松原忠司とは新選組副長助勤である。四番組長。
概要
生年不詳。播磨国小野藩士・松原某の子として生まれる。諱は誠忠(まさただ)。
安政元年(1854年)に出奔。大阪に出て柔術道場を開いたとされる。
文久3年(1863年)5月頃壬生浪士組(新選組)に入隊。隊内では柔術師範を務めた。8月18日の政変の際には坊主頭、鉢巻、薙刀という姿を見せ、弁慶のようだと評された。
元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では屋外の警備を務めた。
慶応元年(1865年)、切腹未遂を起こした際に隊士に止められたが、傷が悪化し9月1日に死亡。切腹未遂に至った理由については諸説あり判明していない。
新選組を題材とした作品ではほぼ出番のない不人気人物の1人。
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