柳田悠岐(やなぎた ゆうき、1988年10月9日-)とは、広島県出身のプロ野球選手(外野手)。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属している赤ヘル戦士である。
※やなぎ「だ」ではなく、やなぎ「た」である。愛称は「ギータ」。
| 福岡ソフトバンクホークス #9 | |
|---|---|
| 柳田悠岐 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 広島県広島市 |
| 生年月日 | 1988年10月9日 |
| 身長 体重 |
188cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2010年ドラフト2位 |
| 経歴 | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | 日本 |
| 日米野球 | 2014年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
広島商業高校から広島経済大学に進み、広島六大学リーグで4度の首位打者に輝くなど活躍。2010年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスに2位で指名され入団。背番号44。ドラフト時、ホークスは2位で秋山翔吾(西武3位指名)の指名を予定していたが、王貞治会長の「誰が一番飛ばすんだ?」という鶴の一声で柳田の指名となった。
2011年(1年目)は春のキャンプで王会長に「新人王を獲れる」と絶賛されたが、当時チームの外野の層が厚かったため専ら二軍暮らしだった。代走や代打で6試合に出場したがヒットは無し。一方二軍ではそのポテンシャルを発揮し、打率.291、13本塁打をマークしてウエスタンリーグ本塁打王を獲得した。オフにはオーストラリアのウィンターリーグへ派遣される。
2012年も開幕からしばらくは二軍で、5月に一度昇格するがすぐに降格。二軍では相変わらずよく打ち、6月22日に再び昇格してからは長谷川勇也をライトに回して下位打線でセンターのレギュラーとして起用、8月5日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ第1号本塁打を放った。9月以降は多村仁志と併用され、最終的に68試合に出場して打率.246、5本塁打18打点、6盗塁をマークした。
2013年は7番・センターで開幕スタメン入り。化膿性リンパ節炎で5月に一度抹消されたり、中村晃の台頭で指名打者のない交流戦のセ・リーグ主催試合ではスタメンを外されたりしたが、前半戦はほぼ中堅のレギュラーとして起用された。6月25日の北海道日本ハムファイターズ戦でダイビングキャッチした際に右肩を痛めて戦線離脱。7月に復帰したが、肩は完治していなかったため閉幕直前まで代打か指名打者で出場することになった。8月29日の千葉ロッテマリーンズ戦で初めて4番に抜擢、10試合で4番を打った。最終的に105試合で打率.295、11本塁打、41打点を挙げたが、怪我に苦しむシーズンとなってしまった。
2014年は全144試合にセンターとしてスタメン出場、不動のレギュラーの地位を確保した。オールスターにも初めて選出され、打率.317、15本塁打、70打点、33盗塁の好成績を残し、優勝・日本一に貢献。ベストナインとゴールデングラブに初選出される。日本シリーズ第2戦(阪神甲子園球場)では4安打(1本塁打)2打点の活躍を見せ、優秀選手賞を受賞した。オフには日米野球の日本代表に選出。日米野球MVPを受賞し、ジャスティン・モルノーから「アメリカに連れて帰りたい」と賞賛される。
2015年からは、小久保裕紀がつけていた背番号9を背負う。工藤公康新監督のもと、開幕から3番打者に固定され、驚異的なペースで打ちまくり、打線の中核としてチームを牽引。西武の秋山翔吾と、.380前後という超ハイレベルな首位打者争いを繰り広げながら、本塁打、盗塁とも快調に積み重ね、チームの独走優勝の原動力となった。9月8日に30本塁打、9月15日に30盗塁をクリア。史上4人目の首位打者と盗塁王の同時達成も見えていたが、9月26日のロッテ戦でイ・デウンから膝裏に死球を受け、残りの試合をほぼ欠場することになってしまい、盗塁王と100打点は逃した。とはいえ最終的に打率.363(歴代19位)、34本塁打(リーグ3位)、99打点(リーグ3位)、32盗塁(リーグ2位)、出塁率.469(1985年以降歴代6位)、182安打(リーグ2位)、OPS1.101(リーグ1位、1.1超えはパ・リーグでは2004年の松中信彦以来)という超人的な成績を残し、ヤクルトの山田哲人と共にトリプルスリーを達成、首位打者・最高出塁率のタイトルを獲得し(トリプルスリーを達成しての首位打者は史上初)、MVP・ベストナイン・ゴールデングラブに輝いた。CSでは第1戦で同点2ランを放ったが、日本シリーズではチームは日本一に輝いたが、前述の死球の影響もあり振るわなかった。オフに行われたWBSCプレミア12はその怪我のため辞退した。
2016年は16試合連続四球を記録したが、前年トリプルスリーを達成した影響で徹底的なマークに遭い成績が伸び悩む。さらにシーズン終盤に負傷したことで120試合の出場で打率306、18本塁打、23盗塁に終わった。
2017年は交流戦で調子を上げ、打率.338、7本塁打、23打点で自身2度目の交流戦MVPを受賞。二度の獲得は史上初だった。前半戦を81試合の出場で打率.327(1位)、23本塁打(1位)、75打点(1位)と三冠王を期待させる成績で締めた。オールスターにも選出され、ホームラン競争で筒香嘉智、アレックス・ゲレーロと対戦。決勝戦では後攻でゲレーロに並ぶ4本塁打を記録したため優勝した。シーズン終盤に右わき腹を負傷したため130試合に留まり、打撃3タイトルはいずれも逃したが、3年連続の最高出塁率を獲得。クライマックスシリーズ第5戦で復帰し、日本シリーズでは優秀選手賞を受賞した。
