桜花 (航空機)とは、BAKA(正しくはBAKA BOMB)である。
前史
1944年、まだ神風特攻隊が考案されてないころ。三菱名古屋発動機製作所では空対地ミサイルの研究を行っていたのだがその誘導装置に苦労していた。ぶっちゃけると当時の電子技術では満足な誘導装置なんてできなかったのである。そんな時、大田某なる人物が当時航空技術廠より出向していた技術者にとんでもないことを耳打ちする。
「YOU……機械仕掛けで満足に当たらないなら人間に操縦させちゃいなYO!」
この大田某、「完成した暁には自分が真っ先に乗りますから!」といって関係役所・企業に熱心に説いて回り、とうとう「出撃したら最後パイロットは絶対死ぬ」グライダー型有人爆弾が完成し、実際に運用された。これが桜花である。
機体概要
- 一式陸上攻撃機の胴体下部に取り付けて敵艦隊の近くまで寄り発射するいわばミサイル。但し有人操縦。
- 機首に1.2トンの爆弾搭載。体当たりで起動する。大型艦でも一撃必殺(の予定)、相手は死ぬ。
- 固体ロケットブースターを備え、最高時速は実に1040km(急降下時)。発射に成功したら絶対対空砲火は当たらない。……発射に成功したらね。
実際のところどうよ
桜花は専門の開発・運用を行う第七二一海軍航空隊、通称神雷部隊によって運用されたのであるが……。
桜花作戦による日本軍の出撃機数と損失
- 第一回 出撃 一式陸攻18機(内桜花15機) 護衛零戦19機 損失陸攻全機 零戦10機 戦死160名
- 第二回 出撃 一式陸攻6機 損失 濃霧により未帰還2機 山に激突1機 不時着2機
- 第三回 出撃 一式陸攻9機 損失5機 不時着2機 戦死42名
- 第四回 出撃 一式陸攻7機 損失全機 戦死55名
- 第五回 出撃 一式陸攻6機 損失5機 戦死32名
- 第六回 出撃 一式陸攻4機 不時着1機 戦死なし
- 第七回 出撃 一式陸攻7機 損失5機 戦死40名
- 第八回 出撃 一式陸攻4機 損失3機 戦死23名
- 第九回 出撃 一式陸攻11機 損失 悪天候により未帰還3機
- 第十回 出撃 一式陸攻6機 損失5機 戦死32名
総出撃数 一式陸攻78機(桜花75機) 零戦19機
損失 一式陸攻撃 54機(内天候原因での損失6機) 不時着5機 零戦10機
戦死 桜花搭乗員 56名 一式陸攻搭乗員 372名 零戦搭乗員 10名
桜花作戦の戦果
- 第一次 敵戦闘機に阻まれ全滅。戦果なし。
- 第二次 悪天候で出撃した一式のほとんどを失う。作戦中止。
- 第三次 土肥中尉機が駆逐艦「マナート・L・エベール」撃沈 米軍戦死74名 負傷35名
- 第三次 駆逐艦「スタンリー」大破 艦首部分に命中したが、弾頭が船体を貫通し不発、負傷者3名で済んだが船体の損傷大きく、沖縄で応急修理の後、アメリカ本土に回航、1946年に除籍。
- 第三次 掃海駆逐艦「ジェファーズ」50m至近で桜花爆発、その衝撃で小破 死傷者なし
- 第五次 戦艦ミズーリー 至近爆発 小破 死傷者なし
- 第六次 山際一飛曹機が命中したとの報告も、戦果不明(同日 駆逐艦5隻 掃海駆逐艦1隻 戦車揚陸艇1隻 輸送艦2隻の損傷が確認されておりこの内のどれかと思われる)
- 第七次 敷設駆逐艦「シェイ」1機命中も不発、しかし機体が艦の中隔を激しく破壊し大破、戦死27名負傷91名 「シェイ」は沈まなかったが、修理困難でそのまま廃艦。
- 第七次 駆逐艦「ゲイティ」に墜落した桜花の破片が命中、40mm機銃1門破壊 負傷3名
- 第七次 駆逐艦「ヘンリーAワイリ」に墜落した桜花の破片が命中 小破
- 第八次 駆逐艦「ヒュー・W・ハドレイ」の中央部分に命中し大破、炎上 死者28名 艦長を含む67名負傷、損傷は甚大で総員退艦命令が出たが沈まず、そのまま廃艦
- 第九次 悪天候で作戦中止。
- 第十次 戦果なし。米軍資料には駆逐艦「トゥィッグス」も桜花による撃沈としてるのもあるが、同艦は通常の特攻機に撃沈された可能性が大きい。
桜花による戦果合計
撃沈 駆逐艦1隻
大破・その後廃艦 駆逐艦2 掃海駆逐艦1
小破 戦艦1 駆逐艦2 掃海駆逐艦1
米軍死傷合計 328名
どうしてそうなった
この槍、扱い難し。
―――野中五郎(第七二一海軍航空隊飛行隊長、少佐)
- 桜花の航続距離は70km。射程距離にたどり着く前に余裕でアメリカ側のレーダーに察知され迎撃される。
- その為、第一回神雷部隊は敵艦隊の遥か前方で米艦載戦闘機の迎撃を受ける事となった。
- 桜花を積んだ一式陸攻は動きが鈍くなり、敵に襲われると逃げられず全滅することとなった。
- 大体戦争も末期であり、護衛戦闘機も満足につけられなかった。(第一回神雷部隊の護衛戦闘機は50機の予定が最終的に19機)
- 桜花自体の操縦も難しく、300時間は訓練したパイロットでないと操縦させられない。
- それでいて桜花にトラブルがあっても一度発射したら最後帰還不可能。パイロットの死亡確定。
