鹿島に0-1で敗れ、決勝進出とはならず、総合順位としては年間3位でシーズンを終えた。なお、中村憲剛リーグ最優秀選手に選出されている。
一方、天皇杯では順調に勝ち進み、準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンACL本戦出場権獲得を果たした。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝(クラブ史上初の元日決戦)では、鹿島に先制されるもののその後小林ゴールで追いついて同点とし、延長戦へと持ち込んだものの、この試合を最後に鹿島を退団するファブリシオに決勝点を決められ敗戦、準優勝となった。
この年を最後に風間が退任する。

上記の通り2005年J1再昇格後以来、J1リーグ優勝4回、Jリーグカップ優勝4回、天皇杯優勝1回を経験するなど、あと一歩のところで優勝まで届かずにいたため、シルバーコレクターターレなどと揶揄されていた。

悲願の優勝

木達が監督に就任した中で迎えた2017年キャプテン小林が移籍した大久保を埋める形でチーム得点として活躍。開幕戦こそ勝利を収めたものの前半戦に多くの負傷者を出したために一時は9位まで下がったが、連敗はなく安定したシーズンを迎えた。その後、守備の安定と負傷者が後並み復帰したことで19節での敗戦以降は、リーグ戦では15試合負けなかった。
21節終了時点では、最大7点差まであった首位鹿島が勝ちきれない試合の中で順調に勝ち点を積み重ね33節で勝ち点差2まで縮めた。そして最終節大宮戦開始1分で先制点を決めたのち小林ハットトリックを決め大勝し、対する鹿島引き分けに終わったことで勝ち点が並んだものの得失点差で鹿島を大きく上回ったことで順位が入れ替わった。

これにより1999年J2発足初年度に所属していたクラブ史上初にしてオリジナル10以外3クラブJ1リーグ優勝となった。
また、優勝監督賞を木達が受賞したのを始め最終節にハットトリックを達成し23得点記録得点王となった小林最優秀選手賞となりJリーグ史上6人となるダブル受賞を達成。また小林に含むエウシーニョ、屋、中村ベストイレブンに、さらにこの4人に加え、谷口阿部大島の7選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された
一方ACLではグループステージ4戦連続引き分けという記録となるも残り2戦を勝利を収めてけっようトーナメント進出。準々決勝では浦和ホームでは勝利を収めるもアウェー戦で大敗したことで準決勝進出を逃した。
Jリーグカップ(ルヴァンカップ)では前身のヤマザキナビスコカップを含めて8年ぶり4度の決勝進出を果たした。決勝戦はセレッソ大阪と対戦し、シュート数こそ相手を上回るも決められず後半アディクションタイムカウンターを受けてた後追加点を奪われ敗退。これにより2000年2007年2009年に続きまたしても決勝で得点のまま敗戦し、準優勝となった。 

黄金時代突入

2018年は史上3クラブとなる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成。これにより、Jリーグ史上5チームオリジナル10以外では史上初となる連覇を果たした。最終的に得点数(57得点)と失点数(27失点Jリーグ史上3位 )と両項リーグトップ記録した。移籍2年となった家長昭博がこの年のJリーグ最優秀選手賞を受賞。

2019年リーグ戦では4位に終わったものの、ルヴァンカップ(Jリーグカップ)決勝で札幌と対戦。PK戦を制し5回の挑戦で悲願のルヴァンカップ優勝を果たした

2020年は、8年連続開幕戦引き分けを皮切りにコロナ渦リーグ戦が中断と出を挫かれる形となった。
しかし再開後、8月15日札幌戦でJ1で途中出場選手の三笘薫小林がそれぞれ2ゴールを挙げ2人が複数得点を挙げた史上初の記録を始め小林ジュニーニョのクラブ最多得点記録更新した。
第11節C大阪戦では、Vゴール方式止された2003年以降では同一シーズンでのJ1記録(10連勝)を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利Jリーグ史上初となる2度の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。11月18日に開催された第30節の横浜FM戦で3-1で勝利し、クラブ史上初の神奈川ダービー横浜FM横浜FC湘南)6戦全勝。
11月25日G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回リーグ優勝を成し遂げた。これにより勝ち点は75となり、2003年以降で最多記録更新シーズン24勝も2003年以降で最多記録4試合を残しての優勝J1史上最速。
前回優勝2018年)も2節残してリーグ優勝を決めているので、2回以上リーグ優勝を最終節を待たずして決めたのはJリーグ史上初である。