2018年はチームが不調の中、開幕からひとり絶好調。4月21日の北海道日本ハムファイターズ戦でサイクルヒットを達成した。8月半ばからは4番に入り、打線の中核としてチームを牽引した。しかしもはや毎年恒例の感もある9月のアクシデントは今年も健在で、9月16日の埼玉西武ライオンズ戦の試合前、栗山巧の打撃練習中に打球が左側頭頭部に直撃し、病院に搬送。幸い診断は打撲と軽傷だったが、負傷箇所が頭だったこともあり、脳震盪特例処置で一軍登録を抹消された。特例のため10日も待たずに済み、9月23日に一軍に復帰(栗山からは3回謝罪され、3回目で対面した時は笑みで返した)。130試合の出場で打率.352で首位打者(2回目)、出塁率.431で最高出塁率(4年連続4度目)のタイトルを獲得した。
西武とのCSファイナルステージでは2本塁打8打点の活躍でMVPを獲得し、チームを初の下克上日本シリーズに導く。プロ入り以来の夢だった広島東洋カープとの対決となった日本シリーズでは、広島バッテリーの執拗なインロー攻めに苦しんだが、第5戦の延長10回裏に中崎翔太からサヨナラホームランを放ち、日本一に貢献。2年連続で優秀選手賞を受賞した。
最大の魅力はそのズバ抜けた長打力。引っ張れば福岡ドーム上段まで叩き込み、ナゴヤドームの天井に当てる。逆方向に打てば、高いフライのような打球がなぜかスタンドまで届くどころか、大阪ドームの5階席に入れる。バックスクリーン方向へ飛ばせば横浜スタジアムのビジョンを破壊する。見る者を唖然とさせるその規格外のパワーは、二軍時代から井端弘和が「すぽると!」で行われた「100分の1」企画にて、その潜在能力を絶賛していた。
常に力いっぱいフルスイングするため打球が速く、BABIPが高い。その上で選球眼も非常に優れており、打率・出塁率ともに高い数字をマークする。特に出塁率は、強打者ゆえに勝負を避けられやすいことも相まって毎年球界トップクラスの数字を叩きだし、最高出塁率のタイトルはもはや定位置。典型的な身体能力お化けで、足も速く、肩も非常に強い(ただし送球のコントロールはやや怪しい)。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#175 | 8794 |
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011年 | ソフトバンク | 6 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 |
| 2012年 | 68 | 212 | 195 | 17 | 48 | 10 | 1 | 5 | 18 | 6 | 2 | 0 | 10 | 5 | 56 | 2 | .246 | .300 | |
| 2013年 | 104 | 337 | 298 | 48 | 88 | 19 | 2 | 11 | 41 | 10 | 0 | 0 | 32 | 7 | 96 | 3 | .295 | .377 | |
| 2014年 | 144 | 615 | 524 | 91 | 166 | 18 | 4 | 15 | 70 | 33 | 0 | 3 | 72 | 16 | 131 | 8 | .317 | .413 | |
| 2015年 | 138 | 605 | 502 | 110 | 182 | 31 | 1 | 34 | 99 | 32 | 0 | 1 | 88 | 14 | 101 | 9 | .363 | .469 | |
| 2016年 | 120 | 536 | 428 | 82 | 131 | 31 | 4 | 18 | 73 | 23 | 0 | 0 | 100 | 8 | 97 | 8 | .306 | .446 | |
| 2017年 | 130 | 551 | 448 | 95 | 139 | 30 | 1 | 31 | 99 | 14 | 0 | 7 | 89 | 7 | 123 | 6 | .310 | .426 | |
| 2018年 | 130 | 550 | 475 | 95 | 167 | 29 | 5 | 36 | 102 | 21 | 0 | 5 | 62 | 8 | 105 | 8 | .352 | .431 | |
| NPB:8年 | 840 | 3411 | 2875 | 539 | 921 | 168 | 18 | 150 | 502 | 139 | 2 | 16 | 453 | 65 | 712 | 44 | .320 | .422 | |
| 年 度 |
球 団 |
位 置 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011年 | ソフトバンク | 外野手 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
| 2012年 | 62 | 113 | 0 | 1 | 0 | .991 | ||
| 2013年 | 57 | 107 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | ||
| 2014年 | 144 | 273 | 6 | 6 | 1 | .979 | ||
| 2015年 | 132 | 272 | 7 | 4 | 1 | .986 | ||
| 2016年 | 120 | 247 | 6 | 4 | 0 | .984 | ||
| 2017年 | 130 | 233 | 6 | 1 | 1 | .996 | ||
| 2018年 | 127 | 248 | 8 | 3 | 3 | .988 | ||
| 通算 | 外野手 | 774 | 1493 | 36 | 19 | 7 | .988 | |
| タイトル | ||
|---|---|---|
| 首位打者 | 2回 | 2015年、2018年 |
| 最高出塁率 | 4回 | 2015年-2018年 |
| 表彰 | ||
| 月間MVP | 4回 | 2014年5月、2015年8月・9月、2017年6月 |
| ベストナイン | 3回 | 2014年、2015年、2017年 |
| ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2014年、2015年、2017年 |
| MVP | 1回 | 2015年 |
| その他 | ||
| サイクルヒット | 1回 | 2018年4月21日 |
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最終更新:2025/12/08(月) 09:00
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