それでどうした
- 母機の陸攻の編隊を護衛するのに十分な戦闘機を確保することは困難であり、敵の迎撃をかわす為に、第二回の神雷部隊より、編隊攻撃から単機攻撃に変更した。(しかし第二回は濃霧で攻撃できず実質は三回目から)
- その為に、米艦載機の迎撃を分散させることに成功し、桜花射程範囲内まで母機の接近が可能となった。
- 単機攻撃に作戦変更後、悪天候により攻撃できなかった二回と九回を除いた合計43機(損失30機)の内命中4機至近弾4機合計8機 有効率18.6%は奇しくも航空特攻全体と同じ有効率となった。
- 但し、沖縄戦で完成の域に達してた米軍のピケットライン[1]を突破することはその射程距離から困難であり、戦果はピケット艦に集中することとなった。
- 撃沈が1隻に止まったのは、命中した桜花があまりの速度の為に艦体を貫通したり(駆逐艦スタンリー)命中するも不発だったり(掃海駆逐艦シェイ)したことが原因である。まぁどちらも後日廃艦になったが。
- 通常であればマナート・L・アベールの様に轟沈は確実な破壊力であるが、通常特攻で損傷後に更に桜花が命中し爆発しても撃沈しなかったヒュー・W・ハドレイの様な例もあった。但しスクラップ直行。
評価
熟練パイロットを使い捨てにする人的資源の浪費の問題、短すぎる航続距離、戦争末期の諸事情。いろいろあったんだが正直言ってほめられる兵器ではないというのがもっぱらの評価。そのあまりにとち狂った発想にアメリカはあきれ、コードネームをBAKA(=馬鹿)にしてしまった。
とはいえ第二次大戦当時の誘導兵器、たとえばエロ爆弾[2]と呼ばれた日本陸軍開発の空対地ミサイル『イ号一型乙無線誘導弾』だと射程はたったの4km。ラジコン操縦で母機がずっと目標のすぐ近くに張り付き、専門の誘導員が命中まで操縦し続けなければならなかったため(これは同種の兵器を開発していたドイツも同様)曲がりなりにも射程70kmもある桜花を使わざるを得なかったのは仕方がなかったという側面はある。
但し第一回攻撃の大失敗により戦法を改めてからは戦果もそれなりに挙がる様になった。このためもっと早い段階のフィリピン戦時に適正な戦法で投入されておけば、米機動部隊の特攻対策も未だ未成熟であった為空母等の“大物”への戦果も挙がっていたものと推測でき、評価もまた違ったものになったと思われる。
実際に日本軍は空母信濃と雲竜でフィリピンに合計80機の桜花を輸送し運用する計画であったが、いずれの空母も到着前に日本近海で潜水艦に撃沈されておりフィリピンでの実戦投入はできなかった。
余談
おれは桜花作戦を司令部に断念させたい。
もちろん自分は必死攻撃を恐れるものではないが、
攻撃機を敵まで到達させることができないことが明瞭な戦法を肯定するのは嫌だ。
クソの役にも立たない自殺行為に、多数の部下を道づれにすることは耐えられない。
司令部では桜花を投下したら陸攻は速やかに帰り、再び出撃せよ、と言っているが、
今日まで起居をともにした部下が肉弾となって敵艦に突入するのを見ながら
自分たちだけが帰れると思うか?
そんなことは出来ない、桜花投下と同時に自分も目標に体当たりする。
―――野中五郎
- 神雷部隊の初代飛行隊長である野中五郎は桜花の運用に反対だったと言われている。上記の言葉は部下に語ったもの。
- 野中は出撃前、「これは湊川[3]だよ」とぽつりと言ったと伝えられる。
- そして史実の湊川の戦いの通り、第1回出撃は全滅という末路をたどった。
- 桜花は改良計画が一応存在し、ジェットエンジンを搭載した22型や43型も計画されていた(実戦に投入されたのは11型)。43型は地上からカタパルトで打ち上げられる予定で、比叡山のケーブルカーの線路から打ち上げる計画もあったとか。
- なお、発案者の大田某がその後どうなったかはぜひともウィキペディアで調べていただきたい。ニコニコ大百科では実在の人物につけてはならないあるタグが頭に浮かぶであろう。
関連動画
松本零士の漫画で後にアニメ化された「ザ・コクピット」の第2話「音速雷撃隊」が桜花のエピソードである。
桜花の登場は1:20から。
関連商品
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関連コミュニティ
桜花 (航空機)に関するニコニコミュニティを紹介してください。
関連項目
- 軍用機の一覧
- 神風特攻隊
- ジェットエンジン / ロケット
- 珍兵器
- 吐き気を催す邪悪
脚注
- *アメリカ艦隊は空母などの主力艦の回りにぐるりとレーダー搭載駆逐艦(レーダーピケット艦)を配備しレーダーによる濃密な対空監視網を作ったがこの監視網のこと。
- *試作機が旅館に突っ込み女中と入浴客の計四名を死傷させ「女風呂に突っ込んだ」といわれたため。
- *室町時代の戦闘、湊川の戦いの事。楠木正成が倍以上の足利軍に対戦することを強いられ全滅した故事をさす。