そしてメモリアル大会(第100回)となった天皇杯では、コロナ渦による特例で準決勝から出場し、J3優勝秋田を破り、迎えた決勝(G大坂)戦。
前半は得点のまま迎えた後半10分にレアンドロ・ダミアンスルーパスに反応して抜け出した三笘が流し込んで先制。これを守り切り1-0で制して勝利
これによりクラブ初の天皇杯優勝2016年鹿島以来同シーズン複数タイトルを獲得した。そして、二冠達成という快挙の中でクラブのバンディエラである中村憲剛が現役を引退する。

2021年も他チームを圧倒的な強さでねじせての開幕5連勝を飾り、5月16日札幌戦に勝利するとJリーグ記録となる22試合連続記録立。最終的に30試合まで記録を伸ばす。シーズン折り返しの時点で既に首位を独走しており、川崎を止められるチームいとさえ言われていた。しかし、力に成長していた田中碧三笘薫が相次いで欧州へ移籍するとチーム力が低下。ACLではラウンド16で敗退し、リーグでも横浜FMの追い上げを許してしまう。しかし、レアンドロ・ダミアン前線大車輪の活躍を見せ、旗手怜央坂泰斗田健人が成長を遂げたことで持ち直し、最終的に勝ち点90越えを達成してのリーグ連覇を成し遂げる

2022年は最後まで優勝争いを演じ、一時は首位横浜F・マリノスに勝ち点2差まで薄したものの、レアンドロ・ダミアン力の負傷がし、6年ぶりとなるシーズン冠に終わる。

2023年将の谷口悟がカタールへ移籍。開幕戦の横浜FM戦を落とすと、かつての王者はらしくない不安定な戦いを見せる。特に谷口を失った守備はジェジエウが怪で長期離脱を強いられ、苦しい台所事情となっていた。一時は調子を取り戻すが、第22節から3連敗を喫するなど波に乗り切ることができず、かつて圧倒的な強さを誇った元王者は一度も優勝争いに食い込むことなく8位でシーズンを終了。木体制では最低の成績となった。
天皇杯では、二度のJ1勢撃破を果たした高知ユナイテッドSCルヴァンカップ王者のアビスパ福岡などを破り、3年ぶりに決勝へ進出する。柏レイソルとの決勝は0-0のままPK戦まで突入。10人までもつれ込んだ死闘はGKチョン・ソンリョンが自ら決め、直後に相手GKのPKを止める活躍を見せ、3年ぶり2度優勝を果たす。

2024年は、開幕前の富士フイルムスーパーカップ優勝。前年にグループステージを勝ち抜いていたACLだったが、ラウンド16の山東泰山戦でアウェイの第1戦を勝利しながらホームでの第2戦で逆転され、敗退となる。
リーグ戦では第2節から3連敗を喫するなど序盤から躓き、前半戦終了時点で14位と低迷。後半戦もAチーム状態は一向に上がらず、低飛行が続き残留争いの一に入ってしまう。それでもラスト10試合は5勝4分2敗と少しだけ調子が上がり、最終的に前年と同じ8位で終える。
10月16日、8年間でクラブに7タイトルをもたらした監督が退任を表明。一つの時代が幕を下ろす。

現在

2025年シーズン福岡を躍進させた長谷部茂利を新監督に招聘。

クラブの特徴

Jリーグの中でも随一の攻撃力を持つクラブ。地域密着を心がけており、Jリーグスタジアム観戦者調では2010年から2019年まで10年連続で地域貢献度1位に選ばれた実績がある。かつて川崎に在籍していた某緑色チームが騒動を起こしたこともあって当初市民から冷ややかなで見られていたが、地な活動が実を結び今日に至っている。
また、スカウトも優秀であり、ジュニーニョ、鄭大世(チョン・テセ)、マギヌン、ヴィトール・ジュニオールレナチーニョなどといった優良外国人を発掘している。フッキ?そんな人知りませんよ。
ここ最近は外国人の他に名大学からの新人発掘にも定評があり、クラブのバンディエラである中村憲剛がその代表格で、2010年度加入の小林友紀らもその筆頭である。

企画力にも定評があり、中にはJリーグ一とのもある。
予想外企業・団体とコラボしたり算数ドリルを作ったりと新な企画を次々と打ち出している。例えば、南極始球式を行ったり、ハーフタイムスーパーフォーミュラカーを走らせたり・・・

挙句の果てには天体戦士サンレッドとのコラボし、「ファイト!川崎フロンターレ」(TVK 金曜22:30~)内で特別版(4話)を放送した。
さらに、ついには2012年の新体制発表会をニコニコ生放送で中継してしまった(中村憲剛伊藤小林各選手が出演するという演出で)。

2012年には川崎浴場組合連合会のポスターで「テルマエ・ロマエ」とコラボするなど、今後も新な企画に期待がかかる。

2013年からは認の同人誌を売ると言う予想の斜め上を行く手に出たあげく、2015年の新体制発表会見ではなんと、コミケットスペシャル6川崎市観光協会、川崎市経済労働局、ねこしっぽと共同で企業参加することが決定。また、美少女キャラクターとして「カワサキまるこ」が誕生。一体、このクラブはどこに向かおうとしているのやら。

主なタイトル

国内タイトル

個人タイトル

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 木達 1974.4.20 2017 川崎フロンターレ コーチ
1 GK チョン・ソンリョン 1985.1.4 2016 水原ブルーウィング
2 DF 高井幸大 2004.9.4 2023 川崎フロンターレU-18 【H】
4 DF ジェジエウ 1994.3.5 2023 パラナ・クルー
5 DF 佐々木 2000.1.26 2022 流通経済大学
6 MF ゼ・ヒカルド 1999.2.3 2024 ゴイアスEC
7 DF 屋紳太郎 1992.4.5 2014 筑波大学
8 MF 田健人 1998.5.29 2020 横浜大学
9 FW エリソン 1999.4.13 2024 ゴイアスEC
10 MF 大島僚太 1993.1.23 2011 静岡学園高校 【H】
11 FW 小林 1987.9.23 2010 拓殖大学
14 MF 坂泰斗(C) 1995.6.11 2018 阪南大学
15 DF 田邉秀斗 2002.5.5 2021 ジェフユナイテッド千葉
17 FW 遠野大弥 1999.3.14 2021 アビスパ福岡
19 MF 河原 1998.3.13 2024 サガン鳥栖
20 FW 山田 2000.5.30 2023 横浜大学 【H】
21 GK 安藤駿 1990.8.10 2014 湘南ベルマーレ 【H】
22 GK 早坂勇希 1999.5.22 2021 横浜大学 【H】
23 FW マルシーニョ 1995.5.16 2021 重慶両江競技足球楽部
24 FW 宮城 2001.6.2 2021 モンテディオ山形 【復】【H】
26 MF 山内日向 2001.5.13 2023 横浜大学 【卒】【H】
28 MF パトリッキ・ヴェロン 2004.9.8 2024 ECバイーア
30 MF 瀬川 1994.2.7 2023 湘南ベルマーレ
31 DF ファン・ウェルメスケルケン・際 1994.6.28 2024 NECナイメヘン
32 FW 神田 2005.12.29 2024 静岡学園高校 【卒】
34 MF 由井航太 2005.6.10 2023 川崎フロンターレU-18 【昇】【H】
35 DF 丸山 1989.6.16 2024 名古屋グランパス
36 DF 良汰 2002.6.16 2024 早稲田大学(在学中) 【特】
39 DF 土屋櫂大 2006.5.12 2024 川崎フロンターレU-15 【2】
40 GK 松澤成音 2007.11.10 2024 川崎フロンターレU-15 【2】
41 MF 家長昭博 1986.6.13 2017 大宮アルディージャ
44 DF サルアイダル 2001.3.31 2024 ポルテス・トリマ 【レ】
77 MF 山本 1997.11.6 2024 ガンバ大阪
98 GK 山口 1998.5.28 2024 FC町田ゼルビア 【レ】

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属したおもな選手

ニコニコ大百科に記事があるOBの動向

歴代監督

監督 在任期間 備考
斉藤和夫 1997年1997年9月
ジョゼ 1997年9月12月
ベット 1998年1999年4月
松本育夫 1999年4月12月 J1リーグ昇格(1999年)
ゼッカ 2000年2000年5月
今井敏明 2000年5月9月
小林 2000年9月12月 J2リーグ降格(2000年)
堀井 2001年2001年7月
石崎 2001年7月2003年
関塚 2004年2008年4月 J2リーグ優勝J1リーグ昇格(2004年)
高畑 2008年4月12月
関塚 2009年
高畑 2010年
相馬直樹 2011年2012年4月
風間 2012年4月2016年
木達 2017年2024年 J1リーグ優勝(2017年2018年2020年2021年)
ルヴァンカップ優勝(2019年)
天皇杯優勝(2020年2023年)
長谷部茂利 2025年

関連動画

関連動画(ネタ編)

上記に代表されるように、ネタ的なイベントや個性的な選手が多く、家族連れに非常に人気がある。
特に毎年恒例のファン感謝祭ステージ芸は異様な完成度を誇る。

また、会場ではガンプラも販売している。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *2008年スポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇ドーピング事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担をめる異例の裁定となった。これに対し、当時のJリーグチェアマンだった三郎らは我那覇に対して濡れ衣を着せたことを認めていない。詳しくは木村著書の『争うは本意ならねどexit』を参照。
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